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治くんの様子がなんだかおかしい。そう思い始めたのは、いつからだっただろう。いつも通り会って楽しく喋って、週に一回はお泊まりもするし連絡だって頻繁に取ってくれる。そこに変わりはない。
だけどふとした瞬間に何か考え込んで難しい顔をしていたり、話している途中にソワソワ落ち着かない感じだったり。
一度、一緒にいるのにやけにスマホを気にしていることがあって、それで「どないしたん?」って聞いたことがある。
「え゛?」
「え?…いや、えらいスマホ気にしてんなぁって…今日なんかあるん?用事とか…」
「あ、ちゃ、ちゃうねん。なんか、ほら、あれ」
「あれ?」
「あの……ほらあれや、あれ………あっ!!!」
「?!な、なにっ」
「ごめん電話やっ…ちょ、ちょおここで待っとって!」
ほんまにこの時の私はぽかん、としてたと思う。
治くん、いっつも仕事の電話でも目の前で出るやん。どっか行くとかしたことないやん。そんな聞かれたくないやつなん?それって………なに?
気にせんとこ、気にせんとこ、って思うほどそのことが気になって仕方なくて。その後戻ってきた治くんは「お待たせ、ごめんやで名前ちゃん」なんて笑った後何にもなかったかのようにしてるのが余計に気になる。え?結局誰やったん?何やったん?…って聞けたらまぁいいけど、聞く勇気は持てないし。
それで、冒頭の日常的な違和感。何かあるのは確実で、でもその何かが分からない。
そんな私が思い付くのっていったらまぁネガティブなことになっちゃうわけで。
「もしかして…浮気、とか」
治くんに限ってまさかそんな。第一空いてる時間は割と私と会ってくれるし、その頻度が減ったわけでもないし……でも付き合うまではいってないけど気になる子が出来たとか、それなら私といるときに上の空になるのも目の前で取れない電話も、説明がつく気がするし。
治くんの店、可愛い子だっていっぱい来るし。私だって元はただの常連客で、そこからたまたま仲良くなれただけだし。
付き合う前にすれ違った分これからは素直に思ったことは言い合おうな、って、約束したはずだった。だけど治くんは言ってくれないし、私も聞けないし。モヤモヤだけがどんどん溜まってって苦しくて。
気が付いたら私は治くんを避けるようになっていた。ほんまは会いたい。今日だって休みやのに、いっつも休みの日は治くんが泊まりにきてくれんのに。
「名前ちゃん、今週はなにする?」
「あ…今週は、ちょっと…用事あんねん…」
「へ?そうなん?珍しいやん」
「う、うん…ちょっと、友達と会おってなってて…だから、ごめん…」
「いや、別にええよ。毎週俺とばっかやしたまには友達とも遊んで楽しんできぃな」
「、うん…」
優しく笑ってくれた治くんに、ほんとは何も用事なんかないのに、自分は嘘をついて試すようなことを言っているのに、治くんはちっとも残念そうじゃないからガッカリした。最低な自分は棚に置いて。
「嘘つかへんかったら良かった…」
私は結局いつも同じような後悔をしてる。せっかくの休日に、一人きり。気分転換に買い物に出掛けてみたけど、思い出すのは治くんのことばっかりで全く気分転換にならない。もしかして治くんは今、ラッキーって他の子と会うてるかもしれん、とまで考えてしまって。
「あれっ?名前ちゃん?」
「え……?」
「こんなとこで何しと、ん、っええ?!な、なんで、何、泣いてるん、」
「えっ…あ、」
「サムになんかされたん?!こんな可愛い名前ちゃん泣かせて、どこ行っとんねんアイツ!」
「あ、ごめ…治くんは、おらへんねんけど…」
「え、…そ、そうなん?」
知ってる声に顔を上げればまさか街中であの宮侑選手、もとい侑くんと会うなんて思ってなかった。しかも、
「侑、席とってくれ……何しとん」
「あっ!いや、これは、」
「私とおんのに堂々とナンパ?さっすが宮選手、ええ身分やなぁ!?」
「あ、いや、違っ…」
いつぞやの、侑くんの彼女さん…そして治くんと侑くんの幼馴染さんも一緒だなんて。
* * *「え?治が?ないやろ、ないない!治は彼女さんのことめっちゃ好きやもん!」
「せやで!大体名前ちゃんみたいな可愛い子と付き合うて浮気する男なんかおらんて!」
「あーごめんなさいねぇ私は可愛い彼女ちゃうくて?」
「あ?!そんなこと言うてへんやろ!」
「侑の彼女さんへの言葉の端々から滲み出とんねん!!!」
「お前の勝手な被害妄想じゃ!」
…話には聞いたったけど、ほんまにすぐ喧嘩しだすなぁ。目の前の二人に圧倒されて、私はただただそれを見守ることしか出来なかった。
たまたま居合わせた駅前のカフェ、流れで同じ席について話を聞いて貰えばさすがカップルというのか幼馴染というのか、二人ともおんなじ顔しておんなじことを言う。
「せ、やけど…治くんが最近変なんは絶対で…」
「うーーーん…まぁ治はちょっと不器用っていうか、相手のこと考えすぎて自分の思ってること言わんところあるからなぁ…」
「何その言い方、お前なんか知っとお?」
「まぁ、ちょびっと……でもこれは治本人から言わなあかんやつやから、」
「はぁ!?何隠しとん、ここまで来てんから言えや!」
「無理!治に口止めされとるもん!…あっ」
「"あっ"ちゃうわ!ほれ見ぃ、名前ちゃんが泣きそうやろがい!」
「え!?あ、や、ご、ごめんなさい!私そんなつもりちゃうくて…」
「あ、…いや……」
侑くんに指摘されて、私は慌てて俯いた。
だってしょうがないじゃん。私は知らなくても、幼馴染の彼女は知っていること。治くんが最近変な理由。
浮気はない、そう断言してくれた侑くんの幼馴染彼女さんは嘘を言っているようには見えなくて、じゃあどうして?その理由は彼女にしか知らされていない。
それがこんなにも辛くて、悔しい。私だって治くんのこと知りたいよ。せやけどじゃあ、どうしたらええの…?
ゆらゆら揺れる視界は今こうやって治くんがおらへんから。一緒にいられる二人の時間を、私は嘘ついて逃げるしか出来へんから。
「…お、治くんに会いたいっ……」
そう呟いた時。
「おるっ…、けど!?」
「………えっ…?」
「なん、二人で名前ちゃんのこといじめとん?つーかなんで一緒におんねん!」
「はぁー?連絡したったんに、感謝しいや!」
急に目の前に現れた、治くん。見たことがないくらい息を切らして汗だくで、ああ、ボタンも一個掛け違えてる。
目を見開いて治くんを見つめたら、ぽろって一粒だけ涙が落ちた。
「おまっ…いつの間にサム呼んだん」
「さっき喋ってる間に連絡入れといた。…ええか。私は治と彼女さんのために、呼んだってんで!今話さんかったら絶対後悔する!私は治にそんな思いしてほしくない!」
「…なん、やねん…」
「治は昔からずっと私の話聞いてくれたやん!?せやから、こんな時ぐらい私だって手助けしたいやん!」
「手助けって…」
「彼女さん、治がおかしいのん気付いてるで!そんで、浮気疑われとるで!?治がはよはっきりせえへんから!」
「えっ」
「ちょ、え、何で言っ…」
「ほな!私と侑は退散しますわお二人でごゆっくり!」
「えっ………!?」
言うだけ言って、とはまさにこのこと。幼馴染彼女さんは、座ってた侑くんの腕を取って立ち上がる。嵐のように去っていった二人の背中を見つめて、私と治くんだけがこの空間に残って。
二人が見えなくなっめ恐る恐る治くんに視線を向けると…丁度治くんも私に向いてくれて、ドキンと胸が跳ねた。
「…治くん」
「…今日は友達と会う言うてへんかった?」
「っ、…それ、は…」
「嘘?」
「…ごめ、なさい…」
ああ。もう治くんにこんな顔させたくなかったのに。ちょっとだけ傷付いた顔をする治くんを見て、じわじわと罪悪感が湧き上がる。
治くんは何も言わんと私の前に座って、侑くんが残していったカフェオレを飲んだ。…黙られんのが一番怖い。
ここまで来てこんなことになっても、やっぱり治くんがもう私のこと好きじゃないんやったらどないしよ…って思ってしまう。
俯いて、ただ涙を堪えて…するとゆっくりと伸びてきた手が、私の前で手のひらを上に向けて置かれた。
「…?」
「手、出して」
「手…」
「ああそっちちゃうくて、左」
「こっち…?」
戸惑いながらも治くんの手に左手を重ねる。治くんはそれを確かめるように、ゆっくりぎゅ、ぎゅ、って何度もそれを握る。よく分からなくてされるがままの私に、治くんはその温もりと共に口を開いた。
「…浮気なんかしてへんよ」
「え…」
「名前ちゃんしか見てへん。浮気なんかせえへん」
「治、くん…」
「でも不安にさせとってんなぁ……ごめんな、全然気づかへんくて。あかんなぁ俺」
「治くん…」
見つめれば、眉をハの字に下げる治くん。その表情に、私はグッと苦しくなる。ごめんなさい治くん。そんな表情しないで。
だけど。私からもぎゅって手を握り返してその温もりを追うけど、今度は治くんがその手を離してしまった。
「えっ…」
「…話したいことがあんねん」
って。どくん…どくん。胸が嫌な音で鳴った。話したいこと。なんやろう。いい話ちゃう気がする。
今の今までまだ私を想ってくれていると思ったのに、簡単に揺らぐ自分が恥ずかしくて情けなくてそして申し訳ない。
だけど私はそれくらいもう自信を無くしてて…それで治くんの言葉に動揺した。
「話したいこと、」
「おん。…聞いてくれる?」
「…う、ん」
ほんまは聞きたない。そう言えたら、どんだけええか。
だけど治くんは、私をただ真っ直ぐに見つめて…そしてこう言った。
「名前ちゃんのことが大好きです。結婚してください」
「………っ、?」
一瞬意味分からんかった。だけど治くんは至って真面目な顔で、もう一度ゆっくりと告げる。
「名前ちゃんとずっと一緒におりたい。……結婚しよ?」
気付いた時にはもう涙が頬を伝ってて、だってこれは不可抗力だ。治くん、ずるい。ボロボロ落ちるそれを見て、治くんはゆるっと笑ってポケットから箱を取り出す。
肌触りの良さそうな生地のそれを開けて、出てきた指輪にまた私は涙した。
「……ぴったりやん、名前ちゃん」
「な、んそれ……なんでぇ?」
「ふっふ、俺の目に狂いはないからなぁ…で。返事は?」
「………お願い、しますっ…!」
左手の薬指。女の子なら誰もが一度は憧れる輝き。
「…はぁ…やっと言えたわ。ずっとタイミングはかれんくて、…ごめんやで、それが名前ちゃんのこと不安にさせてるなんか思わんかってん」
「そ、それで……治くん」
「ん?」
「…知ってしもうたついでに聞くけど、この前電話きとったんって…」
「電話?」
「あの…私の前でかかってきたのに、どっか行ったやつ…」
「…ああ!あれな、注文しとった指輪があの日出来あがるからって電話待っとってん」
「ふっ…ふふ…なんやぁ……」
「え?それも不安にさせとったん!?」
ころころ表情が変わる治くんが可愛くて、笑みが溢れる。久しぶりにちゃんと笑えた気がして、ああ、私だってさっきまで泣いてるのにもう笑ってるやん。
嬉しそうに治くんが私の薬指を撫でてる。それを私が、嬉しくて仕方ない目で見てる。それでええやん。…それだけでめっちゃ、幸せやん。
さっきまでどん底にいたのに急に訪れた幸せに、私はその後治くんに何回も愛の言葉を伝えるのだった。
21.05.30.
title by ユリ柩
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