黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

いつも誰かの端っこ
黒尾が教えてくれなかったせいで中々遅くなってしまった帰り道。いつもより遅いじゃん…なんて完全に責任転嫁しながらやっとのことで家に着いたのに、帰宅した瞬間キッチンから飛んできた「名前〜ごめん、牛乳買ってきて」お母さんからのおつかい指令。

「えー?今帰ってきたのに…」
「お願い、今日ホワイトシチューなのに牛乳忘れちゃって」
「帰る前に連絡してよ…」
「はいはい、お釣りあげるから」
「…コンビニのでいい?」
「何でもいいから」

地道なお小遣い稼ぎが出来るなら、仕方ない。制服のまままたローファーを履いて、渡された500円玉を入れた財布だけ掴んで家を出た。
うちからならスーパーよりバイト先のコンビニの方が近いし、ミチカ先輩とちょっと話していこうかな〜この時間だしどうせ暇なんだろうな〜なんて考えるうちに見えてくるコンビニ。

ついでに黒尾のことちょっと相談しても…いやでも先輩に詳しく話せないからなぁ。放課後の黒尾との会話を思い出して、きゅうう、と胸が締め付けられる。

店の外から覗くと、ちょうどレジにお客さんいるのが見えた。あれ、珍しいな。そう思ってすぐ。それが見覚えのある人だと気付く。

大きなスポーツバッグを肩にかけ、ポケットに手を突っ込んだまま店員である先輩と仲良く話すその人物。背が高くて、特徴的な髪型は嫌というほど見慣れた…というか毎日会うし、なんなら数時間前まで一緒にいた人物。その存在が、いつでも私の胸を締め付ける人物。

「黒尾…」

そう、黒尾だった。

ドクドクと心臓が嫌に鳴る。なんだろう、この感覚。前にも経験した……ああ、黒尾が先輩のことを好きだと知った時だ。その時もこんな風に、目の前が真っ暗になったような、周りの音が遮断されてしまったような、そんな感覚に陥った。

「なんで…」

呟いた声は勿論黒尾に聞こえることはない。痛い。痛い痛い痛い。そんな、頬を染めて、先輩と話さないで。嬉しそうに、幸せそうに……

「っ」

それ以上見ていられなくて、踵を返して走り出す。ああ、またやってしまった。私は何度同じことを繰り返すのだろう。黒尾が話したかったこと。多分それは先輩のことだったんだ。何だろう、やっぱりまだ頑張りたいとか、かな。そんなことわざわざ私に言わないでよ、私の気持ち知ってるくせに。
黒尾はそんな奴じゃない。一度振って気まずくなりそうなのに友達でいたいと言ってくれて、残酷なくらい優しくて…それなのに今見た光景が頭から離れてくれなくて。

あんな顔、私にはしないと思う。やっぱり黒尾の好きな人は先輩なんだ。私の知らないところでは、こうやって先輩に会いに行ってたんだ。
それなのに黒尾の言葉に一々期待して、私、バカみたいじゃん。

ポロポロと涙をこぼしながらも気にせず走って、勢いよく家に飛び込んだ。バタンッと大きな音を立てて閉まった玄関の扉に、奥からお母さんが反応する。

「おかえりー、早かったわね」
「………」
「名前〜?牛乳!」
「ごめん、なかったー」
「えぇ!?もう作り始めてるのにどうするのよこれ!」
「ごめんー!お金ここ置いとくね!」

返事も適当に、部屋に引っ込む。そのままボフンとベッドにダイブして、それで私は今日のことを思い出した。
黒尾が分からない。いつももしかして私は黒尾の特別なんじゃないかと思ったら、そうではないと現実を突きつけられる。何にも上手くいかない。苦しい。こんなの、

「もうやめたい…」

止まらない涙はシーツが飲み込んで、そこだけ涙の海を作っていく。苦しいだけの片想いなんてもうやめたい。黒尾を好きじゃなくなりたい。

私はそのまま思考を放棄するように意識を手放したのだった。


* * *


「もう来週だね、文化祭」
「ですねぇ。ミスコンはなんか準備的なのあるんですか?」
「うーん、当日の衣装とか、アピール何するかとか…でも私より周りの友達の方が気合入ってるかも」
「あはは、先輩もやる気出して」
「だって私出るつもりじゃなかったんだもん…」

次の日、いつも通り話す黒尾に妙にイライラした。昨日のあの光景を見なかったら私は今この瞬間もただドキドキと胸をときめかせていたのだろうかと。こんなの自分勝手だって分かってる。だから私もいつも通りを務めた。

もう仕方ないんだ。黒尾は先輩が好き、私が頑張ったってどうなることじゃない。それなら私に今出来るのは、なるべく早く黒尾を諦めて…文化祭の日、何を聞いても笑って応援してあげられることじゃない?

もう頑張るのに疲れてしまった。これ以上傷付きたくない。そんな私が導き出した答えが、これだった。
むしろ先輩に相談する前で良かった。先輩の前で、もう私から黒尾の話はしない。黒尾のために。…私の、ために。

「あ、それより、名前ちゃんにご報告がありまして」
「え。なんですか?」
「大したことじゃないんだけど…」
「なになに、気になります!」
「…私、彼氏とお別れしたんだ」
「…………え?」
「ふふ、先週ね」
「え……ええ!?ど、どうしてですか!?」
「いい反応」

先輩からまさかのカミングアウトに、店の中だというのに私は思わず大声で叫んでしまった。…今お客さんいなくて良かった。

「え、え、…ええ、?いや…え?あんなに仲良さそうだったのに…」
「ほんと…何があるか分かんないよねぇ」
「そんなアッサリ…」
「これでも先週は、ご飯も食べられないし顔もひどい状態だったんだよ」
「そんな…」

言いながら、キラキラといつも通り綺麗なお顔の先輩を見つめる。まさか、先輩が。何も言葉が出てこなくて、でもそんな私にふふふ、と笑った先輩はやっぱり可愛かった。

「ほら、名前ちゃんの話いつも根掘り葉掘り聞いてばっかだし、私も言わないとフェアじゃないかなって」
「…あの…理由、とか…聞いても?」
「…なんか、内定決まったとこの入社前研修でいい感じの子ができたんだって!」
「え…」
「あ、浮気とかじゃないの。でも、そっち頑張りたいから、私とはもう付き合えないって…振られちゃった」
「せ、先輩が…」
「あはは、私だってただの女子大学生だもん。振られることもあるよ」

先輩が、振られた。これって黒尾は知っているんだろうか。知ってたから…昨日先輩と会ってたの?ううん、知らなくても関係ない。だってこれは、黒尾にとってチャンスじゃないか。

「…せ、先輩にはもっといい人がいますよ!」
「そうかなぁ…」
「あ、年下とかどうですか!?なんなら私紹介しますよ!」
「えー?名前ちゃんの紹介じゃ高校生でしょ?私ただのおばさんになっちゃう」
「いやいやいやいや!何言ってんですか!超優良物件もありますからね!」

黒尾とか。自分で考えて、自分で傷付く。だって先輩も前に、黒尾いい子って言ってたし。黒尾大人っぽいし、先輩と並んだ時も全然遜色ないし………

ズブズブと心がナイフで抉られていくような感覚。そうするのは紛れもない自分で、だってこんなの…こうするしかないじゃない。
先輩に彼氏さんがいなくなった今、私はただの邪魔者でしかない。私よ、黒尾は諦めるんでしょ?って。必死に自分に言い聞かした。

「まぁ、気が向いたらね」
「はい!任せてください!」

笑顔で先輩に告げるけど、心は泣いていた。仕方ないじゃない。この状況で頑張るなんて、私には無理だよ。

次の日。黒尾に私が言った言葉。「ミチカ先輩ね、彼氏と別れたんだって」「黒尾、チャンスだよ」「私応援するから」黒尾は目を見開いて固まっていた。



21.03.21.
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