黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

感傷なんてやさしい言葉はない
「名前可愛いよ〜!!」
「あ、ありがとう…」
「やば、ほんと可愛い、写真撮っていい!?」
「もう撮ってるね?」
「はーいこっちに目線くださーい!」
「ちょ、さっちゃん恥ずかしいから!もうちょっと声落とそう!?」

さっちゃんに昨日のことを相談することも、黒尾を諦めると報告することも出来ずにやってきた放課後。今日は衣装合わせで、私と黒尾がそれぞれメイドと執事の服を着てみて不具合はないか確かめていた。

「っていうか何で私達…」
「いいじゃん、名前どうせ当日も着るしどんな感じか知っときたいでしょ!」
「…黒尾は?」
「実行委員だし!」
「結局それじゃん…」

思ったよりも更に本格的に完成した衣装は主に女子達のテンションを上げていて、「えー私もホールにしたら良かったかなぁ」「可愛い〜」なんて騒いでいる、くせに誰も自分が着ようとしないのは何故なのか。分かってる、これは恥ずかしい。文化祭のお祭りテンションだから着られるものであって、こうして皆が制服を着てる中でこれはだいぶ恥ずかしい…

チラリと黒尾を見ればあっちはあっちで男子達に囲まれていて、スラリと背が高い黒尾がそれを着こなしている様は贔屓目じゃなくてもカッコいい。くそう、似合うな。なんて心の中で呟いていると、私もその円の中に引っ張り込まれてしまった。

「黒尾と並んで〜」
「つーかめっちゃ可愛いじゃん!苗字メイド有り!」
「ちょ、おかえりなさいませご主人様って言ってみて」
「うわ、男子それセクハラ〜」
「いやいや女子も黒尾の執事ちょっと良いかもとか言ってたの聞こえてたからな」

…楽しそうでなにより。少しげんなりしながら特に問題はなさそうなのでさっさと着替えようと思っていると、今度は隣から黒尾が呼ぶ。

「なに?」

なるべく、普段通り。自分で自分に言い聞かせて見上げると、なんだかいつもより眉間にシワが寄っているようなその表情に思わず首を傾げた。

「…お前、それ当日も着るんだよな」
「え…うん、まぁ…不本意だけど」
「フーン…」
「?」
「なぁ、写真撮ろうぜ」
「え!?な、なんで…」
「だって当日俺これ着ないし?執事服の俺、かっこいいんでしょ?」
「なっ…」
「今ならツーショット残せますけど」

以前勢いで言ってしまった自分の言葉を思い出し赤面する私に、ニヤリと笑う黒尾はきっと確信犯。言い返せないうちにスマホを内カメラに設定してぐいっと身を寄せられ、更に私の心臓の音は加速する。ちょっと待って、ふ、普段通り、普段通り…………って無理!黒尾近い、顔、近い!こんなん意識しない方がおかしいって。

「だ、から…距離近いって、ば!」
「そう?」
「こっち向かないで!」

その距離感でこちらを向かれては黒尾の息がかかる。無理。恥ずかしいんだって。羞恥からじわりと滲んだ涙は目尻に溜まって、ドキドキと痛いくらい胸が鳴っている。

こんなに痛いのに、これもきっと私だけ。期待させないでよ。私もう黒尾を好きでいたくないんだよ。

「ぶはっ、苗字顔変だけど?これでいーの?」
「ちょ、消してよ!」
「まぁ俺はこれでもいいけどネ。あとで送るわ」
「送らないでいいから!消せ!」

黒尾からスマホを取り上げようと腕を伸ばすも、黒尾の身長と腕の長さには叶うはずもなく届かないところまで上げられてしまう。それでもこの何とも言えない空気を早く消したくて諦めないフリして奪い取ろうとピョンピョン跳ねていれば、周りから感じる視線。

「え」

気付けば周りの男子も女子も私達を…なんていうか、生暖かい目で見ていて。うわ、忘れてた。ここ教室じゃん。そんで私達、今ちょっと微妙な感じじゃん。

「〜〜〜もういい!着替えてくる!」

耐えきれなかった私は、少しでも早くこの場を抜け出したかった。
更衣室に向かう途中も、周りからの視線が痛い。だってメイドだもんな。私がそっち側でも見ちゃうよ。これに着替えた時はさっちゃんとか衣装係の子とかが着いてくれてたけど、一人の私はきっと目立っている。
だからこそ早く着替えたくて気にせず早歩きで歩を進めていたのに、「あ」と聞き慣れた声がして一瞬歩みを止めた。振り向けば研磨くんがそこに立っていて、しまったという顔を隠そうもしない研磨くんに思わず笑ってしまう。

「久しぶり」
「…なにその格好」
「…見たらわかるでしょ。メイドです」
「文化祭、まだだけど」
「分かってるよ!衣装合わせしてたの!今から着替えるとこ!」

そろりと視線を逸らされて、何故か私が悪いことをしてる気分。せめてカーディガンでも羽織ってこれば良かった、ああでも私今日持ってきてないや…とか。ほんと、色々上手くいかない。

「研磨くん、部活は?サボり中?」
「…部活まだ、だから。クラスの準備はサボってる」
「あはは、ダメじゃん」
「苗字さんもサボってる」
「え、違うよ、私は今から着替えるとこで…」
「おい」

ずん、と急に重くなった頭。降ってきた声に頭をおさえられているせいで振り返ることもできないけど、それが誰かは分かる。…黒尾だ。
遅れて肩に何かをかけられて、漸く解放された私が振り向けばそこにはやっぱり黒尾がいて、肩にはブレザーがかけられていた。

「…なに」
「そんな格好でうろつくんじゃありません!」
「今から着替えに行くんだけど」
「教室出てからもうだいぶ経ってますけど?」
「研磨くんと会ったからお喋りしてた」
「ちょっと」
「おい研磨」

私の言葉に研磨くんは露骨にめんどくさそうなため息を吐く。うわ、ごめん。でも本当のことじゃん。そう思っていると、研磨くんは黒尾にだけ視線を合わせてこう言った。

「…巻き込まないでよ」
「………」
「俺もう行くから」

そのままスタスタと歩いて行ってしまう研磨くんの背中を、黙って見送る。何か言える雰囲気ではなかった。…なんで黒尾?どっちかっていうと巻き込んだのは、私だと思うけど。少し疑問に感じながら私も更衣室に行こうとすると、すかさず手首を掴まれる。

なに、と視線を上げれば黒尾はなんとも言えない表情をしていて…いやほんと何?

「ちょっと来て」
「え、着替えたいんだけど」
「今」
「…分かった」

あまり聞かないような低い声で短く言われては、従うしかなかった。そのまま手を引かれてやって来た空き教室に二人で入って、黒尾がピシャンと扉を閉じるとそのまま深いため息をつきながらしゃがみ込む。手首を掴まれたまんまの私も、隣に一緒にしゃがみ込んだ。

「…黒尾?」
「…何なの、お前」
「え?」
「……いやごめん、俺だな」
「?」
「…はあぁ…」

また息を吐く黒尾に、何が何だか分からなくて見ているしかない私。掴まれている手首が熱くて、そこばかりに意識がいきそうになるのを必死に頭から追い出した。

「…その格好で、うろつかないでもらえませんか」

それでやっと喋ったと思ったら、この一言。はぁ?益々意味わかんないんだけど。

「黒尾はいつの間に着替えたの」
「男子は教室でも着替えられっから」
「それ絶対他の女子に見られてるじゃん」
「なに、ヤキモチ?」
「ちがっ…」
「俺は妬いた」
「え?」
「…その格好、他の男にめちゃくちゃ見られてっから」
「な…んで、」

何で見られてるか、じゃない。何で黒尾がそれで妬くの。

「…分かんない?」
「分かんない、よ」

ほらまた。時間が止まったみたいな感覚。黒尾が顔を上げて、しっかりと目が合ってしまって。熱っぽい視線に胸が苦しい。もしかして、が浮かぶ度にそんなわけない、と必死に否定する。今までだってそうだったから。昨日のことを思い出して私。もう傷付きたくないよ。

それなのにそんな私を無視してどんどんと私の中に入ってくる黒尾の意図は何なの。黒尾はミチカ先輩が好きじゃん。だから昨日だってあんなに嬉しそうに話してたんでしょ?ダメだよ、いくら仲良いからって女友達とこんなに近くちゃ…苦しいよ。

息が詰まりそうな空気にどうしていいのか分からなくなる。何か言われるのが怖くて、私は慌てて目線を落として必死に言葉を紡いだ。

「…く、黒尾は私のこと本当に好きだよね」
「!……分かってんじゃん」
「し、親友だからね」
「………」

自分で言ってて悲しかった。辛い。こんなので本当に諦められるのかな。

「…黒尾、私、黒尾の言いたかったこと分かっちゃったんだけど」
「…え?」
「さ、流石に気づくよ!私、いつも黒尾の近くにいるんだからさぁ」
「…あー…まじ?」
「うん!文化祭…のとき、じゃなくても、もっと早く言ってくれたらいいのに…」
「えー…気付いては欲しかったけど…何これ、今俺めっちゃダサくね?」

ほら…やっぱり。少し照れたような黒尾の声に、涙腺が緩む。私じゃ黒尾をそんな風にはしてあげられないもんね。諦められるのかじゃない、諦めなきゃいけない。
捲し立てるように紡ぐ言葉が全部自分に刺さって、今一瞬でも力を抜いたら全部ダメになってしまいそうで。

それでも溢れ落ちそうな涙を必死に耐えた。悲しいくらいに声が震える。でも…今度こそ、自分の口から、この恋に終わりを告げると決めたんだ。

「や、やっぱり好きなんでしょ?ミチカ先輩のこと」
「………は?」

言った。恐ろしいくらいに静かなこの教室で、黒尾が息を呑んだ気がした。

「黒尾、もう、知ってるかもしんないけど…ミチカ先輩ね、彼氏と別れたんだって」
「………え?」
「黒尾、チャンスだよ」
「…ちょっと待て、苗字、」
「私、応援するから」

ゆらりとまた黒尾に目線を合わせると、目を見開いて固まっている。私の方からこんなこと言われて、驚いたのかな。でも黒尾に協力してって言われるより、全然この方が残酷じゃないでしょう。

「…応援するし、協力する」
「な、に」
「…ほら、私、結構いい仕事してたでしょ、前も」
「ちょっと待てって」
「だから大丈夫だよ、黒尾いい奴だし。ミチカ先輩ともお似合いだから、」
「待てって!!!」
「っ、」

止まらない口を静止させる、黒尾の声がキンと耳に響いた。

「…それ本気で言ってんの?」
「…当たり前じゃん!私ちゃんと、」
「…もういい」
「え?」
「……もういいわ」
「な、……に」
「…ごめん、先教室戻る」
「………」

立ち上がりながら投げられたセリフは、全く感情が見えなくて。私を見下ろした黒尾の目は…怖いくらいに色がなくて。どうして。怒らせた。どうして。喜んでくれないの。どうして。…また間違えた?

ピシャンッという音で、黒尾が出て行ったことを知る。ツン、とさっきまでよりも鼻の奥が痛んで、ボロボロとついに耐えきれなくなった涙が床を濡らした。

「〜〜〜〜〜ッ、っ、く、…!」

途端に止まらない嗚咽も、肩にかけられたまんまのブレザーから香る黒尾の匂いも、既に暗くなりかけた窓の外の景色も……全部全部、なくなっちゃえばいい。

そしたらこんなに、痛くないかもしれないのに。


21.03.25.
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