黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

見えざる思慕
今日はやけに挙動不審だと友達に言われてもそんなことないよ、と誤魔化した。ほんとは自分でもわかっている。昨日から落ち着かなくて、ふわふわとどこか宙に浮いているような感覚。
登校して、朝練終わりの黒尾が教室に入ってきた瞬間に騒ぎ出す胸の鼓動。わかってるよ。でも、認めたくない。

「黒尾〜!なんか名前へん、どうにかして」
「ちょっ」
「何で俺?」

昼休み。友達はいくら話しかけても上の空の私に近くにいた黒尾をあてがって、ついに他の所へ行ってしまった。全然話聞いてなかったもんな、私。律儀に黒尾は近くの空いている席から椅子だけ持ってきて、「どうした?」なんて聞いてくれる。優しいかよ。
でも、あなたが原因です、なんて言えるわけがない。

「何でもないよ」
「そ?体調悪いんじゃね」
「そんなことない」
「なんか顔赤いし。熱ある?」
「えっ」
「え、なに」
「あ、いや…なんでも。熱ない、元気」

こんな、黒尾と話すだけで赤面する日が来るなんて思わなかった。無理、何これ、恥ずかしい。若干カタコトになりながら返事する私は、訝しげな黒尾の視線から逃れようと意味もなくスマホを付けたり消したり。絶対変って思われてる、これ。もうやだ。
それでも黒尾はそれ以上突っ込んではこなくて、ホッとした。

「昨日楽しかったデスネ」
「…そうですね」
「なにそれテキトー」
「うわ、めんどくさい彼女みたい」
「もう!ちゃんと話聞いてよね、ぷんぷん!」
「ノってこなくていいから」
「ふっ、なんだ元気じゃん」
「だから何でもないって言ってんじゃん」

何とか平常心を保とうとして、必死なだけですけど。そんな私の心情なんて知らない黒尾は、いつもと同じように勝手知ったる私のスクールバッグの中から常備しているお菓子を取り出し食べ始めている。ちょっとそれ、私もまだ食べてないんだけど。そう言うと、昨日のポップコーンみたいにまた一粒私に差し出してくるから黒尾これわざとやってない?なんて疑いたくなった。私達って前からこんな距離感だっけ。前はそんなことなかったのに、今はたったこれだけで緊張してしまうんだから一周回って面白いくらいだ。
私は何でもないように黒尾からそれを受け取り、口に放り込んだ。甘い。

「そういえば今日帰り行けないんだけど、バイトある?」
「入ってるけど…なんで?」
「ちょっと今日終わるの遅いんだよなぁ」
「え、いつもより?大変だね」
「そ。だからミチカさんによろしく言っといてネ」
「はいはい」
「苗字も帰り気をつけろよ」
「はいはい」
「はいは一回!」
「はーい」
「伸ばさないの!」
「お母さん?」

茶化してるけど、黒尾今日は来ないのか、なんて普通にちょっと残念に思っちゃってるのも嫌になる。自分でも気づかないうちに、一緒に帰るあの時間が楽しみになっていたみたい。

黒尾はそれから楽しそうに最近の部活の話をし始めて、聞いてるうちに今まで一回も行ったことないのに試合の応援行ってみたいな、とか思ったり。
今更黒尾にこんな気持ちを持ったところでどうしたらいいか分からない。どこまでなら、普通の友達として許される?どこまでなら、怪しまれない?そんなことをぐるぐる考えてしまう時点で重症だ。

色々考えても答えは出ないし、結局考えることを放棄していつも通りくだらない話をして過ごしたのだった。


* * *


「お疲れ様でーす」

黒尾がいない帰り道は、ものすっごく久しぶりな気がする。ていうか実際久しぶりか、毎日来てくれてたもんな黒尾。
スマホで音楽を流して、イヤホンを耳に突っ込む。選んでしまうのはいつも好んで聴いていたロックなんかじゃなくて今流行りの恋愛ソングで、聴こえてくる歌詞にちょっと分かるかも、なんて思ったり。自分がこんな乙女チックなことをするタイプだと思わなかったな。いや、別に恋してるわけじゃないけど。………まだ。

でも、寝ても覚めても黒尾のことを考える時間が増えたのは本当。前より明らかに開ける頻度が増えたメッセージアプリのトーク履歴は、自称イケメンアイコンの黒尾が一番上にいる。なんやかんや毎日続いているやりとりは今日はまだしてなくて、昨日の夜で止まっているのがなんか寂しい。でも黒尾、まだ部活だし送っても気付かないよな…

「ねえ」
「きゃっ」

考え事をしていたし、イヤホンで音楽を聴いているせいで後ろから人が来ていたことに気が付かなかった。急にぐいっと肩を掴まれ、私は驚いて振り返る。

「ちょっと一緒に遊ぼうよ」
「えっ、わ、」

そこにいたのは、マスクをした背の高いおじさんだった。そのまま腕を掴まれ引き擦るように引っ張られて、突然の出来事に何が起こっているのかわからない。でも、向こうに黒い車が停まっているのが見えてやっと頭の中で警鐘が鳴り始めた。やばい、連れていかれる…!
思い出すのは、最近このあたりに変質者が出るからと私に言った、ミチカ先輩と黒尾の言葉。あれ本当だったんだ、なんて思っても今更遅い。

「ちょ、っと…離して!」
「うんうん、向こうでゆっくり話そうね」
「やだ…!ぃやだ、」

容赦ない強い力に、必死で抵抗しても段々と車の方へ連れて行かれて、やばいのに恐怖で大きな声が出ない。大体こんな人通りが少ないところで叫んだって、誰も来てくれない…!それに怒らせて何かされたら?どうしよう、どうしよう、誰か助けて…!

「苗字!」
「チッ…!」

祈りが届いたのか誰かが走って来て、それに気付いたおじさんは私の腕を掴んでいた手を離し、私は勢いよく地面に倒れ込む。コンクリートに擦れた手と膝が焼けるように熱を持って、思わず「い゛っ…」と声が漏れた。
男は私を置いて車に乗り込み、勢いよく走り去ってしまう。と同時に「苗字、おい!大丈夫か?」聞き慣れた声が降って来て、見上げると息を切らした黒尾がいるから私はそこでようやく我に返った。

「くろお…」
「なんかされた?どっか痛い?…うわ、血ぃ出てる」
「黒尾…どうして…」

焦ったような表情の黒尾を見て、多分安心したんだと思う。さっきまでの恐怖が一気にやってきて、ぼろぼろと涙があふれ出した。怖かった。連れて行かれるところだった。…黒尾が、助けてくれた。黒尾は私の横にしゃがみこんだまま、遠慮がちにゆっくり私の頭を撫でる。

「ひっ……ぐぅ、っ…こわ、…かったぁ…!」

さっきのことも、今も、全然現実味がない。それから私は子供みたいに泣いて、泣きすぎて、頭がぐわんぐわんと揺れていた。
暗くて人通りがないとはいえ二人して道端に座り込んで、片方は大泣きしているなんて。黒尾にこんなところを見せるのは恥ずかしいけれど、髪に触れる手が温かくて余計に涙が止まらなかった。

漸く落ち着いて、というか泣き疲れて、頬が乾いた頃。それまでずっと黙って頭を撫で続けてくれていた黒尾が、口を開く。誰もいないせいだろうか、久しぶりに聞いた気がする黒尾の声がやけに響いて聞こえた。

「大丈夫?…じゃ、ねぇよな…」
「ん…ごめん、めっちゃ泣いた」
「いや、あれは怖くて当たり前、つーかマジで焦った…歩いてたら苗字連れ去られそうになってっし」
「死ぬかと思った…」
「だから気をつけろって言ったじゃん」
「うぅ…」
「今更ながら警察行ったほうがいいやつだけど一緒に行こうか?苗字ん家まだ親居ないんだろ」
「うん…でも、…大丈夫…」

黒尾だって部活帰りだしこれ以上巻き込むわけにはいかない。誰でもない、自分に言い聞かせるように言ってみるけど手はまだまだ震えていて。黒尾もそれにすぐ気が付いたようで、はぁ、とため息を吐いた。

「なんでこんな時に強がってんの」
「だ、って…黒尾、疲れてるし…」
「いやいや、俺がそんなんで苗字一人にするような奴に見えますか」
「いや、そういうわけじゃ…」
「さっきも言ったけど、怖いの当たり前だし。一緒に行こうぜ」
「…うん…ありがとう」
「どういたしまして」

私を安心させてくれるようにいつも通りに笑ってくれる黒尾の表情が心に染みる。本当はまだこわくて、一人になんてなりたくなかったから。そんな時に来てくれたのが黒尾で良かったとすら思えてしまう。

…ああやばい、私、本当に。

「立てそう?つか先に絆創膏買おうぜ、膝痛そう」
「あー…ほんとだね…」
「苗字歩ける?つか立てる?」
「うん、だいじょぶ」
「なんなら手でも繋ぎましょうか」
「は、っ!?いい、いい!」
「そんな拒否しなくても俺と苗字の仲じゃないですか〜」
「い、いいから!」
「あ、そ?」

拒否っていうか、…びっくりしただけなんだけど。暗くて良かった、今私、絶対に顔赤いやつ。
ニヤニヤと揶揄ってくる黒尾を横目に、私はもう認めざるをえなかった、自分の気持ち。

…黒尾が好きなんだって。


20.12.11.
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