黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

かの幸福を知るよしもなく
「黒尾って苗字の話はあんまりしねぇよな」
「え?」
「コンビニの……あの人んときは、聞いてもねぇのに夜よく電話してきてたじゃん。まぁ別に聞きたくはねえからいいんだけどさ」
「ちょ、やっくんそれ今言う!?」
「は? 別にいいだろ」
「良くねえよ!」
「……フーン」
「ちょ、苗字サン!? 違うから、誤解だからね?」
「え? 私なんも言ってないんですけど」
「でも絶対考えてることはわかるし違う!」
「…………」

 必死に弁明する黒尾のそのあまり見たことがない慌てぶりに吹き出しそうになったけど、私は必死に耐えた。

 ちょっとした悪戯心でわざと『不機嫌ですよ』って露骨に顔を歪めてはみたものの、実際はそこまで気にしていない。ていうかなんにも違うことないじゃん。もう今夜久が言ったそれが事実じゃん。

「……自慢出来ない彼女ですみませんね」
「おまっ、だから違うって!」
「そりゃあミチカさんと比べたら話すこともないと思うけど?」
「だあああもうっ! 夜久!」
「なんだよ」
「こンの……おばか!」

 夜久に当たるのは違うでしょ、黒尾サン。
 黒尾と付き合い始めてからは前より更にバレー部と絡む機会も増えて、今もこうして夜久と研磨くんも含めた四人でお昼ご飯を食べている。……まぁ今日のこれはちょっとイレギュラーな組み合わせだけど。

 珍しく昼休みに二人でいた黒尾と研磨くんを見つけてそこにお邪魔させてもらい、更にそこへ通りがかった購買帰りの夜久もお誘いしたらこんなメンバーになってしまったのだ。

 それで、夜久のさっきの発言。『そうなんだ』っていうのがまず最初の感想。それから『そうだろうな』っていう納得。

 ミチカ先輩のことが好きだった黒尾が周りにウザがられるくらいに先輩の話をしていたことは知ってるし、それは前に夜久本人から聞いた。

 そのときの私は『もしかして黒尾って私のこと好きなの?』なんて恥ずかしすぎる勘違いをしていたからそれどころじゃなかったけど、今思えばそういうところは黒尾も意外に普通の男子高校生なんだなぁって思う。周りより少しだけ大人びた黒尾がそんな風になる相手。残念ながら私はそうではなくて、でもそれは今更、わかりきっていたことだし。
 ……そう思えるようになったのも最近なんだけれど。

 今は黒尾も私のことを好きでいてくれるって、ちゃんと知ってるから。だから黒尾が他の人に私の話をしないって言われてもそこまで気にしないし、逆にされてたら恥ずかしいよ。
 それなのに黒尾はその後もその件を私よりずっと気にしていたらしく……放課後になってもまだ、眉を寄せて難しい顔をしていた。

「……なに」
「……いや」
「なんにもないなら私、バイト行くけど」
「え。あー……ちょっと時間ある?」
「私はあるけど……黒尾はすぐに部活でしょ?」
「いや、ちょっとだけ……ちょっとだけだから」
「いいけど……」

 黙って手を引かれ連れてこられたのはすぐに部活に行けるようにか、体育館裏。立ち止まってこちらを振り返り、ようやく私と目を合わせた黒尾を私もジッと見つめる。

「……」
「?」
「……昼休みのこと、なんだけど」
「昼休み?」
「……夜久が言ってたやつ」
「またその話?」
「だって絶対誤解されたまんまだし、」
「いや……してないって」
「してる」
「してない」
「してる」
「しつこいなぁ……」

 ていうか私が良いって言ってるんだからいいじゃん。どうしちゃったの、黒尾。

 そうやってちょっとだけうんざりして見上げた黒尾は、なんとも言えない表情をしている。私の頭に手を置いて、……それからくしゃりと髪をかき混ぜて。

「苗字に嫌な思いさせてたら、俺が嫌だから」

 って。呟いた黒尾のその表情に、ドキッと心臓が跳ねた。

「……なに、それ」
「……してないならいいけど」
「うん……?」

 なに。そのまま無言でしばらく頭を撫でられて、……なんかよくわかんないけど、私も少しだけ黒尾に身を寄せる。目の前のシャツをキュッと掴んでされるがままになっている、そんな沈黙の時間が過ぎた。

 黒尾は部活があるしこんなことしてる場合じゃないのに、なんだか離れ難い。いつもは学校で二人きりになることなんて滅多にないけど、今は珍しくこの場に私たちだけだから? まだ一緒にいたいと思うなんて。

「…………」
「…………」
「……部活、行かなくていいの」
「や、……行かねえと」
「だよね」

 それでも私は小さく笑って、黒尾から離れようとした。

「えっ」

 なのにその瞬間、黒尾は逆に私の背中に手を回しギュッと抱き締める。そんな、引き寄せられたその勢いでバランスを崩した私も、黒尾に抱き付くようになってしまった。
 今更だけどここは学校で、こんなの誰かに見られたらと思うと恥ずかしい。だから抗議の意味を込めて「ちょっと」って漏れたその声さえも、一瞬だけ重ねられた唇に飲み込まれてしまう。

「んっ」
「あー……離れたくない」
「……ぶ、部活行かなきゃじゃん。また後で会うでしょ?」
「んー……そうなんだけど」
「頑張ってきなよ」
「さっきの続き話していい?」
「え? また?」

 ここまで来ると流石に笑ってしまった。どんだけ気にしてんのよ、って。そう思ったけど、でもずっと黒尾はなにか聞いて欲しそうだったから、今度は私も大人しく聞いてあげることにしたのだ。「あー、そのー、」って言葉を選んでるみたいな黒尾のその表情に、いつもの余裕なんて見られない。

 やがて言葉が見つかったのか、口を開いた黒尾はさっきまでみたいに難しい顔ではない。ただ眉を下げて、困ったように笑っていた。

「……あんね、」
「うん?」
「苗字が可愛すぎて、……でも俺はそれを誰かに知られたくないんですよ」
「え……」
「苗字のこと、夜久とかにあんま話さない理由。自慢出来ないとかじゃなくて、むしろその逆なんだわ。でもそれで他の男に苗字のこと見られんの、嫌なの」
「……え? なに、なになになに」
「……っていうのに、最近気付きまして」
「なっ……え? 黒尾?」
「……え、やっぱ引く? 俺もちょっとやべえなって思ってたけど、」
「引いてはない、けど……え?」
「……めちゃくちゃ顔赤いです、苗字サン」
「く、黒尾のせいじゃん……え、てか黒尾も顔赤……」
「よし、そろそろ行くわ」
「ちょっと、ずるい」

 照れ臭いからか饒舌に言葉を並べ、ようやく私を離してくれた黒尾は赤い顔を誤魔化すように右手で口元を覆って、……自分で言ったくせに。そんな黒尾にまんまと私まで赤くなってるなんて、ほんと、ずるい。

 でもあんなこと言われたら、……そりゃあこうなっちゃうよ。そんな風に思ってるなんて、知るわけないもん。

 さっき黒尾が私に嫌な思いをさせたくないと言ってくれたのを思い出す。それは多分まだ私がミチカ先輩を意識してると思って言ってくれたんだろうけど……もうとっくに、ちゃんと黒尾が私のことを好きでいてくれてるって知ってるのに。それなのにこんな、思っていたよりも更にずっと大切にしてくれていることを知った私はどうすればいいの。

「……んな顔されると部活行きにくいんですけど」
「させたの黒尾じゃん……」
「まぁ……また後で迎えに行くから。苗字もバイト頑張れ」
「う、うん……」

 ちょっぴり微妙なふわふわとした空気を残して去っていった黒尾に、私はなんて言えば良かったのか。黒尾を見送って帰ろうとすると、もしかして今のを聞いていたのか……研磨くんと目が合ってしまう。研磨くんはわかりやすく気まずいですって顔をして、だけどいつもみたいに目は逸らされない。

「あ……ぶ、部活だよね、頑張って」
「クロ、文化祭の直後はめちゃくちゃ苗字さんの話してたからね」
「え?」
「……じゃあ」
「えっ」

 それだけ言って去ってしまった研磨くんにも、私は……なんて言えば良かったのか。とりあえずバイトが終わったら、迎えに来た黒尾に問い詰めようと決意した。


22.03.12. アカシア再録本書き下ろし
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