黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

痛みを愛だと知っている
「手、繋ぐ?」
「いぁ…っど、どうだろう…」
「ぶふっ…どゆこと?」
「わ、わかんない…ああもうこっち見ないで!ちょっと今無理!」
「なんかさっきからずっと無理って言ってんじゃん。地味に傷付くんですけど」
「うっ……」

文化祭の後、私は流石にバイトは入れていなかったけど黒尾は部活があるらしく、聞いた時はただただすごいなぁ、と思った。私なんてもう走ることすらできない、今日はヘトヘトだ。「頑張ってね」そう言う私に、黒尾は無表情で暫く見つめた後ぼそりと呟いた。

「一緒に帰んねーの?」
「え」
「せっかくお付き合いしたのに?」
「うぇ」
「まぁ待っててもらわないとだし、無理にとは言わんけども」
「…ま、待ってて…いいの?」
「ん?」
「いいなら帰りたい…」
「…ん、じゃあ待っててクダサイ」

チラリと見上げた黒尾はちょっとだけ赤くなった頬を隠すように手をやってて、私の視線に気付くとフイッて逸らしてしまう。かくいう私も照れ臭くて、だって、こんなふわふわした空気、慣れてないもん。これちゃんと私と黒尾?間違ってないよね?

今までだってバイト帰りに一緒に帰ってたけど、でもこれは全然違う。だって今まで私が黒尾の部活を待っている理由なんてなくて、バイトがない日は一緒に帰ることがなかったから。

嬉し恥ずかし、浮かれた気持ちで黒尾を待つ放課後なんてあっという間。文化祭が終わってここ何週間かが嘘のような静かな校舎で高鳴る胸を落ち着かせていると、気付けば辺りは真っ暗で。黒尾から受信した"終わったけどどこ?"というメッセージを確認して、私は校門に向かった。

そして、今。ちょっと間を置いちゃうと、それは見慣れた黒尾のはずなのになんかめちゃくちゃ照れ臭い。え、私、今までどうやって黒尾と話してたっけ?右側と左側どっちにいたっけ、どれくらいの距離で歩いてたっけ、どんな声のトーンで喋ってたっけ!?

私がこうなることを予想していたのかいなかったのか、夜久達とは先に別れてくれていた黒尾に感謝する。今揶揄われたりするの、ちょっと無理!あしらう余裕がない!

「なに、照れてんの?」
「…うるさいなぁ」
「暗くてあんま見えないじゃん。そんな照れなさんな」
「うっざ」
「急な暴言泣いちゃうからやめて!?」

そ、そう。これこれ、このテンションだよね。やっと感覚掴めてきた!そう思った瞬間からの、冒頭の会話。無理矢理話題をそっちに持っていく黒尾に私はもうどうしたら良いのか分からなくて思わず睨んでしまったけど、それもこの暗さじゃきっと見えていないんだろう。どうにかして落ち着きたくて、私ははぁ、と息を吐いた。

「てか今日ずっと繋いでたじゃない。今更じゃね?」
「そ、それとこれとは話が別!」
「フーン?」
「やだもう恥ずかしい…なんなの、なんでそんな普通なの黒尾」
「そんなこともないですけど」
「えっ」
「可愛いなぁっていま結構浮かれてますよ、ボクも」
「………」
「ぶひゃひゃひゃ!ちょ、脇腹を突くな!」
「黒尾が変なこと言うからだし!」

ああもう頬が熱い!きっと今耳まで真っ赤になってる。少しだけさっきより歩くスピードを上げてみるけど、黒尾は難なく隣をキープし続けるからそういうところもムカつく。また私の反応見て楽しんでるんだどうせ。黒尾はそう言う男だから。

私も、片想いの時だって何度もドキドキされられたはずなのにどうして今になってこんなに緊張してるの!

なんて、自問自答していたから気付かなかったんだ。ススッ…と距離を縮めた黒尾が、さっと私の手を取ったことに。

「やっ…!」
「えっ」

や…やっちゃった……………!

急に感じた体温に、私は思わず黒尾の手をはたき落としてしまった。訪れる一瞬の沈黙。流石に黒尾も驚いたような表情をして、だけど私だって驚いてる。
混乱した頭に、どうしよう、その言葉だけが浮かんでは消えて、真っ白になっていく感覚。

「あー…」

さっきとは別の意味で黒尾の顔を見られなくって俯くと、黒尾もちょっと気まずそうに音を吐き出した。

「悪い、驚かせた」
「いや、あの、…その、私」
「帰るか」
「………黒尾?」
「ん?ほら、置いてくぞ」
「ぁ……うん」

ごめん、嫌だったわけじゃない、恥ずかしくてびっくりしただけ。そう言って一言謝れば良いだけなのに、何故か言葉を発するのすら躊躇うこの口はほんと良い加減にしてほしい。別に黒尾は怒ってはない、と思う。きっと分かってくれてるんだとも思う。

だけどこれはいけない。さっきみたいなふわふわした空気も照れ臭くて仕方なかったけれど、でもこんな空気にしたかったわけじゃないのに。

「………」
「………」

これまでギャーギャー騒いでたのが嘘のように沈黙が続いて、重い。横目に見た黒尾は真っ直ぐに前を向いてその表情は何を考えているか分からなくて、またすぐに視線を落とした。

たまにすれ違う車や人の足音、話し声だけが今の私達のBGMで、何か言わなきゃって思う度に、さっきのことから一秒時間が進んでいく度にどんどんと何も言えなくなって。

ついには会話もなにもないまま、もうすぐ家に着いてしまう。もう視界には見慣れた我が家が見えている。焦る心に比例して重くなっていく口にどうしたらいいか分からなくて…私は足を止め、その場に立ち止まった。

「?」

三歩先まで歩いた黒尾が、それに気付いてこちらを振り向く。意を決して上げた視線、そこに映った黒尾は本当に何を思っているのか感じ取れない無表情で、ひゅっと喉が鳴った。

「く、くろお…」
「………」
「……ごめん、ね」
「なにが?」
「え」
「なにがごめん?」

何が、って。そんな返しをされると思わなかった私は、一瞬とても間抜けな顔をしていたと思う。だけどそれにも表情を崩さない黒尾に、ツンと鼻の奥が痛んだ。

やだよ、こんなの。せっかく隣で笑っていられるようになったのに。こんな風になるの、やだ。

私は意を決して黒尾の目の前まで進むと、ギュッとその手を握った。

「その……い、嫌じゃない、から…びっくりしただけだから…」
「………」
「ごめんね?…手、叩いて……その」
「………」
「…黒尾とこんな空気になるの…嫌だ…よ、…っ」

泣くのはずるい。そう思っているのに、どんどん鼻声になっていくのは自分の意思ではどうにもならなかった。せめて涙が溢れないように、グッと瞼に力を込める。

すると黒尾は私の手を握り返して、ぎゅ、ぎゅって…まるでその感触を確かめるように何度も力を込めている。そしてちょこっとだけ眉を下げて、困ったようなそんな表情で笑った。

「…別に、苗字が照れてるだけだって分かってんだけど」
「………」
「だけどもまぁ……ちょっとだけ、あれっもしかして本気で嫌がってる?って、…思ったりもした」
「ぃ…嫌じゃない、です…」
「うん。ならいいんだけど」
「ごめん…」

もう一度、目を見て謝る。それに黒尾は、今度はゆっくり手を離して、その腕ごと広げて「じゃあ、こっち。来て」なんて言ってきた。

こっち、って。え?それはその腕の中に収まれと、そういうこと?

「えっ」
「来てくれたら許す」
「や、え、でも」
「あれ?仲直りしたくねぇの?」
「け、喧嘩?今の喧嘩なの?」
「ふーん、ま、苗字が良いなら別に良いけど」
「ぇ、あっ、ちょっと待って!」

腕を下ろそうとした黒尾に私が慌てて静止をかけると、黒尾はちょっとニヤリと笑った気がする。やっぱり楽しんでんじゃん!…そう、思わないでもないけど。だけど今度は私も意を決して、恐る恐るその腕の中に収まった。

「はあぁー…やぁっと捕まえた」
「つ、つかまった…?」
「…ドクドク聞こえる」
「…聞かないでよ」
「俺のかも」
「…黒尾も、緊張してるの?」
「うん」

ゆっくり、その腕の中から黒尾を見上げる。すると黒尾は思いの外普通に照れたようなそんな表情で、「えっ」なんて思わずこぼしてしまったけど私の胸は更にドキドキとうるさくて。
黒尾は拗ねたように、わざとらしく口を尖らせた。

「俺だって普通の男子高校生なんですぅー。好きな子と両想いになったんだからそりゃ嬉しくもなるし、二人でいたら緊張もするっしょ」
「…黒尾も人だったんだね」
「え、人?そんなのとこから?」
「いっつも余裕そうな顔してんのに」
「そりゃあまぁ…でも苗字といるときは結構、いつも浮かれてるけど?」
「なっ……恥ずかしぃ」
「はいはいそんな苗字も可愛いですよ」
「…ほら!そういうとこだよ!」
「ぶはっ…どういうとこだよ」

笑った黒尾は、どんどん私に顔を近付ける。目の前に迫った黒尾の顔に、目を見開いて驚いた私は……がし、っと。その頬を挟み込んで動きを止めた。

「…なにこれ」
「こ、ここ家の前!黒尾こそ何してんの!」
「…いーじゃん、ちょっとくらい?」
「お父さん!もうすぐ帰って来るよ!見られたらどうすの!」
「……くそっ」

お父さんを出されたら、流石の黒尾も引き下がるらしい。さっきと同じくらいまで十分に距離を取った黒尾は、漸くいつもの調子に戻ってくれた気がした。

「…夜、電話しても良い?」
「ん?」
「…さ、さっき全然喋れなかったし…もっと、喋りたい…」
「なぁに、急に可愛いこと言ってくんじゃん」
「…だめ?」
「…んなわけないでしょ」
「じゃ、決まりね。…っ、またね!」
「あ!?っ、おい苗字、今…!」
「知らない!」

黒尾の声を背に、私はもう振り返らずに家に入った。そしてバタンッと勢いよく閉まった玄関を背もたれにして、ずるずるとその場にしゃがみ込む。はあぁ、熱い。今日は色んなことがあって、もう胸がいっぱいすぎる。

唇に残った感触にドキドキと高鳴る胸を押さえながら、私はまた大きく息を吐いた。


21.04.23.
- ナノ -