黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

いつしかもはや
「ねぇ、黒尾」
「ん?」
「見て!これ、めっちゃ可愛くない?」
「ン゛…?!…ソウデスネ」
「え、なに?可愛くない?」
「…可愛い。めっちゃ可愛い」
「だよねー」

そう言って俺に向けていたスマホを自分の方に戻す苗字は、そこに写った黒猫の写真をまた嬉しそうに眺めている。近所の公園でよく見かけるらしい。いつも少しだけ遊んでたら、めちゃくちゃ懐かれたらしい。餌とかあげたいけど勝手にあげるの良くないかなって迷ってるらしい。名前も今考え中らしい。…聞いてる、全部聞いてるとも。

だけど!正直俺は黒猫と一緒に笑顔でそこに写る苗字の方に目が行くし、なんなら今もふにゃりと頬を緩めて嬉しそうに話す苗字ばかりを見てしまうし。え、なにこれ病気?隣に座る苗字が前より可愛く見えてしょうがないんだけど、って。

「聞いてくれてます?研磨クン」
「………聞いてるってば」
「じゃあちょっとは返事しろよ!」
「………クロそれ、五回目」
「え、まじ?」
「うん。聞き飽きた」
「まじ……」

座っていた研磨の部屋のベッドに背中から倒れ込むと、チラリとこちらを一瞥してまた手元のゲームに夢中になる幼馴染。五回目か。そりゃ悪かった、聞き飽きるよな。

思い出した。一回目んときに「惚気やめて、気持ち悪い」って言われたわ。その時は相変わらず辛辣だと思ったけれど、でも確かに五回はちょっときもいかも。あ、これ自分で言って傷付く。

「…順調そうで良かったね」
「ん、まだ二週間だけど」
「…二週間でそののめり込みよう、すごいよね」
「え、今一番楽しい時期じゃん?」
「…知らないけど」
「研磨もいずれ分かるって」
「うざ」

心底冷めた研磨の声に苦笑いして、でも確かに、と思った。今のはちょっと浮かれすぎてた。
正直俺だって自分がこんな風になるだなんて思っていなくて、だって苗字とはそういう関係ではなかったにしろ一年の頃からの付き合いだしその頃から他の女子より特別だったと思うし。

一緒にいて楽。楽しい。そんな相手。それがいつからか、苗字を見ると胸のあたりがムズムズしたり、見慣れた顔のはずなのに何か前よりキラキラしてたり。少女漫画か。俺は乙女か。

「…コンビニの女神には、…そういうのなかったじゃん」

ウザがられてこの話は終わりかと思いきや、再び研磨は話し出した。まぁ、その視線はゲーム機から動くことはないけども。コンビニの女神、という俺自身が言っていたらしい(全く身に覚えがない)あだ名を聞いて思い出すのは、ミチカさん。俺がこの二年半、ずっと片想いしていた相手だった。

「愛とか恋とか、俺はそういうのはよく分からないけど…でもクロは多分、そういうのであの人を見たことないんじゃない?」
「え?いやいやいや待て、俺ちゃんと好きでしたけど!?あの笑顔に一目惚れして週三で通うのどれだけ楽しみにしてたか見てたよな!?」
「…言い方間違えた。それは多分憧れとかじゃないかってこと」
「は?」
「クロは元々、苗字さんみたいな人の方が合うと思うし。実際、楽しそうだし」
「…そりゃ、苗字とは付き合えたから両想いの楽しさ?みたいなのはあるけど…」

いまいち研磨の言っていることがピンとこなくて、首を傾げる。そんな俺に、研磨は尚も続けた。

「…まぁなんでもいいけど…でも俺には、女神に好かれるようにクロが無理してる気がしてたから」
「は?」
「背伸びして、疲れて自爆して、…でも周りにそういうの見せないようにして。元々の性格もあるかもしれないけど、歳上のあの人を意識し過ぎてる気がしたから」
「ほう…」
「苗字さんには、同級生だしそういうのなくて一緒にいられるから、だから楽。結果クロにはそれが合ってたし、…合ってるから逆にそれ程の仲になれたんじゃない。その時には既に女神っていう存在がいたから、好きっていう風に思えなかっただけで」

知らないけど。そう付け足して、今度こそ研磨は喋らなくなった。言いたいことだけ言ってくれちゃってさぁ…全く。最初から言われたことを何度も頭の中で反芻する。

そしてそれが、妙に自分の中に落とし込めたというか。ほんとにそうかもな、ってそんな気がする。いや、半分くらいは、か。
ミチカさんのことが憧れだったかと聞かれたらすぐにうんとは言い難い。研磨の言うことに納得はしつつも、二年半好きだと思っていた気持ちが嘘ではないと思うし、実際あの夏の日だってかなりショックを受けたのだから。だけど自分が予想していたよりもあまり落ち込まずに済んだのは、やはり苗字の存在が大きいと思う。それが元から苗字の方が好きだったのかどうかは置いておいて。

もしこれが本当に元から俺は苗字が好きだったのだとしたら…研磨はそれに勘づいていたのだから相変わらず恐ろしいな。まぁでも、この答えを知る方法なんてないのだが。

それからいつも通り研磨のゲームに付き合って、帰り際。部屋を出る時に、研磨は俺の背中に投げかけた。

「…俺じゃなくて、苗字さんに言ってあげたら?」
「え、何が?」
「………可愛いんでしょ。苗字さん」
「えっ」
「喜ぶと思うけど」
「…そーね」

曖昧に答えた俺に、研磨がフッと笑って言った言葉が頭から離れない。

「……クロの方が振り回されてるね」

図星だった。苗字の反応を見て揶揄って余裕を振り撒いてるつもりでいたが、実際は俺の方が苗字の反応を気にしているなんて。
相変わらずこわいくらいに人のことを見ている幼馴染に苦笑しながら帰路につき、メッセージアプリを起動させる。

「んー…」

思い出す、研磨の言葉。「…俺じゃなくて、苗字さんに言ってあげたら?」「喜ぶと思うけど」
容易に想像できる、俺の言葉にいちいち顔を赤くして、照れ隠しのつもりなのかキレるのが。だけど結局そのあと、やっぱり嬉しそうに笑う苗字の表情が。

「……やっぱ明日にしよ」

できればその顔は、俺の前でして欲しい。直接言って、直接その顔が見たい。
そうして俺は、苗字におやすみ、また明日とだけ打って送信した。

このときの俺は、まさかあんなことになるだなんて思っていなかった。ただ幸せで、既に長く一緒に過ごしてきた苗字との関係がすぐに揺らぐことになるだなんて。


「…黒尾の隣に、いる自信がない」
「は…」

また苗字に、そんな顔をさせてしまうだなんて。


21.05.02.
- ナノ -