黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

新しい春に浮かれて
タラララララーンタララララン。入店音に反応して条件反射の「いらっしゃいませ」を言いながら入り口に目を向けると、見知った集団。赤色のジャージが目を引く彼等もすぐに私に気付いたようで、「おっ」なんて言いながらレジカウンター越しの私へ手を振った。

「苗字じゃーん」
「今帰り?さすがバレー部は遅いねぇ」
「今日は自主練が盛り上がってね。苗字前からここでバイトしてんの?」
「うん。一年の時から」
「今まで会ったことないよな」
「今までは土日の昼ばっかだったから。最近シフト増やしたの」
「なるほど」

この男は黒尾とはそれこそ一年の時から同じクラスで、学校では一番話す男友達。それは私だけではなく、お互いそうであると思う。その隣にいる夜久と海も何度か話したことがあるので、軽く会釈した。

「苗字オススメは?」
「んー、あっ、甘いの好き?あっちのシュークリーム美味しいよ」
「じゃあ今日はそれにしよっかなぁ」
「あれっ音駒の主将くんじゃん」
「あ、カラアゲさん」
「え?」

私の後ろに立ったのは、さっきまでバックヤードに入っていたミチカ先輩。四つ上の大学四年生で、うちのコンビニのマドンナと勝手に思っている、美人さん。音駒の卒業生らしく母校の後輩である私にとっても優しいし、気遣い上手だしで憧れの先輩だ。でも、どうして黒尾が?っていうか、カラアゲさんって何?
私のその疑問は、表情に出ていたらしい。黒尾がすぐに笑いながら話し出した。

「よくここで会う顔見知り。おすすめ聞いたらいっつも唐揚げすすめてくっから、カラアゲさん」
「いやぁ運動部の男子高校生だよ?そういうのがいいかなって」
「あれっ、そうなんすか?てっきり唐揚げに目がないんだと」
「えっ、私そんな勢いで勧めてた?」
「はい、かなり」
「うっそー」

笑い合う二人は本当によく会って話すらしい。私なんて、ここで働いて今まで二年間黒尾と遭遇したことはなかったのに。だから何だという話だが、学校の友達とバイト先の先輩が話している光景は少し不思議だった。

「今日はそれでいいの?お腹いっぱいになる?」
「まぁ、家にちゃんと晩ご飯あるんで。それに苗字のオススメらしいし」
「へぇ〜…あ、そういえばもう名前ちゃん上がりだしせっかくなら送ってもらいなよ!」
「え!?」
「ほら、この辺最近不審者の話聞くし。男の子がいるなら頼らないと!」
「えー…でも黒尾達疲れてるし、これくらいの時間いつも出歩いてるんで平気ですよ」
「だめよ!ねぇ、主将くん!」
「俺は全然いっすよ」
「えー…」
「そんな渋られると俺の立場ないじゃん」
「…じゃあ、お言葉に甘えて?」

そう言えば、黒尾はにやりと笑って「任せなさい」って言うから、柄にもなく少しドキッとした。なんで、相手は黒尾だぞ。

先輩にちょっと早いけどもう上がっていいよって言われて、急いで着替えて店を出れば本当に黒尾が待っている。その手にはさっき買ったシュークリームじゃなくて、唐揚げがあった。
それにしても変な感じ。夜久達はいなくて、黒尾だけ残ってくれたんだ悪いなって申し訳ない気持ちになるけど黒尾はそんなの気にしてない風に歩き出すから、私は慌ててその隣に並んだ。

「なんかごめんね、お疲れのところ」
「いーえ。女の子一人で夜道を歩かすわけにはいきませんし?」
「結局唐揚げ買ったの?」
「おう。足りなかった」
「ふーん。ミチカ先輩なんか言ってた?」
「ミチカ先輩?」
「カラアゲさん、ミチカ先輩って言うんだよ。音駒出身なんだって」
「へぇ」
「平日の夕方から入るとミチカ先輩と被るから好きなんだぁ。神シフト」
「いつもは?」
「ハゲの店長」
「あー…見たことあるかも。あのバレバレのカツラしてる人ね」
「ふふっ…そうそう。てか黒尾主将になったんだね、すごいじゃん」
「ドーモ」

これくらいの会話、教室でもするのに。暗くなった帰り道をクラスメイトと歩く非現実感。自分の生活圏に黒尾がいる、違和感。
ソワソワして、話が途切れるわけでもないのに変に緊張した。

「苗字これからいつもこの時間にいんの?」
「え?ああ…まぁ、毎日じゃないけど結構入ってる」
「じゃあ次からも一緒に帰ろうぜ」
「え?」
「まじで、この時間この道危ないし。うちのばあちゃんもニュースで見たって言ってた」
「そうなの?」
「ったく…もうちょっと危機感持ちなさいよ、女子高生」

ポン、と頭の上が重くなる。それが黒尾の手だと気づくまで少し時間がかかった。
見上げれば呆れたような表情の黒尾がいて、それにまたドキリと胸が鳴る。だから、これ黒尾だってば、私の心臓。

これはあれだ、修学旅行とか普段とは違う環境で見ると格好良く見えるやつ。無論、二年のときの修学旅行でも私は別に黒尾に対してそんな感情は抱かなかったんだけど。
どちらにせよ気のせい、一時の気の迷い。
それは分かっているのに、今これが黒尾にバレたらどうしようだなんて思っているんだから思春期の女子とは面倒臭い。

現実にはそんな私には勿論気付くわけもない黒尾が、私にスマホを向けていた。

「え、なに」
「連絡先。俺が行かなかった日でも呼んでくれたら行くから」
「いや、流石にそれは悪いわ…ていうか私黒尾の連絡先知ってるけど」
「最近スマホ壊れたんだよ。消えたから新しいの入れて」
「それはいいけど…」

見せられたQRコードにスマホをかざせば、無料のメッセージアプリに新しく追加された黒尾のアイコン。今まで入っていたものは消して、その新しい連絡先にスタンプだけ送ると黒尾も追加してくれたことが通知される。

「アイコン前と違うね」
「最近撮ったお気に入り。イケメンっしょ?」
「後ろ姿じゃん」
「背中からも滲み出るかっこよさ」
「なんか言ってるこの人」
「名前ちゃんひどぉ〜い」
「裏声うっざ」
「辛辣」

全然なんとも思ってないくせに。それどころか鼻歌まで歌っちゃって、いつもより分かりやすくご機嫌な黒尾はそのまま本当に私を家の前まで送り届けてくれた。
春だけど、夜はまだ冷える。完全に冷え切った手でカバンの中から鍵を取り出し、黒尾を見上げる。

「家誰もいねぇの?」
「うん。お父さんもお母さんもいつも遅いんだ」
「ちゃんと戸締りしろよ」
「子供じゃないんだから…」
「じゃないと俺がここまで送り届けた意味がなくなるでしょーが」
「はーい黒尾センセー」

くすくすと笑い合い、「じゃあまた明日、」って手を振って黒尾は帰って行く。やっぱり、変な感じ。
去っていく黒尾の後ろ姿を見送りながら、私はこの数十分のことを思い出して照れ臭くなった。相手は黒尾なのに、おかしい話。


20.11.27.
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