宮治長編 I my darling!!

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「治、先輩……」

 最悪のタイミング。

 そこにはとっくに帰ったはずの治先輩が、私と銀島先輩をその目に映してる。意味も分からんと噴き出てきた汗、頭より身体の方が先に危機を理解しているらしかった。

 今の、聞かれとった? どっから? もしかして治先輩、私が銀島先輩に告白してたと思ってはる? 誤解されてる?
 一瞬視線を逸らした治先輩は多分角名先輩を捕らえて、それからもう一度私を見た。

「何しとん」
「え、と……」
「銀」
「お、治……」
「ごめんやけど苗字、借りてもええ?」
「ぜ、全然! ええよ!」
「すまんな」
「え、っ治先輩……っ」

 苗字、なんて呼び捨てで呼ばれるん初めてかも。治先輩は怒ってはるんか、掴まれた手がギリリと痛む。

 完全下校の時間過ぎてるから守衛さんに見つかったら怒られますよ、なんて思っても今この状況でそれを口に出す勇気はないから、私はただただ治先輩に引っ張られて体育館の裏まで来てしまう。

 部活が終わって暫く経ったこの場所は、もう日も落ちきってるせいで体育館の明かりがないと真っ暗で。目が慣れへんと、立ち止まってこっちを向いた目の前の治先輩の表情さえよく見えへんかった。

「治先輩」
「なんや」
「えっと……」
「……さっきのアレ、何やねん」
「アレ……アレ、って、」
「自分、……銀のこと好きやったんか」
「ちゃ、ちゃいますっ!」

 静かなこの場所で、治先輩と私の声はやたら大きく聞こえる。ぼんやり見える治先輩を見上げて、私は一方的に掴まれた手で治先輩の手を握り返した。さっきの熱もまだ冷めてへん私の手は熱くって、逆に治先輩の手はひんやりと冷たい。

 ドクドクドクって心臓がうるさい。このまま飛び出してもうたらどないしよ。
 さっきの練習の時の余韻か、先輩がなんか怒ってはるからか、それともこうやって先輩と二人きりやからか。原因は分からんくて、もしかしたら全部かも。だからこんなに、痛いんかも。

「治先輩しか……好きじゃないです」
「でもさっき銀にも好き言うとったやん」
「それは、」
「……信じられへんわ、苗字ちゃんの好きは」
「っ」

 なんで。この気持ちはいつも真っ直ぐ先輩だけに向けてきたつもりやった。治先輩が好きで、大好きで、こんな気持ちになるんは治先輩以外におらへんくって。
 治先輩のこと考えるだけでこんな泣きそうなんのに、治先輩にはそれが一ミリも伝わってへんかった? それかもしかして、……全部迷惑やった?

 涙が零れそうになるんを必死に堪える。ここで泣いたら、治先輩にもっと嫌われてまう。

 最近の治先輩は前より更に優しくて、せやから自惚れとったんやと思う。二年の先輩たちに冗談で冷やかされるんも全部真に受けて、ちょびっと本気にしてもうてた。もしかしたら治先輩もちょっとくらい私のことを……って、そんなわけないのに。
 真っ直ぐ見つめても治先輩の表情からは何も読めへんくて、睫毛が震える。あかん。泣いたらあかん。私は必死に自分に言い聞かせた。

「ほんま、いっつも鬱陶しいくらいつきまとってきよる」
「、っ」
「初めて会った時からぶっとんどるし、言うてることも半分くらい意味分からんし、喧しいし」
「ふ、っ……」

 噛み締めた唇から息が漏れた。怖い。なんでそんな怒ってはるんですか。地に這うような修先輩のそんな声、初めて聞く。
 「そんなに言わんくてもいいじゃないですかぁ流石の私でもへこみますよー」って、普段の私やったら茶化して言えとった?そしたらまたいつも通りに、戻れるんやろか。

 ……無理か。戻れても、もう私、治先輩の前におられへんかな。好きって気持ちはドキドキしたり嬉しくなったりするだけちゃうから難しい。どんだけ好きでも、……好きやからこそ、これ以上嫌われたないって……好きな人に嫌な顔されたくないって、臆病にもなってまう。

 ……うまく、いかへんなぁ。

「……治先輩のことしか、好き、じゃないです」
「…………」

 笑ってまうくらいに震えた声は、泣いてないけど泣いてるように聞こえてもうたかもしれん。
 大好きなバレーの試合に負けた時よりも、先輩にもしかしたら好きな人がおるかもって知った時よりも、そのどの時より胸が痛い。
 だってこんなにイライラをぶつけられたのは初めてで、いつだって治先輩は優しかった。

 それでも。受け入れてもらえんくても、……気持ちを疑われたくはなかった。
 こんな風に思うんは図々しいと思う。治先輩は優しいから今まで曖昧に受け流してくれてはったんを、またこうやって押し付けて。でもやっぱりちゃんと誤解を解いて、そんでちゃんと好きやって分かってほしい。先輩への気持ちだけは、疑って欲しくない。

 私は震える声を叱咤するように、ギュッと拳を握った。

「あの、私」
「……」
「治先輩、に、ちゃんと気持ち伝えたくて」
「……いつも喧しいくらい叫んどるやん」
「そ、そうなんです……けど。私、それだけや足りんくなってて、」
「は?」
「治先輩に、ちゃんと、改めて告白しようって思って、それで」
「ちょ、待ち、なんやそれ。さっき銀に」
「さっきのは銀島先輩に、れ、練習させてもろてて……」
「はぁ!??」

 治先輩の声に肩が跳ねる。さっきまで何を考えてるのか分からんくて怒ったみたいに見えてた治先輩の表情が崩れて、それは怒ってるんとはまたちょっと違う、純粋に驚いたような顔。

「なんっやねんそれ! 紛らわしい!」
「だ、だって緊張するんですもん! 治先輩前にしたら緊張して、全然思ってるようにいかへんくて、」
「いや何を今更! 苗字ちゃんいっつも言うてるやん! 一緒やん!」
「ち、違うんです! 全然、心持ちが違うんですー!」
「意味わからんわ!」

 は、とお互いに息を吐いた。さっきまでの緊張した空気はいつの間にやら消え、治先輩に至ってはまるで侑先輩と喧嘩してはるときみたいに声を大きくして、珍しい。

「ほんなら何!? 苗字ちゃん、俺のこと好きなん?」
「だ、だからそうやて言うてるじゃないですかぁ!」
「! な、泣かんでも、」
「緊張が切れましたぁー……」

 ぼろぼろと落ちた涙の粒が地面に吸収されていく。次々から零れ落ちてくそれはもうさっきまでみたいに我慢もきかへんくて、治先輩への想いと一緒に溢れ出したら止まらへん。
 さっきまでのピリピリした治先輩とは打って変わって今度はなんか慌ててはって、それがちょっと可愛い。

 あぁ、やっぱり治先輩が好きやぁ。

「す、好きです、治先輩が……大好きなんです、」
「わ、分かった、分かったから」
「治先輩しか好きじゃないんですっ」
「も、ちょお黙りっ」
「わぶっ!?」

 治先輩は私を引っ張るんが好きなんやろか、それとも私が引っ張りやすい見た目をしてるんやろか。思いっきり引かれた先、目の前には治先輩のカッターシャツが広がってて、それから部活の後にいつも使ってはる制汗剤の匂い。

 思わず見上げたら至近距離に治先輩の顔、ちょ、ちょっと治先輩それはダメです! ぼんやりとしか見えへんかった治先輩の顔がすぐ目の前にあって、私は先輩の胸を押して離れる。……ことも出来へんかった。

「お、治先輩っ」

 今度はしっかりと背中に手が回って、正面から捕獲される。治先輩自身からする甘い香りが頭をくらくらさせた。
あかん。あかんって、いまどういう状況!? ヘルプミー! 誰か! 誰か助けて! 誰か私を助けてください!

「むっちゃ暴れるやん」
「お、おさ、治せんぱ、!」
「痛いねんけど」
「すすすすみませんっ!」
「ふっふ……素直やなぁ」

 だって治先輩に怪我させたらあかんし!?
 治先輩の一言で抜け出そうともがくのはやめて、そしたら治先輩が緩く息を漏らした。

 なに。何事。まだ状況が掴めてへんのですけど、治先輩!?
 涙なんかとっくに引っ込んで頬も乾いてる。ドキドキと鼓動を打つ胸だけが相変わらずで、もしかしたらそれだって治先輩に聞こえてもうてるかもしれへん。

 治先輩、もう怒ってへんの? なんで? え? なに!?

 治先輩が私の肩口に顔を埋めたらいつも綺麗な銀髪が私の耳を撫でてこしょばくて、また身を捩る。それを治先輩が咎めるみたいにまた腕の力を強めて、私は硬直して。
はぁーーって長い息を吐いた治先輩は、「ほんっま……あせらさんといてや」って呟く。

 今私、夢見てるん? じゃないとこんなん、有り得へんやん。
 でもそれなら永遠にこの夢が醒めんでほしい、なんて視界の端で輝く星に祈ってみたり。


へなちょこヘモグロビン



21.09.29.

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