黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

最果ての体温
自分から返す勇気はなくてさっちゃんに預けた黒尾のブレザー。泣き腫らした私の顔を見て、さっちゃんは一瞬驚いたような表情をして、でも何にも言わなかった。
さっきの投げやりな黒尾の声が頭から離れなくて、またあんな風に何か言われたら私は今度こそ黒尾の前で泣いてしまう。

それから文化祭までの数日間、私と黒尾はまた話さなくなった。実行委員だから事務的なことは話すけど、それ以外は話さない。黒尾は何か言いたそうな顔をするけど、でも私は黒尾の目を見るのすら怖くて何か言われそうになる度に逃げた。
本当は聞きたかった。どうして怒ってるのって。でもこれでやっと本当に諦められるじゃん、と無理やり納得させようとしてる自分もいて。こうでもならなきゃいつまでも未練たらたらで相変わらず黒尾を追いかけてしまっていただろうから。どうせ諦めるつもりだったなら、この方が良かったじゃんって。

「なにしてんの、苗字」

ついに明日は文化祭。今日は授業もなくて丸一日準備に費やしていいからかクラスメイトも一層楽しそうで、そんな中でも黒尾と同じ空間にいるのが辛くて少しだけサボタージュ。飲み物買いに行くくらい良いよね。なんて自分に言い訳をしてやってきた先にいた夜久に、「久しぶりだね」.と声をかけた。

「クラス違うとあんまり会わないよなぁ」
「ね。夜久のクラスは順調?」
「おう。もうほとんど終わって、なんかみんな遊んでる」
「あはは、余裕だ」
「苗字んとこは?」
「うーん、うちもそんな感じなのかなぁ」

はは、と曖昧に笑いながら私は買ったばかりのココアを開ける。一口飲むと全身にその甘さが広がって、ほぅ、と息をついた。

「苗字さぁ」
「うん?」
「また黒尾と喧嘩した?」
「…え?」
「アイツ分かり易すぎてうぜぇから早く仲直りしてやってよ」
「…はは」

私はさっきと同じようにまた曖昧に笑って、もう一口ココアを口に流し込んだ。どうして私の周りはみんな、黒尾黒尾、って。私だってこんなのやだよ。でもなってしまったものはしょうがないし、私にはもうどうもできないんだよ。

そう思った、少しの反抗心だったのかもしれない。私は夜久の顔を見ることもなく、言った。

「…私、黒尾に振られたんですよ」
「は?」
「だからもう、仲直りは無理かな。ごめんね」
「…なんだ、それ」
「…知らない」

少なくとも思い出すだけで涙を堪えるような今の状態じゃ、黒尾と普通に友達なんて無理だ。ああでも、黒尾の方からもういいって言われたんだっけ。…もういいって、何。何がいいの。そこまで考えて、また鼻の奥がツンとするから慌てて深く息を吸う。
これもいつか、青春の少し苦い思い出になる日が来るんだろうか。こんなこともあったなぁって、言える日がくるんだろうか。…今の私には、とてもじゃないけど考えられなかった。

「とりあえず黒尾が馬鹿野郎ってこと?」
「ふっ…ふふ、うん、そう」
「大馬鹿野郎だな、あいつは」
「………ほんとだよ」

そう言ってくれた夜久のお陰で、やっとちょっと心が軽くなった気がする。あともうちょっとの辛抱。文化祭が終われば、もう私と黒尾が話すことはないだろう。

「…ありがとね、夜久」
「なにが?」
「…夜久はいい男だなって話」
「今頃気付いたのかよ」
「なんで彼女いないのかねぇ」
「うっせ」


* * *


文化祭の準備でくたくたになっていても、明日が当日でも、相変わらずシフトに入ってる私ってどれだけ働き者なんだろう。

バイト終わり、一人で歩く道は既に真っ暗で、日が落ちるのも早くなったなあなんて思いながら今日のバイト中のことを思い出す。またもや黒尾が来なくなったその場所で、やっぱり何も聞かないでいてくれるミチカ先輩から出た言葉は衝撃的だった。

「そういえば名前ちゃん」
「?」
「私、彼氏、できるかも」
「えっ!!?!?!?」

思わず大きな声で叫んでしまうのは最早いつものことだ。先輩は私を驚かすことが好きなんだろうか、とどうでもいいことを思ってしまった。

「く、詳しく教えてください」
「えっと、別れてずっと話を聞いてくれてた人がいるんだけど、今日その人に実は入学した時からずっと好きだったって告われて…」
「…で?」
「今までそんな風に見てなかったし、でもよく考えたらすっごく良い人で、その人のお陰でこんなに早く立ち直れたっていうのも事実で…一度は断ったんだけど、でもゆっくり考えて欲しいって」
「………」

さすが、ミスコンに出るくらいの美人は次が出来るのも早い。振られてもうじうじと次に進めないで何度も傷付き続ける私には考えられないスピード感だ。

驚きと同時に、ホッとしてしまう私がいた。最悪だ。それを認めてしまった瞬間、私は自分が本当に嫌になる。今誰のこと考えた?どうして良かったって、思った?
やっぱり私は先輩とは違う。自分がもう頑張れないと見切りをつけたくせに、口ではああ言ったくせに、好きな人の幸せすら願えない。

「それで…その人と付き合うことにしたんですか?」
「まだ返事はしてないんだけど…でも告白されて意識しちゃってる…から、そうなるんだと思う…」

あーあ。ダメじゃん、黒尾。黒尾も早く先輩に告白していれば、チャンスがあったかもしれないのに。なんて。私はどうなって欲しいんだろう。

「先輩尊敬します…」
「え、なにが?」
「私も先輩みたいに美人に生まれたかった…」
「何言ってるの!名前ちゃんは可愛いからね!?」

その時の先輩の笑顔に、私はどんな顔をしていただろう。今となっては分からないけど、でも、先輩の話を聞いて私はあれだけ覚悟して黒尾に応援すると告げたのに。それがなければ今みたいなことにならなかったかもしれないのに、なんて。
最低だ。大好きな先輩に対してまでこんな風に思ってしまう私が可愛いと言ってもらう資格なんてない。

そしてやっぱりこんな私が誰かに好きになってもらえるわけなんてない。
自分でもネガティブすぎでしょ、って思うけど、今だけは世界で一番不幸なんじゃないかと思うくらいに辛くて苦しくて。

苦しくても苦しくても、誠実に想い続けた日々に胸を張れる日がいつかきっとくる。いつかのドラマでのフレーズ。今は、現実はそんな日は来ないんだと知っている。

「あー…明日、嫌だなぁ…」

文化祭でさえサボりたいと思ってしまう。高校最後のイベントなのに、楽しめる自信がなかった。

「…サボっちゃおうかなぁ」

嘘。呟いてみたけど、そんなこと出来るわけない。だって、私実行委員だし。…黒尾と話せる、最後の日かもしれないし。どこまでいっても黒尾黒尾。それは私が一番そうだった。

「サボられちゃ困るんですけど」
「へ」

突然、私の呟きに返事が降ってきた。ぐいっと手首を引っ張られて、ぐるんと体を反転させられればそこにいたのはブレザーごと腕まくりをした黒尾が息を切らしながら立っていて。

「…くろ、お」
「なに」
「なんで…」
「こんな暗い道一人で歩いてたら危ないでしょーが」

って。そんなこと聞いてないじゃん。なんでいるの。なんで、何もなかったみたいに話しかけてくるの。
急に現れた黒尾に驚いて息が詰まる。この一週間の私の気持ちを全部無視されたみたいにまたそこにいる黒尾に、急で状況に着いていけないながらも少しイラッとしてしまう。私がどんな思いで黒尾に先輩のことを告げて、どんな思いで黒尾に突き放されて、どんな思いでこの数日間を過ごしたと思っているの、と。

それは今日夜久と話したときのように、半分ヤケクソだったかもしれない。ギュッと瞼が震えないように力を入れて、私は黒尾を睨みつけた。

「…誰かさんが迎えにきてくれないから一人なんでしょ」
「………」
「もういいから、ほっといてよ。私勝手だから、こうやってされたらまた期待する。バカだから、諦められなくなる」
「諦めないでいいじゃん」
「は…」

思ったより力強く返された言葉に聞き間違えかと思った瞬間、そのまま掴まれていた手をまた引っ張られて黒尾にダイブする。ブレザーからはあの日と同じ黒尾の匂いがして、きゅっと胸が締め付けられた。

「な、に…」
「…いや、」
「…黒尾がこんなんだから、先輩また良い感じの人できちゃったよ。バカだね」
「…俺もうミチカさんのことはいいって言ってたでしょうが」
「…それ、は…黒尾なりの強がりで、」
「勝手に決め付けないでくださーい」

必死に紡ぐ言葉も軽くあしらわれ、なのに腕の力は緩めてくれない。なにこれ。どういう状況?
黒尾の匂い。夢にまで見た黒尾の腕の中。あの時と違う、優しい声。意図がわからない黒尾の行動に、謎に感情が昂って泣きそうになる。

どうしていいか分からずに私の腕は黒尾の背中に回すことなんて勿論出来ず、ただぶらんと下にぶら下がっている。

「…やっくんに怒られちゃった」
「…夜久?」
「お前いい加減にしろよって」
「?」
「…後で説明するからとりあえずこうさせて」
「………」

どういうことよ。意味わかんないってば。そう言ってやりたいのに、何も言えない。私からこの腕を振り払えるわけがない。

結局黒尾は、何も言わず私をもうしばらく抱きしめた後、「送るわ」と言って何事もなかったかのように家まで送ってくれた。…ちょっと、説明は!?


21.04.05
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