宮治中編 嘘つき女と不器用男 fin

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「逃がさへんぞ!」

掴まれた腕が熱い。抱き締められて、治くんのか私のものかわからない胸の鼓動がうるさいくらいに響いている。

「逃げんといてや」
「…治くん」
「一個言わせて」
「…なぁに」
「いくら名前サンや言うてもアイツのこと悪く言わんといてくれ」
「な…ん、それ」

アイツって、幼馴染の子のこと?そんなん言うために、わざわざ呼び止めたん?
あかん、ほんまに治くんがわからへん。耐えてた涙がポロポロと溢れだす。私、今、抱き締められて一瞬期待したよな。せやのに治くんの口から出たのは、幼馴染を庇うようなセリフ。ほんっま…アホやん。

「…ごめん…もう言わんから、だから、離して…」
「嫌や離さん、離したら名前サン逃げるもん」
「そんなん…」

当たり前やん。最後の最後に私の心は治くんによって打ち砕かれて、これ以上もう傷付きたくない、という防衛本能が治くんの腕を離そうともがいた。その間も止まらない涙の粒が治くんの腕を濡らして、着ているコートにシミを作っていく。でも治くんはそんなことは気にせず、さらに腕の力を強めた。

「聞いて、名前サン」
「嫌や、」
「なぁって」
「ぃや、嫌や、聞きたない」
「お願いや。これで最後やから」
「……っ」

最後。その言葉が、私に重くのしかかる。最後に、治くんが言いたいことって何。今度こそこの前の言葉の意味?そんなん、今更。
そう思うのに、私は抵抗を辞めていた。聞きたいけど、聞きたない。でもやっぱ聞きたい。
結局私は何回も何回も治くんに期待するのだ。もしかして、って。

私はゆっくり治くんの腕の中で振り向いて、治くんと向かい合う。いつにない至近距離で見る治くんの顔はあの夜を彷彿とさせて、こんな時なのに顔が熱くなった。

「…俺は、いっつも言葉とか足らんくって器用に伝えられへん」
「………」
「今までは別にそれでもええかって思っとった。言わんで伝わる奴が近くにおったんもあるし、これで困ったこともあんまない」
「うん…」
「でも今めっちゃ困ってて…名前サンに、ちゃんと伝わって欲しい、ねんけど」
「なに…」
「…ツムの代わりなんか死んでも嫌や。俺は、…俺はずっと、俺だけを見てくれる名前サンとこれからも一緒におりたいねん」
「え」
「失恋したとこに漬け込むようやけど今やと思った。押して、俺の言葉に揺れてんの見てもしかしたらイケるんちゃうかなって思っとった。泣かせたいわけちゃうねん。こんなんやけど…俺、名前サンのことずっと好きやねん」

そう言って治くんは私の頬に触れて親指で涙を拭った。治くんの目はいつもよりずっとずっと熱っぽくて、私を捉えて離さない。
ほんまに、ほんまにほんま?今の、聞き間違いとかじゃない?
期待して、傷付いて、もうそんな思いはしたくない臆病な自分が言っている。ここで行かないで、いつ行くのと。こんなに必死になるのはやっぱりどうしても治くんが好きだから。

今度こそ。私はゆっくり瞬きをして、治くんを見つめた。

「治くんは…幼馴染の子が、好きなんちゃうの…」
「…はぁ!?え、な、ん…え?」
「…ちゃうの?」
「いや、全然ちゃう。何それどっから出てきたんその話」
「…違うならいいねん…」
「え?いや全然そこ良くないねんけど、名前サン?」
「…私な、治くんに一個謝らなあかんことあんねん」
「え、今?」
「うん、今」
「…なに?」
「私…ほんまは、宮選手のファンちゃうねん」
「は?」
「ほんまは、…ほんまはな?おにぎり宮の、…治くんの、ファンやねん…」
「っ」
「…好き、やねん。私もずっと、治くんだけが好き…」
「…嘘やん」
「ほんま…私、宮選手の代わりなんか思ったことないよ。ずっと、治くんしか見てへんよ…」
「嘘…」
「私も、治くんとずっと一緒におりたいよ」
「…名前サン!」
「きゃっ!…ん、ふっ…」

緊張して、喉はカラカラだし手は震えてたと思う。それでも漸く、ずっと隠し続けていた私の想い、私の嘘を治くんに打ち明けた。上手く言えなくても、格好悪くてもいい、治くんが好きだと伝えたかった。

治くんは私の最後の言葉を聞いてゆるゆると口角が上がり、そのまま私の頬を挟んで勢い良く口付ける。あの日と同じ、治くんの柔らかい唇がまるで私を食べてしまうんじゃないかと思うくらいに何度も何度もキスを落とした。

「ちょ、治、くん、ここ外」
「んー…もうちょい、」
「あ、かん…っい、一回ストップ、」

バシバシと背中を叩いて抵抗すれば、治くんは不満気な表情を隠しもせずに渋々離してくれる。
幸せ、やったけど。私も今一瞬忘れとったけど。
でもそんな治くんと改めて向き合って、見つめて、それからふは、と息が漏れた。嬉しい、どうしよう。これ、夢ちゃうよな?

さっきまでの緊張が解けて思い返すと、今ってすんごい大逆転ちゃうの、私。もう絶対終わりやと思っとったのに、こんな、いいの。
そう思うけど、それは治くんも同じだったようで。

「あー…あかん、これ夢ちゃうよな?ドッキリとかちゃうよな?」
「ち、違うよ…」
「ほんまに名前サン、俺のこと好きなん?ツムやなくて、俺が好きで店来てくれとったん?」
「うん…」
「あーーー…なんっやねん…今までめちゃくちゃ悩んだやん…好きな子の応援してあげたいけど、でもツムにはアイツおるしなって」
「それ…治くん、さっき幼馴染の子庇ってたやん……私が言うのはあれやけど…あんなとこで庇われたら、治くんその子好きやもんなって思っちゃうよ…あのタイミングはあかんよ…」
「だぁって!アイツあほやけど、でも一応ツムと一緒に腐れ縁のやつやし…それに、」
「?」
「…アイツがツムと一緒になってくれたから…名前サンは俺んとこ来てくれるかもな、って感謝しとったとこあるし…」
「うっ…」
「はあああぁ…無駄に悩んだ…何で俺の周りはみんなツムやねんって、ほんまむかついとったのに…あーお腹すいた…」
「む、無駄とか言わんといてよ…私だってめっちゃ悩んでんから…」
「…せやな。俺ら二人とも、最初っから素直になれとったらこんな遠回りせんかったんやもんな。お互い様や」

ニシシって笑って、その子供っぽい表情にキュンとする。いつもはもっと大人っぽい治くんが幼い笑顔で心底嬉しそうに私の頬を摘んで、これは夢じゃないと教えてくれた気がした。
さっき一瞬あった甘い雰囲気とかは、もうなくって。それでも嬉しいからまぁいっか、とか思ったのも束の間。

「さ、帰ろうか」
「え?どこに?」
「名前ちゃん家。俺腹減った言うたやん。こんな美味しそうな子目の前にして、もう我慢できひんわ」
「へ」
「…今まで我慢しとった分、もう我慢せえへんから」

私を見下ろす治くんの目はギラリと光って、一瞬にして男の人のそれになる。さっきまでの無邪気な治くんはどこいったの。そう思うけど、でも私だってそんな治くんにドキドキしているんだからやっぱり同じくらい我慢できないのかもしれない。

「…帰ろ、か」
「…おん」

するりと繋がれた手はそのまま私を引いて、向かう足は私の家。今日は本当に感情が忙しい。ドクンドクンと早鐘のように鳴る心音は、今度こそ私のものだと分かった。


20.12.12.
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