黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

浮遊病
「ってことは?」
「…好きになっちゃいました…」
「わああ来た!青春!!」
「あああほんとのことになってしまった…悔しい…」
「なーに言ってんの!いいじゃんいいじゃん、黒尾くん有望株だし!」
「……そう、ですかね」
「そうだよ、応援する!」

「っていうか黒尾くんも絶対名前ちゃんのこと好きだと思うけどねぇ」、なんて言っているミチカ先輩は昨日一人で帰る私のことを心配していたらしい。私からしたら先輩の方が美人だし私より遅い時間に上がるから心配なのだが、先輩はいつも彼氏さんが迎えに来てくれるみたいだった。

そして昨日のことが最終的な引き金になって黒尾が好きになってしまった事実を告げれば、先輩はまるで自分のことのように大喜びしてくれた。

「ほら、噂をすれば」
「あ」
「ドーモ」

いつもとほぼ一緒の時間に来店した黒尾に、またどきりと胸が跳ねる。今日の教室でのアレから上手く黒尾の顔を見れないし。っていうかそれも先輩に相談したかったのに…!
だってだって、あんなに意味深な言い方されたら気になっちゃうよ。もしかして、って思っちゃう、で、そんな自分が嫌になる。私ばっかり黒尾のこと意識して、どうして黒尾は別に普通なの…?

「いらっしゃいませ黒尾くん」
「お、…お疲れ黒尾」
「苗字も。てかミチカさん、なんか久しぶりっすね」
「確かに、先週ぶり?ちょっとあいたよね」
「これ、なんだと思います?」

そわそわ落ち着かない私になんて気付かずに心なしかいつもより少しだけ嬉しそうな黒尾は、挨拶もそこそこに鞄の中から何かを取り出した。あれ、その袋…

「も、もしかしてそれ…サイン入りパンフレット…!?」
「ピンポーン」
「え、なにこれどうしたの?」
「俺が当てました」
「ええっ!すご…!」

やっぱり。見覚えがあるなと思ったそれは日曜日に一緒に観に行った映画で黒尾が当てた、サイン入りパンフレットの袋。あのとき嬉しそうに笑った黒尾に不覚にもときめいたんだっけ。でもなんでそんなの…なんて思っていると、黒尾はその袋を先輩に手渡した。

「え?」
「ミチカさん欲しがってたんで、プレゼントです」
「え…!えっ?いいの?」
「はい、俺別にパンフレットいらないんで」
「えぇ〜うそ、やばい…ほんとに?いいの?嬉しい…!」

思いもよらぬ黒尾の行動に、驚いたのは先輩だけじゃない。私もだった。

黒尾、それ欲しかったんじゃないの?あげちゃっていいの?
先輩がそれを欲しがっていたのは黒尾も知っていたんだろうけど、でもあの時あんなに喜んでいたのに。そう思ってもまさか先輩の前でそんなこと言うわけにはいかず、私は二人を見守るしかない。

「そうだ、名前ちゃんと行ったんでしょ?どうだった?」
「えっ」
「あー…面白かったよな」
「あ、うん…」

やばい。その時、まず思ったこと。先輩の言葉に一瞬チラリと私を見た黒尾の顔は、本当に一瞬、一瞬だけど、真顔だった気がする。…これ多分言っちゃいけなかったやつだ。黒尾は何も言わなかったけど、きっとそう。そしてそれがどうしてかも分かってしまった。

…黒尾、ミチカ先輩が好きなんだ。

「…あ、あの、私そろそろ上がります」
「あ、うん、もうそんな時間かぁ」
「着替えてきまーす」

黒尾の顔、見れない。逃げるように事務所に戻った私は、なるべくゆっくり着替えた。どうしよう、私、やっちゃった。
もしかしたら先帰ってるかも、なんてちょっと期待して戻るけどいつも通り黒尾はそこにいて、いつも通り先輩おすすめの激辛豚キムチマンと私の好きなシュークリームを買っている。

「あ、来た」
「名前ちゃんお疲れ〜」
「あ、…お疲れ様、です」
「黒尾くん、今日も名前ちゃんよろしくね!」
「はい。ミチカさんも帰り気をつけて」
「ありがとー」

一見いつも通り笑っている黒尾がこわい。店を出て、ゆっくりと歩くこの帰り道は昨日変質者に遭遇した場所で、黒尾に助けてもらった場所。この気持ちを、自覚してしまった場所。
まさかその次の日に、こんな気持ちでここを歩くことになるだなんて思わなかったけれど。

「あー…あのさ、今日、やっくんが言ってたやつ」
「…うん」
「もう苗字も気づいてると思うんだけど」

これを聞いて、さっきまでの私だったらきっとバクンバクンと鳴る心臓を押さえて、でもちょっと期待しちゃってたんだろう。聞きたくないけど、聞きたい、…なんて思いながら。次の言葉を待っていたと思う。
だけど今は……もう何も言ってほしくなかった。聞きたくなかった。勿論そんなこと黒尾に伝わるはずもなくって、そのまま出てきた言葉は予想通りのもので。

「俺、ミチカさん、好きなんだけど」
「…うん」
「気づいてた?よな?」
「…そりゃあ…黒尾、分かりやすすぎるもん」
「え、まじ?やば、もしかして本人気付かれてる?」
「いや…それは多分大丈夫」
「はー…そっか。良かった…」

そんな表情しないでよ。ズキンズキンと胸が痛くて、グッと唇を噛んだ。声が震える。まだ、だめだ。泣くな。普通にしなきゃ。

私に真実を告げた黒尾は、安心したのか急に饒舌になって「苗字のお陰で名前知れた時は嬉しかった」とか「激辛が好きとかめちゃくちゃ意外」とか「パンフ渡した時の顔見た?めちゃくちゃ可愛いかったんですけど」とか。

ああ、私がいちいち喜んだり動揺させられていた黒尾の行動は本当は全部先輩に向けられていたんだ。
私を毎日迎えに来るのも先輩に会う口実だし、毎回苦手な食べ物を買うのも先輩の好きなものだからだし、先輩が欲しいものだから興味のない映画だって観に行っちゃう。そんな黒尾、似合わないよ。笑っちゃう。

バカだなぁ黒尾。あんたの好意全然伝わってないし、先輩、黒尾は私のこと好きだと思ってるよ。……バカだなぁ、私。それなのにそんな黒尾のこと、好きになっちゃったよ。

ここで先輩彼氏いるよって言ったら何か変わるのかもしれないけど、脳裏に過った考えはすぐに消えてなくなってしまう。それを黒尾が知ってても知らなくても、こんなに嬉しそうに先輩の話をする黒尾が傷ついた顔を見たくなかった。

高校に入ってから一番仲の良い男友達。黒尾のことなら結構何でも知ってると思っていた私は、結局全然知らないことばかりだったんだ。
やっと自覚した恋心は、たった一日で失恋してしまった。

「じゃ、また明日、苗字」
「うん。…またね、黒尾」


20.12.30.
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