「お、おはよ、黒尾」
「大丈夫?」
「うん、昨日はありがとう」
「いーえ。パトロール強化してもらえるみたいでよかったな」
「うん」
「でも気をつけろよ」
「いつもは黒尾が送ってくれるじゃん」
「毎回遠慮してるくせに何言ってんだか」
昨日結局最後まで付き合ってくれた黒尾は、今日も朝一番に私の心配をしてくれた。黒尾が誰にでもそういう性格だっていうのは分かっているのに、期待してしまう。ていうか黒尾って、こんなにかっこよかったっけ。黒尾のくせにムカつく。
…だめだな、私。好きって認めた途端、なんでこんな乙女脳になっちゃうんだ。
「てか膝、昨日よりすごいことになってんね?」
「昨日帰ってきたお母さんにやられた。高校生なのに恥ずかしいんだけど…」
「まぁ傷残っても困るし我慢だな」
「うん…」
「痛くねーの?」
「昨日お風呂で泣いた」
「ドンマイ」
昨日シャワーのお湯が染みて激痛をもたらした膝元を見て、ため息を吐く。今日も痛いんだろうなぁ、と思うと憂鬱だけど仕方ないよね。
「ほい」
「?」
「お見舞い」
「お見舞いて」
頭の上に何かを乗せられて、手に取って見てみるといつも私が買うチョコレート菓子で。よく見ると、パッケージに黒いマジックペンで何か描かれている。
「これは?」
「苗字の似顔絵」
「下手すぎでしょ」
「おま、俺の力作だっつーの」
「あはは、ありがと黒尾画伯」
どう見ても子供の落書きにしか見えないそれは、黒尾力作の私の顔らしい。そんなものまで特別な気がしてしまって、バレないように私は笑った。
高校に入って、自分の身には起こらなかった代わりに周りの友達の話は嫌というほど聞いてきた。いつもいいな、と思う割に本気で彼氏が欲しいと思い悩んだことがないのは、私の近くにはいつも黒尾がいたからなのだろう。近すぎない、でも決して遠くない距離感の男友達。結局いつの間にかそんな黒尾に惹かれている自分がおかしくて、でも嬉しくも思う。
恋をしている周りの友達は、みんな可愛くて、そして楽しそうだったから。実際私だって、憂鬱な授業でさえも見慣れたはずの黒尾の後ろ姿を眺められるだけでドキドキして特別な時間へと変わる。
ずっと見ていたからだろうか、
「!」
不意に黒尾がこっちを向いて、突然合った視線に目をパチクリとさせたあと黒板の方を指さしながら口パクをした。
前、向けよ
にやりと笑われて、どきんと胸が鳴る。ああもう、ほんとさあ。こくこくと頷いた私に黒尾もまた前を向いて、なのに私は飽きもせずそんな黒尾を見つめるのだった。
「あ、苗字」
「夜久だ。移動?」
「うん、理科室」
「今日多分小テストあるよ」
「え、まじ?やば」
「答え持ってる、あげようか」
「神か」
休み時間、さっきのこともあって盛り上がってしまった脳内を少しでも落ち着かせたくて何となく廊下に出たら遭遇した夜久。昨日うちのクラスでも実施された小テスト情報を渡そうと、一度教室の自分の席へ戻るとそれを見ていた黒尾がこちらにやって来た。
「あれあれぇ?苗字は何してんのかな?」
「昨日の小テストの答え見せてあげようかなって」
「いや、それはやっくんのためにならないデショ」
「えぇ〜よくない、こんくらい?」
「おーい苗字、まだ?」
「あ、ごめん、すぐ行く!」
机の中にあるファイルから、昨日使った小テストとその答案を取り出す。待ちきれなかった夜久は私のもとにやって来て、もうここで覚えていくつもりなのか上から目を通しはじめた。
「ちょっとやっくん、ずるいでしょ」
「うっせぇ、お前のせいで最近全然勉強出来てないからいいんだよこれくらい」
「?なんかあったの?」
「ちょ、夜久」
「苗字知ってる?こいつの好きな奴の話」
答案から顔を上げて、ニヤリ、そう表すのがぴったりな表情を作った夜久。"好きな奴"、ワザとらしく強調されたそのワードを聞いた瞬間、分かりやすく焦り出す黒尾と、またうるさく騒ぎ出す私の心臓。
チラッと黒尾を一瞥した夜久は、そのまま言葉を続ける。
「毎晩毎晩今日はどうだった、こんなことがあったとか言ってきてさぁ。女子かよって。お陰で俺寝不足なんですけど」
「ちょっとやっくん黙ろうか!?」
「え、なんで?」
「なんでも!それは俺とお前の秘密でしょ!」
「なんだよそれ、気色悪ぃ」
「いいよそれでも!」
自分より身長の低い夜久を後ろから羽交い締めにして口を塞ごうとする黒尾の頬は、ちょっぴり赤くなっている。それを見て、私の方が動揺してしまいそうになるのを必死に隠した。
その話、聞いてみたいようなみたくないよな…。黒尾、やっぱり好きな人いるんだ。ねぇ、それってまさか。…なんて考えて、いやいやこれ私だいぶ痛い奴じゃんって思うけど、好きな人がいる女子なんてみんな考えることは一緒だと思う。好きな人の好きな人が、自分だったらって。
ドタバタと二人が取っ組み合いをしているのをただ眺めているようで、私の脳内は忙しい。
そんな中チャイムが鳴りはじめて、黒尾に回し蹴りを入れた夜久は慌てて教室を出て行った。「もし今日のテストダメだったらお前の話もう絶対聞いてやんねぇからな!!」なんて言葉を黒尾に残して。
「………」
「………」
一気に静かになった教室にはまだ先生は来なくって、さっさと自分の席に戻ればいいのに黒尾は私を見下ろしている。
「…なに」
「…今の忘れてネ」
「えー…」
「な、お願い、そのうちちゃんと俺から言いたいから」
「……な、」
にそれ。ボボボッと身体が熱くなる。最後までは言わせてはもらえず、ガラガラと扉が開いて次の授業の先生が入ってきた。
「何してんだ黒尾、座れー」
「はーい」
先生に促されて漸く自分の席へ帰っていく黒尾を、私はもう見ることができなかった。
20.12.18.