黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

今夜夢の続きから
「あつい…無理、全然集中できない…」
「こら。ちゃんと集中しなさい」
「だって…あ、黒尾アイス買いに行かない?」
「行きませーん」
「えぇ〜ノリ悪…」
「早く終わんねーと俺が部活行けないでしょうが」
「あ、そっか。ごめん。すぐに終わらせよう」
「ぶっ…くく、そこはちゃんとやってくれるんだ?」

ニヤニヤと笑う黒尾を横目に、当たり前じゃんと心の中で言う。別に本気で集中してないわけじゃないもん、黒尾ともっと喋りたいだけだもん。
だけど私にそれを言えるような素直さは持ち合わせていない。言ったところで、揶揄われるのがオチだ。

今日は文化祭の準備で文化祭実行委員の私達だけ集まって、先生に使って良いと言われた多目的室で作業を進めていた。
スリッパを脱いで上がる、一面フローリングのこの教室は涼しいんじゃないかと期待していたのだけれど、夏休みでクーラーも付いていない場所が冷えているわけがない。じわりと滲む汗を鬱陶しいと思いながらも床一面に広げたプリントや資料を見つめた。

今度こそちゃんと作業をして、黒尾を部活に行かせてあげなきゃ。ただでさえ彼の貴重な時間を割いてここにいてくれるのだ。
するとピロン、と音が鳴って、それが黒尾のスマホから聞こえたことに遅れて気付く。

「…あ、ごめん、ちょっとだけ体育館行ってくるわ」
「あ、じゃあもう私が後やっとくよ。黒尾はそのまま部活行って?」
「なーに言ってんの。俺も一緒の委員なんだから、ちゃんとやるって。すぐ戻る」
「あ…うん」

呆れたように言いながら出て行く黒尾に、ドキドキと胸が鳴る。うう、分かってる。別にそこに特別な感情なんてない。黒尾は当たり前に自分の仕事をやろうとしているだけで、私みたいに邪な考えは一ミリもないのに。

それでも黒尾がまたここに戻ってきてくれると言ったのが嬉しくて、思わず頬が緩む。早く黒尾、戻ってこないかな。
だけど中々黒尾は戻ってこなくて、部活でなんかトラブルでもあった?なんて考えつつも本当に集中力が切れ始めた。

あー…休憩…。ごろんとフローリングに寝転がれば、生温いフローリングに汗ばんだ肌が張り付く感覚。開けておいた窓からは涼しいとは言い難い風が入ってきて髪を揺らし、目を閉じるとミンミンミン…と蝉の鳴き声が聞こえてくる。あぁ、こうしてると意外と寝られるかも……なんて少し眠りかけたとき。ガラリと多目的室の扉が開いて、少しだけ意識が浮上した。

「たーだいま…あれ」

誰か入ってきた…あ、黒尾か…… 目を瞑ったまま頭の隅で考えて、起きないと怒られるかな…でもあとちょっと…とそのまま動かない。少しでも黒尾と一緒の時間が増えて欲しいの。

すると後ろに黒尾が座った気配がして、その影なのか少しだけ瞼の裏も暗くなる。叩き起こされるかな。とか内心ドキドキしていると、ギシ…って鳴ったフローリングの音がやけに耳に響いた。

えっ………?!

一瞬何が起きたのか分からなかった。後ろにぴたりと被さる熱。それが何か、考えたら可能性は一つしかないのにでもそれはあり得ない。黒尾が私を、抱き締めている……?

ドキドキとうるさいくらいの心臓が黒尾に聞こえたら寝たふりがバレてしまう。どうしよう。今起きるべき?でも、でも………ひっ。

黒尾は添い寝した状態で後ろから私を抱き竦め、そして、首筋に顔を埋めたのだ。え、うそ、待って、私汗かいてるのに…っ!ふわりと香る黒尾の匂いが私を麻痺させて、今目を開けたらきっと色々な意味で死んでしまう。パニックになった私は本当にどうしたら良いのか分からないのに、「ん…」なんてそこで黒尾が吐息を漏らすから。私の頭は完全にショートしてしまった。


* * *


「…なぁ、今日なんかおかしくね?」
「おっ…え?おかしくないけど?」
「なんかいつにも増して挙動不審」
「い、いつにも増してって何よ。いつも普通ですー」
「えー?二人の時はまだ緊張してんじゃん、苗字サンは?」

にやり。口角を上げた黒尾は相変わらず意地が悪い。先日の黒尾の誕生日祝いの一件から、黒尾は更に意地悪になった。特に二人でいる時。恋人として二人きりの時間は、私がまだ照れて身体を硬くしているのをニヤニヤと笑っては指摘して反応を楽しんで。それが愛情表現なのだとしても、ほんっとうに性格が悪い!

「で、なーに?どうしたの?」

昼休み。たまには一緒に食べる?なんて食堂に誘われて来たのはいいけど、私は朝から一度も黒尾の顔を直視できていない。黒尾は勿論そのことに気付いていて、テーブルの向かいからワザと私の表情を覗き込んできながらそう言った。

「……ば、ばかにしない?」
「多分」
「多分じゃやだ。言わない」
「しないしない、絶対しない誓います」
「…ほんとかなぁ」

チラリと少しだけ見上げた黒尾は、ワザとキリッて険しい表情を使うから思わず笑ってしまう。すると「笑ってんじゃねえ」と全く痛くも痒くもないチョップを頭に食らって、そこで漸く私は少しだけ落ち着いた。

だけど、それを思い出すとまたドクドクと鼓動が速くなる。夢。そう、それは

「…夢、見たの」
「夢ぇ?」

夏休みはうちの学校は文化祭準備なんてしないし、そもそも委員だってまだ決まってなかった。だから色々とおかしいなって今だからこそ分かるんだけど、夢の中の私はそんな違和感に全く気付かないまままだ黒尾に片想いしてて。

ゆっくりと、思い出しながら語る夢の内容を黒尾は今度こそ真面目な顔で聞いてくれる。だけど「それで黒尾が戻って来て、…」「?で?」「戻ってきて………」「え、なに」そこで言葉を止める私に、益々続きが気になるようで早く言えと急かした。

「…く、黒尾が…私の後ろに、い、一緒に寝てきて…」
「…おう」
「そ、それで…その、…ぎゅ、って…して…」
「………」
「私、の…首に……黒尾が、顔、埋めて…」
「………なんつー夢見てんの、お前」
「だ、だから言いたくなかったんじゃん…!」

きっと今私の顔は真っ赤に茹で上がっていて、聞いていた黒尾までもが少し頬を染めている。うあああもう!やっぱ言わなきゃよかった!なに、羞恥プレイじゃん、これ!周りの喧騒なんて気にならないくらい私達の間には変な空気が流れている。

ああもうやだ、絶対変態だって思われた…!それか引かれた!絶対また揶揄われるし、無理、もうほんと無理、死にたいいっそ誰か殺して……!

羞恥で目の前がじわりと滲んで、どうしよう、なんてパニックになっていると、「ひゃっ…」「おま、変な声出さないの!」「く、黒尾が悪いよ今のは!」追い討ちをかけるように、テーブルの上で私の指に自分のそれを絡めてきた黒尾にまた過剰反応。やばい。負の連鎖ならぬ恥の連鎖だ。今日黒尾といるのは危険すぎる…!

「…こうやってするだけでまだこんなんなのにねぇ?」
「う…や、やめてよぉ…」
「無理。ここが学校じゃなかったらヤバかったわ俺」
「でも黒尾も顔赤いじゃん…」
「いやそりゃ…不意打ちはずるいだろ」
「言えって言ったの黒尾だし…」
「そんな破廉恥な展開になるとは思わなかったのー」

破廉恥。そんな風に言われて、また身体の熱が上がる。もう…ほんとやだ…。まだ鮮明に覚えている、夢の中での黒尾の匂いも、背中に感じた温度も、首筋に感じた息遣いも。

「苗字」
「…なんですか」
「今日、部活ミーティングだけなんだけど。一緒に帰る?」
「えっ」
「…俺ん家、誰もいませんけど」
「っ、」
「…夢の続き…してみる?」
「………?!」

黒尾は、私のことをどうしたいんだろう。また揶揄って遊んでるのかなんて思っても、黒尾だって私に負けず劣らず赤いんだからそうじゃないのかな、なんて。
言って良いのかな。最高に恥ずかしいのに、だけど夢のつづきが気になる、なんて。

「…お前ら二人して顔赤くして何してんの?」
「ひぃっ!」
「おわっ!」

………たまたま私達のテーブルの横を通りがかった夜久に邪魔されてなければ、私は本当に頷いてしまっていたかもしれない。


21.05.10.
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