宮治長編 I my darling!!

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「……なんか苗字ちゃんおかしない?」
「……俺も思った」
「昨日逸れるまでは普通だったと思うけど」

 体育館の床をボールが叩きつける音が響く。ミンミンと聞こえる蝉の鳴き声も、蒸すような暑さも、たまに聞こえる怒号も、全部がふわふわしてる。汗の粒がゆっくりとこめかみを伝って、私は首にかけとったタオルで無意識にそれを拭った。

「苗字、次ビブスいるから用意しといて」
「はいっ」
「あとドリンクも足りんなるかも。苗字もちゃんと水分摂りや」
「はいっ」
「……聞いとるんか?」
「はいっ」
「…………」

 ハッと我に返ったときに視界に広がったんは、腕を組んで怪訝な表情の北先輩。大丈夫、大丈夫、ちゃんと聞いてますよ! また汗が垂れるのを押さえながら、私はにこりと笑った。

「ビブス、ドリンク、水分摂る! ですよね!」
「……おん」
「私倉庫いってきます!」
「いや走らんでええから」

 北先輩の言葉を背に小走りで倉庫まで向かうと、電気をつけないと真っ暗なその空間で一瞬、はぁと息を吐いた。
 勢いのまま闇の中で蹲り、それからふわふわしている頭まで一緒に抱え込む。

 昨日。私はあの後治先輩と夏祭りを回った。最初に言っとく、別になんかあったわけじゃない。普通に、ただ普通に私と治先輩はデートした。あれはデートやった、それだけは誰にも譲られへん。
 ただその時の、ずっと繋がれとった手の熱とか、かき氷色に染まった舌に笑い合ったこととか、足が痛い私を気にしてすぐに休憩してくれようとする優しさとか……治先輩とのやりとり、出来事、景色の一つ一つを思い出すだけで夢みたいで。ずっと頭から離れへんそれに今日半日ずっと支配されとる。

 もうあんなことあらへんかもしれへん。私毎日いい子にしとるけど、その分を昨日に使い切ったんかもしれへん! ってぐらいの幸せ。はああ先輩カッコ良かった! きっと周りには昨日の治先輩は私の彼氏に見えとって、私は治先輩の彼女に見えとって!!!

「ああああもう死んでもええっ!」
「おわっ、真っ暗やん」
「治先輩!?」
「何暗闇で物騒なこと叫んどるん……」
「やっ! なんでもないです!」

 パチン、と灯りがついた蛍光灯に一瞬目が眩む。同時に聞こえた声に振り返ればそこにはいま私の頭を占める治先輩がいはって、さっきの北先輩より怪訝な……いやなんかちょっと引いてはる?え?引かんでください治先輩!?

「うるさ」

 立ち上がって叫んだ私にわざとらしく耳を押さえた治先輩は、その後私が持つべきビブスが入ったカゴを手に取った。

「あ、それ! 私が持ちます!」
「先休憩らしいから苗字ちゃんも休憩し」
「いや! 治先輩の方が!」
「俺もこれ持ってったら休憩するわ」
「じゃあ私の仕事なくなるじゃないですかぁ!」
「ほんなら電気、消して」
「…………」
「ほら」

 パチン。また音が鳴って、暗闇になった倉庫から治先輩と脱出する。戻ったら確かに皆さん休憩してはって、侑先輩達がちょいちょいとこちらに手招きをした。

「名前ちゃん!」
「はい?」
「もしかして自分ら、遂にそうなったん!?」
「え……? そう?」
「ほら隠さんでええやん〜! あれやな、これも俺の協力のお陰ちゃう? いやぁ昨日はちょびーっと本気出してもうたもんなぁ!」
「えっと、」
「ああもう隠さんでええって! そのために昨日最後二人っきりにしたってんから! ツムと付き合い出したんやろ?」
「ええ!?!?!?!?!?」

 侑先輩の言葉に、それはそれはこの体育館をぶっ壊しそうなくらいの私の声が響き渡った。だって。だって!!! シン、とその場が静まり返り、部員の皆が一瞬こちらを見て……それから「なんやまた苗字か」って各々の世界に戻っていく。いやちょっとそれは失礼ちゃいますか! 皆さん!
 ほんでもあまりにも衝撃で、私はそんなことを言うてる場合ではなかった。

 え……侑先輩、今なんて言いはった? 付き合い出した? 誰と誰が? 私と、……治先輩が? え、そうなん? 私が知らんだけで世間はそんなことになっとったん?

「そ、それ」
「付き合うてへんわ」
「あうっ……」

 喜んで脳内では舞い踊ったんもたった数秒。すぐに否定の言葉を口にしたのは勿論治先輩。もう! 治先輩!! もうちょっと夢見せてくれてもええのに!!!

「えぇ、……いやお前らいい加減にせえよ!? むしろなんであれで付き合わへんねん! おかしいやろ!」
「何がやねん意味わからんわ! 勝手において行きよって!」
「はぁ!? ちゃあんと俺ら先帰るでって連絡したやろが、」
「俺がね」
「角名が!」
「やっかましいわお前らほんま朝から人のことニヤニヤニヤニヤ見よって! 鬱陶しいんじゃ!」
「お? やんのかコラ!」
「やったるわ表出え!」
「ちょ、侑も治も、北さん怒られるで」

 丁度北先輩はどこかに行ってしまわれたのか、治先輩と侑先輩を止められる人は誰もおらへん。いつもの如く急に始まってしもうた喧嘩に辛うじて銀島先輩が止めに入ろうとして……そのまま一緒に外に連れ出されるんを、私はポカンと見つめとった。

「……北さん職員室行っただけだからすぐ戻ってくるよ」
「角名先輩」
「あーあ、銀も巻き込まれてるしご愁傷様」
「わ、私止めてきます!」
「やめときなって。今苗字ちゃん言ったら火に油でしょ」
「えぇ……」

 踏み出しかけた足は、その場に張り付いた。な、なんかよう分からんけど私のせい!? ごめんなさい! ごめんなさい治先輩! 銀島先輩! それから侑先輩!!!
 その場で手のひらをすりすりと擦り合わせて謝罪する私に、角名先輩は「なにそれ」って小さく笑う。

 だけどもすぐにまたいつもの無表情に戻って手に持ってたスマホを弄り出したあたり流石、角名先輩やと思った。

「……ほんとに付き合ってねえの?」
「へ?」
「治と」
「つ、つつ、付き合ってません! 私はそうなったらいいなと思いますが!」
「あ、もしかして振られた?」
「振られてませんっ!!!」

 なんてこと言うんですか!!!
 治先輩に振られる私を瞬時に想像して悲鳴を上げると、角名先輩が私の頭にうるせえってチョップする。う、すんません……でも今のは角名先輩が悪いと思います。なんて、言えへんけど。

 少しだけ涙目で見上げた角名先輩は、ふぅんって息を漏らした。え、なに、なんのふぅんですかそれは!?

「なんか今日苗字ちゃん浮かれてたからそうなったもんだと」
「え? 私、浮かれてました!? 私!?!?」
「……うんまぁ、そう見えた」
「や、なんか昨日の治先輩とのデートを思い出して! 楽しかったなぁって脳内での再生が止まらなくてですね!」
「完全に俺らがいたの忘れてるね、それは」
「いやいや先輩方のお陰です! 特に角名先輩にはヘアアレンジとか色々お世話になりました、ありがとうございます!」
「……まぁいいけど」

 あれは角名先輩様々だったな! あんなことができる角名先輩、ほんとすごい! 改めて尊敬しちゃいましたもん!!

「……苗字ちゃんが良かったからまぁいいけど、あんまそれ、今後も治の前で言わないでよね」
「え? なんでですか?」
「なんでも」
「? はい……」
「てかせっかくあそこまでして、しかも二人になったんだから告れば良かったのに」
「ええ!?!?」
「案外いい感じじゃねえの、二人」
「そ、そ、」

 そうですか!? なんて。角名先輩って人にそんなこと言うんや、意外。一見周りには興味なさそうな角名先輩がそう言ってくれはるってことはほんまにそう見えるってことなんかな。え、どうしよ。え? いい感じ? って、誰が? ほんま? 私と治先輩? ほんまにほんまに言うてはる?
 そうやとしたら、やばい。もしかして私の勘違いやなく、ちゃんとちょっとずつ毎日のアピールが効いてきてるんやろか。

 期待して勝手に盛り上がるんは得意。せやけどこれ以上はなかなか進まれへん。マネちゃん先輩さんがきた時もそうやった、あん時も告るって言うて、でも結局勇気が出やんで告白は見送ることになって……
 せやのに今また告ってみてええんちゃう? なんて思い始めてるんは、やっぱりきっと昨日のことがあるから。治先輩と、あんな風にまた二人で出掛けたい。あんな風に、私だけに視線を欲しい。あんな風に……熱を分けて欲しい。

「……気持ち、固まってきてるじゃん」
「せ、先輩……」
「そろそろ言いたくなってるんでしょ」
「そ、そうなんですか、これ……?」
「変にテンションが高いのはそのせいじゃない」
「そんなん……どうしよう角名先輩……」
「…………まぁ苗字ちゃんの好きにすればいいと思うけど。あ、でも一個、さっき治、なんも用事ないのに倉庫まで行ってたよ」
「え……?」
「苗字ちゃんが行くの見えて、追いかけたんじゃねえの」

 どくん。向こうから、ボロボロになった治先輩が戻ってきはった。口をへの字に曲げて、頬やおでこに引っ掻き傷。高校生でこんなんなるような喧嘩する人、他にあんまおらん。

「……治先輩」

 胸が苦しい。ドクドクドクッて痛い、胸を打つ鼓動が早すぎて苦しい。せやのにじんわりと奥の方が熱いのは……そんなんもう間違いなく治先輩が好きやからで。

「え、なに? 自分なんでそんな顔赤いん」
「や、その」
「熱中症ちゃう、せやから水分摂りって北さんが……」
「ちゃ、ちゃいます!」

 苦しい。熱い。痛い。
 もうそろそろ、私はほんまに治先輩への想いを抱えきれんくなってもうてるんかも。

「?」

 朝から頭がふわふわする。その正体に気付いた今、今度はさっきの侑先輩や角名先輩の言葉をぐるぐる脳内を駆け巡って……私はただただ唇を噛み締めた。


あの日噛みつけずにいた唇



21.09.25.

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