黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

明日も道はあるのでしょうか
最近黒尾、距離近くない?

そう思うのは、私だけだろうか。
文化祭準備の時に二人で一つのプリントを見て話し合うとき、今までより数センチ近付いた距離に動揺して話す声が震えると、それに気付いた黒尾は可笑しそうに笑う。
休み時間も私のところに来る時間が増えた。雨の日の体育の授業、体育館で女子はバレー、男子はバスケをしている時も休憩とかこつけて私の隣に座っていることがある。いつもは私があげてたお菓子も、好きなやつ見つけたから、と黒尾からくれるようになった。

もうこの恋は終わったのに、期待なんてしたくないのに。なのに近付いた気がする距離感を意識する度に、「もしかして私のこと好き?」っていう言葉がまた冗談として言えなくなった。

だめだ。このままじゃ、また本気になってしまう。

「別に良くない?」
「えぇ…だって絶対気のせいだもん…」
「いーや、名前の言う通り、最近さらに黒尾距離近いよ?名前にだけ!」
「うーん…」
「もしかして気持ちが変わったのかもよ」
「え?」

昼休み、ちょっと離れたところにある自販機にしかないジュースが飲みたくなってさっちゃんと立ち寄った帰り。あまり人通りがない渡り廊下を歩きながら、さっちゃんは言う。

「例えば、名前が距離置いたのが黒尾には思ったよりキたとか?失って初めて気付く大切さってあるじゃん」
「いやいやいや、そんな上手くいくわけないでしょ…」
「でも、あながち間違いでもないんじゃない?」
「そうかな…」
「だって夜久くんも言ってたんでしょ?黒尾が寂しがってた〜〜って」
「そ、そこまでは…」
「落ち込んでたってそういうことじゃん!イコールだよ、イコール!」
「えー?」

さっちゃんの言葉にピンとこなくて、私は首を傾げた。…ううん、ピンとこないんじゃない。こないようにしてる、だけ。だって私だってちょっと思ってたもん。もしかして黒尾は本当に、今はミチカ先輩じゃなくて私を意識してくれてるんじゃないかって。

「あ、苗字いた」

廊下の曲がり角、急に目の前に現れた黒尾に私達はビクッと肩を跳ねさせる。え、まさか聞かれてないよね?心臓に悪い!

「出たな黒尾!」
「え?なになに、俺いちゃダメな感じ?」
「名前がいるところに黒尾あり!今は私だけの名前なのに!」
「よくわかんねぇけど、ごめん、先生が呼んでるって言おうと思って」
「え?なんだろ」
「お前今日数学のノート出した?」
「…あ!それだ!ごめんさっちゃん先教室戻るー!さっちゃんはゆっくり戻って!」
「はいはーい」

今日提出のやつ、出してない…!慌てて教室の方に駆け出せば「頑張ってね〜」「ドンマーイ」と背中に二人の声。数学の先生怖いんだよなぁ…まじでやらかした!

これも全部、頭から離れてくれない黒尾のせいだ!


* * *


放課後。今日はバイトだったり用事で準備に出られない子が多くて、それなら今日はなしにしようかって話になった。文化祭のために充てられた授業時間だったり今までの放課後でもうだいぶ進んでいたから、それでも余裕で間に合うだろう。
私はバイト入れてなかったし、今日は早く帰って溜まったドラマの録画を観て………とか思ってたのに。

「最悪…」
「自業自得でしょうが」
「そうだけど…」

よりによって厳しい数学の先生の提出を忘れるなんて。そのせいで追加で課題プリントを出されて、それを提出するまで帰れない。

少しでも早く解いて帰りたいのに、意外に難しいし。問題に苦戦してる私の前には黒尾が座っていて、もう誰もいなくなったのに…あんたは何してんの、と心の中でツッコんだ。

「黒尾部活は?」
「文化祭準備のせいで始まるの遅くしてんのよ、今。終わりも遅いけど」
「へぇ…」
「だから俺教えてあげますよ」
「え、まじで?」
「まじです」
「お願いします黒尾先生!」
「ぶっ…くく、自分で解く気ゼロじゃん」
「早く帰りたいので!」
「せっかくバイト入れてない日に、災難デスネ」
「ほんとだよまったく」

言いながらここ、と分からないところをシャーペンの先で指せば、黒尾は机を挟んだ前から「どこ、」と言って身を乗り出す。

「!」

ふわりと黒尾の匂いがして、ドキリと胸が鳴る。また近付すぎる距離に動揺して、でもそれを悟られたくなくて…気付かれてないよね?なんてチラリと黒尾を盗み見ると何故か黒尾も私を見ていて、至近距離で目が合ってしまった。

「なに」
「く、黒尾こそ…」
「苗字からの熱ーい視線を感じたから?」
「は、あ?黒尾のが先に見てたじゃん!」

恥ずかしくなって慌てて視線を下ろすけど、ドキドキと胸がうるさくてそれが黒尾にまで聞こえていないか心配になるくらいで。それに絶対今耳まで真っ赤になってる。
やだやだやだ、恥ずかしい。収まれ、収まれ…何度も黒尾とこういう雰囲気になったけど、でも全部勘違いだったじゃん。今回もきっと、そうなのに。心の中で言い聞かせても、全く落ち着かないし慣れてもくれない私の身体。それを誤魔化すように、慌てて私は言葉を紡ぐ。

「大体、黒尾最近距離感バグってるよ!」
「え?そう?」
「う、うん…前より近い!恥ずかしいからもっと離れて!」
「苗字の気のせいじゃね?」
「気のせいじゃないし!」

ブンブンと大袈裟に首を振ると、黒尾はそれよりも大袈裟に笑った。

「ぶひゃひゃひゃ!い、犬みてぇ!」
「はぁ!?なんで今犬!?」
「うちの近所のワンコ思い出すわー」
「わっ、」

言いながら私の頭に置かれた手は、遠慮なくわしゃわしゃと髪をかき混ぜていく。ちょ、ぐちゃぐちゃになるって…!!
抗議しようと黒尾を睨むと、さっきまで馬鹿みたいな変な笑い方してたくせに、思いの外穏やかな目で私を見ていて…

「な、……によ、…」

なんて非難の声も勢いをなくして消えてしまった。

「苗字」
「…な、に」
「文化祭の日、ちょっと話したいことあるんですけど」
「な……い、今じゃだめなの」
「んー、…うん」
「…なんで」
「心の準備が必要なので」
「誰の?」
「俺の」
「黒尾の?」
「うん」
「………」

なに、それ。そんなの期待しちゃうじゃん。なんて。言えない、言えないよ。もう傷付きたくないから。
え、黒尾、私が黒尾こと好きなの知ってるよね?それ知ってて、こんなこと言ってるんだよね?

胸が痛い。もしかして、って何回思えば気が済むんだろう。それで何度も痛い目を見てきたのに、…それなのにあと一回くらい、許して欲しいと思ってしまう。

「…分かった」
「ん。…じゃあそろそろ部活行くわ」
「あ、うん…」
「今日バイトないんだよな。気をつけて帰れよ?」
「うん…黒尾は部活、頑張って」
「ドーモ」

最後にまた軽く私の頭を撫でると、黒尾はいつもみたいにニヤッと笑って教室を出て行った。
なに。なに今の。未だうるさい心臓を押さえるよう胸に手をやり、机にガンと頭をぶつける。痛。夢じゃない。

「…結局教えてもらってないし」「ばーか」「……ばーーーか」

一人の教室に、大きい独り言は吸い込まれていった。


21.03.19.
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