宮治中編 嘘つき女と不器用男 fin

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浮かれていた。好きな人に、飲みに行こうなんて誘われて。こんなの、片思い始めて何年か、最初で最後かもしれなかったから。それが例え、私が失恋した(してないねんけど)のを慰めようとしてくれてるからだって。

「大体名前サンはツムの何がええのん?アイツ人格ポンコツやし、ポンコツやし…ポンコツやで」
「めっちゃポンコツやん…」
「せやで、アイツはもう全部ポンコツなんや。ええとこバレーに全振りしとるからな」
「でも彼女、おるやん」
「あれは…ポンコツ故に出来た彼女っちゅーか…」
「あっははは、なにそれ。治くんおもろいなぁ」
「……ごめんな」
「なんで治くんが謝るん」

私が宮選手好きやのに、ほんまは幼馴染の子と付き合ってるのを黙ってたから?そんなら嘘やから安心して欲しいんやけど。…って、言やあ良い話。言えない。だって慰めるためだけ、ただそれだけって分かってるのに、こうやって治くんと二人でいられて楽しいんだもん。嬉しいんだもん、私。

「ていうか幼馴染おんねんなぁ、治くん」
「…おん」
「どんな子なん?同い歳?」
「…名前サン、無理してへん?」
「してへんよ?」
「………」

多分治くんは、私が無理してる、空元気だと思っているだろう。特徴的な太めの眉毛が少し垂れ下がって、私を心配そうに見つめているから。
治くんのためにもこの話題から離れた方がいいのは分かってるけど、私は相変わらず宮選手をダシにしないと会話を続けられないのだ。治くんのことを少しでも知りたくて、なのに知らないから。

「同い年…ずっと、ちっこい頃から一緒におるやつでな。とりあえずアホやねん。アホやけど、…うん、アホやな」
「めっちゃアホやな」
「せやねん。めっちゃアホ。で、ずっと昔っからツムのこと好きな、変わりモン」
「めっちゃ失礼」

すごいなぁ。昔っから好きな人と付き合えて、漫画みたいやなぁ。ええなぁ。

「でもまぁ、なんやかんやでええ奴やねんけどな」
「へぇ…」

………あれ?そこで私は、ふと気付いた。
これ、もしかして…治くんもほんまはその幼馴染の子好きやったんちゃうん。なんて、私の当てにならない女の勘がそう言っている。

だってその子のことを話す治くんは、貶してるくせにすっごい優しい顔していて…え、これ普通?こういうもの?私には幼馴染と言える存在がいないから、分からない。
それともやっぱり、治くんにとってもその子は特別な存在…?

私…最初っから失恋してたん?

生まれた小さな疑惑は、モヤモヤと私の中で大きくなる。
あれ、もしかしてもしかして、今日誘ってくれたの、私を慰めるつもり、もちょっとはあったかもしれんけど…治くんも、落ち込んでたりする?

「名前サン?」
「え……あ、はい…」
「ごめん、言わんかったら良かったわやっぱ」
「…な、なんで…」
「だってそんな泣きそうな顔してるやん」
「え…」

言われて、そこで自分がそんな表情をしてるんだって初めて気が付いた。…多分、治くんが思ってる理由と違うよ、これ。そう言いたいのに、言えない。私は治くんに、本当のことはなに一つ言えない。

「ええなぁって思っただけ」
「…そおか」
「うん…好きな人が自分のこと好きになってくれるんって…すごいことやん」
「せやなぁ」
「…治くんも、好きな人おるんやろ?」
「えっ」
「…女の勘やけど」
「…すごいなぁ、女の勘」

…ほうら、確定。否定はせず目を細めて私を見る治くんは、私なんかじゃない、幼馴染の子を見ていたんだ、ずっと。

そこからはもうなんかどうでも良くって、ハイペースでグラスを煽っては注文していた気がする。治くんが話してくれることに集中したいのに、何にも頭に入ってこない。楽しいはずなのに、辛い。
治くんの好きな人は宮選手と付き合ったんだからまだチャンスはあるじゃんって、どうしてもそう思えない。そんな昔から一緒にいた人に勝てるわけない、自信なんてない。

「名前サン、ペース早いんちゃう?もうやめとき、明日に響くで」
「明日休みやもん、ええよええよ。治くんまだ食べる?店員さん呼ぼか?」
「まだ食うけど…ちょお、名前サン」
「すみませーん!ビールとぉ…治くんは?」
「…もう一つビールと、あとお冷お願いします。あと唐揚げとだし巻きと湯豆腐も」
「めっちゃ食べるなぁ〜流石男の子やな〜」
「名前サンほんま飲みすぎやで。そんな酒強くないやろ」
「ええ〜なんで知ってるん」
「見たらわかるわ」

そう言ってちょっと怒ったような治くんは、でもどこか悲しそうで。その悲しみを取り除いてあげられるのが私だったらいいのに。

勢いに任せて摂取したアルコールは身体中を巡り、思考をふわふわと溶かしていく。お酒に逃げるなんて情けない。ほんまは私が今治くんを慰めてあげられたら…ちょっとくらい、チャンスはあるかもしれんのに。
だけど私にそうやって踏み出す勇気はなく、代わりにやって来るのは眠気だった。

「んー…お腹いっぱいやなぁ…」
「名前さん?起きとる?」
「ん…?うん…起きとるよー…」
「うわ、あかん、寝そうやん。外出よ、そろそろお会計しよ」
「うん…」

治くんの声が、遠くに聞こえる。ああやばい、ほんまに寝そうなんかも。初めて飲みに行ってこんなんなる女、最悪やん。そう思うことはできるのに、身体は言うことを聞いてくれない。

鞄を掴んで席を立てば、ふらりと足が縺れる。「あぶな」治くんがそんな私の肩を支えてくれて、お会計も済ませて外に連れ出してくれた。

「治くん、お金…」
「ええよ今日は、俺が誘ったし、俺の方が食べてるもん」
「でも…」
「ほんなら次んときは、名前サン出してや」
「次…」

次、あるんや。いや私は嬉しいけど。治君は、ええんかな。外は思ったより寒くて、ぶるっと身震いする。冷気が少しだけ酔いを覚ましてくれる気がした。

「ほんなら…次は私に出させてな」
「おん」
「ごちそうさまです」
「おん」
「…治くん家どっち?」
「名前サン」
「?」

ああもう終わりかぁ、って思いながら歩き出そうとしたら、肩を支えていた治くんの手が私の手を握った。私の視線は自然に手…それから治くんの顔に移る。
なに考えてんのか分からへん、治くんの表情。眠そうに見えんこともない、あまり感情は見えないいつも通りの表情。

「そんな酔ってて一人で帰れへんやろ」
「え…うーん…大丈夫やと思うけどなぁ」
「大丈夫やあらへん。送るわ」
「え」

そう言った治くんは、やっぱりなにを考えてるのか分からなかった。私の返事を待たずして歩き出した治くんに引かれるようにして、私も歩く。
送ってくれたりすんねや、優しいな。それに手…繋いだままや。一気に騒ぎ出す心臓の音が、治くんに聞こえないか心配になった。それくらい静かな夜道を二人で歩いて、話したことと言えば「道こっち?」「うん」「次の信号渡る?」「うん」これくらい。

と言ってもおにぎり宮の近くに住んでる私の家は、さっきの居酒屋からも程近い。ここ、と指さした単身者用マンションを指差せば、治くんは「俺ん家より店近いやん」って笑った。
治くん家かぁ。どこに住んでんのかなぁ。そんなことを考えながら、治くんを見上げる。歩いたおかげでさっきまでの眠気も酔いもだいぶ醒めていたけど、それでもまだフラフラする。今日はすぐにお風呂に入って眠りたい。

今度こそお別れだ。名残惜しいけど治くんに別れを告げようとした、その時だった。

「わっ」

繋いでいた手をグイッと引っ張られて、バランスを崩した私はそのまま治くんの胸にダイブ。え、や、なに。慌てて体を起こそうとしたら、空いている方の治くんの手が頭の後ろに回ってそのまま胸に引き寄せられるから起き上がれないままで。

「…お、治くん…?」
「…名前サン、俺にしときいや」
「え?」
「ツムやなくて…俺にしときいや」

ぼそりと告げられた言葉はしっかりと聞き取ったはずなのに全く理解できない。理解できないのに、痛いくらいに心臓は鳴っていた。

「…え?」

もしかしてもう、夢の中なんやろうか。
なぁ治くん、今どんな表情してるん…?


20.12.01.
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