宮治中編 嘘つき女と不器用男 fin

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そろりとおにぎり宮の入り口から中を覗いた。いつもはすぐに入るのに、今日はそれをするには非常に躊躇われる。気まずい、治くんと顔を合わすのが。それでも会いたい気持ちもあって、気付いたらここにやって来てしまった私はもうどうしようもない。

今朝起きたら治くんはいなかった。夢かと思った。昨晩も、明け方のことも、全部。
だけどテーブルの上には小さなおにぎりが2つと、卵焼き。その隣にはいつも私が使っている部屋に置きっぱなしの付箋。一番上には、"名前サンおはよう。冷蔵庫にあったもんとキッチン勝手に使ってごめん、良かったら食べてな。店があるので帰ります。宮"と書かれていて、やっぱり夢じゃないんだと知る。

治くんが作ってくれた朝ご飯を食べながら、昨日のことを思い出した。
今の私たちは何と呼ぶんだろう。おにぎり屋さんの店主と常連客以上、恋人未満というところか。間の幅が広すぎる。

付き合ってくれと言われたわけじゃない、好きって言われたわけでもない、だって治くんには好きな人がいるんだから。じゃあどうしてあんなこと?…治くんも、慰めて欲しかったんだろうか。そこに偶々同じような状況の私がいたから、ちょうど良いと思ったのだろうか。本当は私は、治くんのことが好きとも知らずに。

考えても結局真相なんてわかりゃしなくて、治くんに真意を聞くしかない。

「…頑張れ、私」

自分を励まして、私はゆっくりと店の扉を開けた。

「!いらっしゃい名前サン」
「…こんばんは…治くん」
「食べてく?ここ座りぃ」
「あ、ありがとう」

私を見て一瞬目を見開いた治くんだけど、すぐにいつもの表情に戻って私をカウンター席に促す。だから私も、いつも通りそこに座った。緊張でソワソワして、でもそれがバレないように必死で平常心を装う。震える手を抑え込んで、出されたお茶を飲んだ。

「今朝、起きる前に出てってもうてごめんなぁ。休みや言うてたから起こすの可哀想や思て」
「いや…朝ご飯ありがとう。さすが治くんって感じ、めっちゃ美味しかった」
「ほんなら良かった。ただの塩にぎりと卵焼きやけど」
「ていうかいっつも朝ご飯食べへんから久々に食べたわ」
「え、それはあかんやろ。忙しくても朝は抜いたらやる気出えへんで!」
「分かってるんやけど…食べるんやったら寝る時間に充てたくて」
「食う時間削るんは俺には無理やなぁ」
「治くんは食べんのが一番好き?」
「おん。一番好きや」

ドキッ。治くんの、好きという言葉に反応してしまう。いやいや、"食べることが"好き、ね。
それにしても思っていたよりもずっと普通な治くんに、拍子抜けしてしまった。気まずくなるんは嫌やったけど…なかったことに、なるんかな。それも嫌やな。

「名前サン、今日も家行ってええ?」
「えっ!?」
「…あかん?」
「え、あ…あかんくはない…けど」

治くん、私の心覗いてたん?

「ほんなら店閉めた後に、行くわ」
「分かった…」
「…なん?」
「え、っと…なんもない」
「注文はいっつものでええの?」
「えっ…あ、うん」

治くんは私の顔を見て、それからニヤッと意味ありげに笑う。な、なに、その表情…

「なんも」
「なっ…治くんって超能力者なん!?」
「名前サンが分かりやすすぎるだけやわ」

堪え切れずに今度は声を出して笑った治くんは、カウンターの向こうでおにぎりを握りながら私に言った。

「名前サンが考えてること、当てたろか」
「へ…」
「"なかったことにされるんやろうか"」
「っ」
「当たり?」
「なっ…えっ、」
「フッフ」

私の反応を見るだけで、特に返事は聞くつもりがなかったらしい。治くんはそのまま「はい、お待ちどぉ」と言って私がいつも頼むものを出してくれた。
そのおにぎりと治くんを見比べて、私は口をぱくぱくさせるだけで言葉が出てこない。なんで。

「…やっぱ今日は家行かんとこかな」
「えっ…」
「明日、うち定休日やん?ゆっくり考えて、明後日また話そ」
「ええ?」
「俺が何であんなこと言うたんか。じっくり考えてきてな」

治くんは、本当に何を考えているんだろうか。
…そんな言い方されたら、もしかしてもしかして、って思ってまうやん。…例えば治くんは、幼馴染の子が好きなんじゃなくて、…私が好き、とか…?いやそれはあり得へんと思うけど!例えば、例えばの話!

でも今の治くんからは失恋して傷ついてる感じとか、それで誰でも良くなって私に…って感じじゃない気がする。分からん、そんなん経験したことないからほんまに勘やけど。

でもやっぱり治くんがそんなことするとは思えへんし。…いやでもイケメンやしモテるやろうし…あああ考えれば考えるほど分からん!

「ふっ…顔赤くなっとぉ」
「…治くん私ばっかり見て、仕事せんでええの」
「今ほかに客おらんやん、名前サン専属の治くんやで」
「な…ん、それ」

自分でも感じる、顔に熱が集中している。きっと治くんの言う通り真っ赤になっているんだろう。

「…治くんってそんなキャラやっけ」
「んー…まぁ攻め時は逃したくないからなぁ」
「…はぁ?」

攻め時って何?そんな甘々になるんが、攻めてるってことなん?それって……めっちゃ私期待してまうねんけど。

私は恥ずかしさを誤魔化すように、思いっきり口を開けて出されたおにぎりにかぶりついた。


20.12.06.
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