黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

終わらせたい物語
夏ももう終わるというのに今年はろくな思い出がないな。自嘲気味に笑っても、自室のベッドの上じゃ誰に見られることもない。唯一の夏らしいことと言えば黒尾に告白してしまった夏祭りくらいで、ほんと、

「最悪…」

その呟きも、やっぱり誰に聞かれるでもなく部屋の天井に消えていった。

私はあれからも誰にも失恋したことなんて悟られることなく普通に過ごしていた。もう笑えないかも、そう思っていてもお笑い番組をつければ普通に笑えるし、ずっと涙が止まらないわけでもないし、お腹だって空く。ただ胸の中にぽっかりと穴が空いたような、そんな感覚だけは消えなかった。

普通にこれからも友達で。私達、親友じゃん。そう言い合ったはずなのに黒尾からの連絡は来なくて、勿論私から出来るわけもなく。メッセージアプリの黒尾とのトーク履歴は、夏祭りが始まる前で止まったまんま。画面の中の私は未だ黒尾と会えることに胸を高鳴らせていたあの時を思い出させて、その度に胸がぎゅうっと締め付けられるように痛くなった。

そうして、あっという間に二学期がやってくる。髪…伸びたなあ、暑くて鬱陶しいと何度も思ったのに切ることはなかった、かなり伸びた自分の髪を一房手に取った。失恋して髪を切るなんて、あからさまだよね。黒尾が気にしちゃうかも。とか、こんな時まで黒尾のことを考えしまう自分に呆れてしまう。だいぶ前、もしかしたら一年か二年の時に、髪の長い子が好きだって言ってた気がするから。それを未だに信じて好きになってから伸ばしてただなんて笑っちゃうよね。
切るかどうかは置いといて今日のところは髪をひとまとめにポニーテールにしていると、いつの間にか家を出る時間を大幅に過ぎていたことに焦り慌てて家を出た。


* * *


「おはよう名前!久しぶり〜!」
「さっちゃんおはよう!焼けたねぇ」
「ハワイに行きましたので!」
「うわ、いいな」
「名前は焼けてないね」
「ずっと引き篭もるかバイトばっかでしたので」
「通常運転すぎる」
「はは、あんまり夏休み感なかったや」

下駄箱のところで後ろから突進された衝撃に振り返ると、今日も元気なさっちゃんがニコニコと笑っている。

「っていうか名前ポニテ!!可愛い!!!」
「ふふ、ありがとう」
「黒尾も絶対可愛いって言うよこれ!早く見せないと!」
「あ…」

そこで気付く。さっちゃんにも、黒尾に振られたことはまだ言えていなかった。どうしよう、今言う?でもこんなところで?一瞬戸惑ったせいで反応が遅れたことにさっちゃんは首を傾げるから、いいや今言っちゃおう…!と口を開いた時。今度はズシリと頭が重くなって、「え、なに!」振り向けないまま思わず叫ぶと、いつもよりも更に高いところからそんなことをする主の声が降ってくる。

「おはよーさん」
「黒尾!久しぶり!」

黒尾だ。黒尾が、いる。

「見て見て黒尾!名前!今日は一段と可愛くない!?」
「おー……何かいつもと違うじゃん」
「あ…」

頭に置かれていた手が退いてこの目で黒尾の姿を認めた瞬間、ドクンと心臓が鳴った。
あんなに声が聞きたくて、あんなに会いたかったのに。いざ本人を目の前にするとどんな風にしていいのかわからなくて、あれ、私いつもどうやって黒尾と喋ってたっけ、なんて焦ってしまって。

「可愛いよね!」
「あー…うん、似合ってんじゃね?」
「だって名前!よかったねぇ」
「あ、ありがとう…ござい、ます…?」
「なんで敬語なの?」
「は、恥ずかしくて!ごめん黒尾、先行くね!」
「…おー…」
「待って、え、名前!」

急に駆け出したから後ろから慌てて私を呼ぶさっちゃんにごめんと心の中で謝って、でも私の足は止まらなかった。距離感が分からない。嬉しいと思ってしまう自分が嫌になる。喜んでいいの?どれくらいのテンションだったらウザくない?振ったのに、って、思われない?

どうしよう。ほんとにいつも通りで、前通りでいいんだろうか。前通りって、どんなだろうか。

自分の席で上がった息を落ち着かせていると、遅れて入ってきた黒尾と目が合って。咄嗟に私は目を逸らしてしまい、…もう一度恐る恐るそちらを見た時にはもう黒尾も私を見ていなかった。ああ、私、また後悔してる。

そのあとは始業式だし、今日は授業もないし、ホームルームが終わったら黒尾はすぐに部活に行ってしまうし。あれから黒尾が私に話しかけてくれることはなくて、一瞬で一日が終わってしまったことにショックを受けた。

いや、仕方ないじゃん。まだ気まずいし。あんなよそよそしい態度とっちゃったし。…黒尾、どう思ったかな?
こんなことになってもぐるぐる考えてしまう自分に、泣きそうになった。どうしたらいいのか分からないんだよ。普通に黒尾と話したい。でも黒尾と話せることが嬉しくって、必要以上に近くなってしまったら黒尾にどう思われるかこわい。
どう思われるか分からない、どう思われたいかも分からない。私の頭は最近いつもぐちゃぐちゃだ。

「名前ー…?どうしたの…?」
「さっちゃーん…」
「帰らないの?なんかあった?」
「……うー…ん」

誰にも悟られないで意外に普通に振る舞えている。なんて、どうして思っていたんだろう。自惚れてた。あんなほんのちょっと、黒尾を見ただけでまたすぐ元に戻ってしまったというのに。

ホームルームもとっくに終わって人がいなくなった教室、いつまでも席を立たない私にさっちゃんは私の顔を覗き込む。その顔を見た瞬間、何故だかすっごく悲しくなって…ぽた、ぽた、と机に涙が落ちた。

「え、どうしたの!?どっか痛い?しんどい!?」
「ん、う、うぅ…違う…」
「ほら、ハンカチ!ティッシュもあるよ!」
「ご、ごめんん…ひっ…あり、がとぉ…」
「ううん、落ち着いたら話聞かせてね」
「んー…、」

ず、と鼻を啜ると、さっちゃんは私の前の席に座ってゆっくりと頭を撫でてくれた。その温かさが嬉しくて、安心して、そしてまた泣けてくる。私、前はこんなに涙腺緩くなかったんだけどな。なのに涙は止まらなくて、それなら涙と一緒に黒尾への想いも流れていってしまえばいいのに、なんて柄にもないことを思ってしまった。

振られた日ぶりに、こんなに大泣きしたかもしれない。漸く落ち着いてすんすんと鼻の鳴る音だけが響く教室で、それを掻き消すように一際大きく、ぐうぅ、とお腹の音が鳴った。驚いて顔を上げると恥ずかしそうなさっちゃんと目が合って、それがさっちゃんのものだと気付いて思わず二人で吹き出した。

「ふ、ふふ…ごめ、お腹すいたね…お昼食べに行こっか、」
「も〜〜〜ほんとだよ!名前の奢りだからね!そこで話も聞くから!」
「ふふふ…うん…ありがとう、さっちゃん」

真っ赤になってしまった目で笑いながら学校を出て、近くのファミレスで遅めのお昼ご飯。美味しいものを食べるだけで心が落ち着くのって不思議だな。今度は冷静に。さっちゃんに失恋を報告すると、さっちゃんはただただ私の話に頷いて静かに話を聞いてくれた。

「そっかぁー…でも、なんか…意外だなぁ。絶対付き合うと思ってたのに…」
「…応援してくれたのに、ごめんね」
「名前が謝ることじゃないじゃん!」
「うん…でも私、黒尾に好きな人がいるの知ってたんだよね」
「え?」
「…だから、失恋確定だったの」
「…そっか…それなのに私、…ごめん。今日の朝も…」

朝、さっちゃんが私のポニテを黒尾にアピールしてくれたのを思い出す。嬉しかったよ。さっちゃんが応援してくれるの、心強かった。

「ううん、さっちゃんは悪くないから!」
「それで、名前はどうしたいの?」
「…分かんないんだよね。普通にまた話したいのに…完全に気持ちが消えたわけじゃなくって、普通に出来るか分かんなくって…」
「…まぁ、でも、そんな簡単に切り替えられるわけないじゃん。それでいいんじゃない?」
「え…?」
「だから!切り替えられるまでは、ちょっと距離置いても!で、名前がもういいかなって思えたら、そん時はまた前みたいに話せるでしょ」
「…そんなこと出来るかなぁ」
「だって黒尾だよ?ちゃんと分かってくれるし、絶対大丈夫だよ!」

さっちゃんの言葉に、純粋に驚いた。だって私にはそんな考えなかったから。頑張って今まで通り親友の顔して一緒に過ごすか、気まずくなって離れるか。それしかないと思っていた。
でもさっちゃんが大丈夫だと言い切ってくれるお陰で、そうじゃないんだと気付かされる。

そっか。大丈夫なのか。ちょっと離れて心の整理がついたら…また、黒尾と何でもないことで笑えるようになるのかな。そうなったらいいな。

「…さっちゃん、ありがとう」
「うん?」
「さっちゃんがいなかったら私…絶対また後悔してた」
「ふふ…私だって名前の友達なんだからね!」
「うん…ありがと!」

さっちゃんの存在に、心がぽかぽかして、嬉しくて…久しぶりに心から笑った気がする。夏休み、色んなことがあった。悲しいことも辛いこともいっぱいあった。
でもきっとこれは時間が解決してくれる。またいつか、黒尾の親友に戻れる日が来る。いつか、これも笑い話にできる時が来る。そうであって欲しい。そう思いながら…私は漸く一歩進めた気がしたのだった。


21.03.06.
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