黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

ぜんぶの宝物をくれるのだから
「わぁあ!おめでとう〜!」

黒尾と付き合って、約一ヶ月。付き合い出した文化祭の翌日から、黒尾は更に部活時間が長くなる関係でバイト先へのお迎えはなくなっていて。だけど先日、バレー部は東京代表決定戦を終え無事春高出場の切符を手に入れた。それで今日は久しぶりに、早めに部活を終えた黒尾がやって来たのだ。

「っていうか、文化祭の日に付き合い出したならもう一ヶ月も前かぁ。もっと早く教えてくれたら良いのに〜」
「どうせなら二人で報告しようかなぁと思いまして」
「だからあれだけ相談してきてた黒尾くんからの連絡も来なくなったんだねぇ」
「いやぁ、俺がミチカさんと連絡取ってると苗字が嫉妬するんで?」
「は!?」
「え〜かわい〜!」
「デショ?」
「ちょ、そんなこと言ってないじゃん!」
「二人とも見せつけてくれるね〜」

揶揄われてるって分かってても赤くなる顔にまたミチカ先輩が反応して、恥ずかしいことこの上ないけど、でも黒尾が以前のような表情でミチカ先輩を見ていないことにひどく安心する。いや、疑ってたわけじゃないけど。黒尾は今はもう私のことが好きだって、信じてるけど。

そうこうしているうちに私のシフトの上がり時間になって、ミチカ先輩がお祝いにと奢ってくれた肉まんを片手に店を出た。

11月も下旬。そろそろ寒くなって来たこの季節、齧り付くとほかほか湯気をたてる肉まんの餡が口の中に広がって、身体の力が抜ける感覚にほう、と息を吐いた。中華まんってチェーン店ごとに味が違うけど、うちのが一番好きなんだよねぇ。

「激辛豚キムチまんじゃなくてよかったね。黒尾食べられないし」
「ぶはっ、懐かしー。あれ期間限定だったのな」
「そうそう…黒尾あんときシュークリーム食べてたもんね」
「な。あれ全然腹膨れないわ」
「あっ、やっぱそうだったんだ!?晩飯あるから〜とか言ってたくせに」
「成長期なんで晩飯あってもいくらでも食べられるんです」
「カッコつけちゃってさぁー、ほんと…」

たった数ヶ月前のことなのに、もう随分と前のことに感じるその記憶。あの時は、今こうして彼氏彼女として二人で歩いてるだなんて思わなかったなぁ。

「…ミチカさんと、連絡とってないんだね」
「ん?ああ、だって必要ないし」
「…そっか」
「なに」
「いやぁ?」
「はは、心配してた?」
「え?」

隣を見上げると、黒尾もまた私を横目に見下ろしている。重なり合った視線が少し気まずくて、私はすぐに目を逸らした。

「…心配は、してないけど…」
「けど?」
「でも……もし二人が連絡取り合ってたら…良い気はしない、かも」
「………」
「だからさっき言ってたみたいに、私のこと考えてそうしてくれてたなら、ちょっと嬉しいか……え、な、何!?」
「えっ」
「手!痛い痛い!」
「あ、わり」

肉まんを持っていなかった方で繋がれていた手は、ミシミシといいそうなくらいその力が強くなって。ついに耐えきれなくなった私が悲鳴をあげると、黒尾は我に帰ったかのようにパッとその手を離して私を見つめる。

「…なに」
「ん」
「え?」
「どうぞ」
「どっ…え?こんな道の真ん中で?」
「どうせこんなとこ俺らか不審者しかいねーわ」
「ちょ、嫌なこと思い出させ…わっ…!」

その長い腕を広げ、「ん」と一言促す黒尾はそこに飛び込めと言っているんだろう。こういうの多いな。いくら住宅街であまり人気はないと言ってもここ外だし、道の真ん中だし…と躊躇っていると、黒尾の方が待ちきれなくなったのか私の手をグイと引っ張り無理矢理その腕の中にわたしを押し込んだ。

「なによ…」
「いやー…俺の彼女が可愛すぎて困るなって」
「は、はぁ?」
「俺が好きなのはちゃんと苗字だけデスヨ」
「分かってる、けど…」
「そんならいいけど」
「…でも…ありがと…」
「ん」

温かいその腕の中で、耳元に黒尾の息がかかる。好きだよって、あの日から黒尾は何度も言ってくれている。大抵それはもっと冗談ぽく伝えられるけど、でもその全てが私のことを想ってくれていると分かっていた。

ああ、黒尾は優しいよなぁ。それで、目敏い。こういうところがずるいんだよ。片想いしてたときから…いやそれよりも前からずっと、自分でさえ疎かにしていた気持ちを拾い上げてくれる。だから、好きになったんだ。こういう黒尾だから、好きなんだ。

その温もりが凄く幸せで、悲しくもないのに泣きそうになっているだなんて黒尾には気付かれぬよう…私もその背中に腕を回しギュッと力を込める。「…私も好きだよ」って小さく呟いたら、黒尾が嬉しそうに笑っているのが振動で伝わった。


* * *


「で、ミチカ先輩に相談なんですけど」
「なに?」
「も、もっと大人っぽくなるにはどうしたら良いですかね?」
「…え?」

次の日のバイト、今日もミチカ先輩と二人で話すのは漸く話題に出せる黒尾のこと。散々今までいじられてきたから、今になって私から黒尾のことを相談するなんて恥ずかしいけど。でももう一応彼女になったし恥を忍んで…でもこれは先輩にしか相談できない。っていうか、私の周りでは先輩が一番適任だった。

「実は、今週末黒尾の家に行くんですけど…」
「おお!急展開だね!?」
「そ、その…黒尾の誕生日だったんです。先週。だけどその日大会でお祝いが出来なかったんで、改めて今週お祝いすることになって…」
「ふんふん」
「黒尾疲れてるし色々連れ回すのもなって思ってたら、黒尾が誰もいないから家来たらって…その、誘ってくれて」
「わああ、黒尾くんやるぅ!」
「で、でも、私、そういうの初めてで…彼氏も、中学のときはいたけどすぐに別れたし、高校でも今までいなかったし…その…」
「一線を越えるか!ってことだよね!」
「ちょっ、先輩声おっきいです…!」

先輩の言葉に変な汗をかいた。だけど先輩はそんな私でさえ「可愛い〜」とニコニコしていて、その姿を見ているとこれだけで慌てている私の方が何だかいけない気がして。
コホン、とわざとらしく咳払いをして、私は続けた。

「そういうのも、ありますけど…私と黒尾、付き合ってからちゃんとデートとかもしたことなくて…」
「え、そうなの!?あ、でも黒尾くん部活忙しかったもんね」
「そうなんです。だから…その、ちょっとでも…なんていうか…恋人らしく?…できたらいいなって…思ってて」
「つまり、初のお家デートに向けてもっと可愛くなりたいってことね!」

そう。大人っぽく、と言ったのは単に私が黒尾はそういう人の方が好きなのかなぁと勝手に思い込んでるだけで…言いたいことは先輩が言ったこととイコールだ。
いつもは照れ臭くてあまり素直になれなかったりちょっと甘い雰囲気になりそうでも茶化して逃げてしまう私が、少しでも黒尾に喜んで欲しい、誕生日を祝いたい、という想いから来たご相談。

それに先輩はやっぱり私から見ても可愛すぎる笑顔で、「名前ちゃん可愛い〜」と言うのだ。ミチカ先輩は、私の憧れだし、黒尾の元好きな人だし。

アドバイスを求める私に、そんなことは勿論知らない先輩は、嬉しそうに色々教えてくれた。


* * *


ミチカ先輩仕込みの服やメイク、そして黒尾の誕生日を知ったその日からずっと練習していた手作りのケーキ、バイト代で買ったプレゼント。約束していた土曜日。準備は万端で、あとは黒尾からの迎えを待つだけの状態。

なんだかずっとそわそわと落ち着かなくて、自分の部屋から洗面所に行ってメイクや髪を確認したり、玄関に行って靴と合わして見てみたり、ウロウロとしている。そこに、ピロンと通知音が鳴って、誰かに見られてたら恥ずかしいくらいの速度でそれに反応した私はすぐにトーク画面を開いた。

「え…」

相手は待ちに待った黒尾から。だけどそこには、私の気分を一気にどん底まで落としてしまうようなメッセージ。

"ごめん、今日無理になった"
"まじでごめん"
"また連絡する"

短く連続で送られてきたそれに、私は震える手で返信を打つ。

"どうしたの?なんかあった?"

黒尾が読んだことを示す既読マークはすぐについたものの…だけど、それ以上返信が返ってくることはなかった。
私はただ、得体も知れぬ不安が広がる胸の前でギュッと手を握った。


21.05.04.
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