黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

在りとして辿る
あれ、絶対また後で泣くよなぁ。

つい先程まで一緒にいた苗字のことを思い浮かべ、それが分かるからこそ無理に着いていくと言えなかった自分に嫌気がさす。着いていっても俺は苗字の気持ちには応えられないし、苗字もそうとなれば一緒にいて欲しくはなかっただろう。もしかしたら忘れ物をしたということ自体嘘かもしれない。

こんな時ばかり頭が回る自分にまたため息を吐いて、俺は何となくそのまま家に帰る気にはならず途中の幼馴染の家に立ち寄る。結局いつも、何かあれば来る場所はここだと決まっているのだ。

「…なに」
「…や、元気にしてるかなぁって」
「何言ってんの、さっきまで一緒に部活してたじゃん」
「ソーデスネ」
「…はぁ」

研磨は、どこまで知っているのか。いや、話していないのだから何も知らないはずなのに、何でも見透かされている気分になる。俺を一瞥した幼馴染は、すぐにまたゲーム画面に視線を戻し「座れば」と呟いた。

いつもの場所に腰を下ろせば、相変わらずこちらに向かない研磨はしかし俺が視界には入っているのか口を開く。それは例えば試合の時に勝利の不可を告げる時のような、そんな淡々とした口振りだった。

「で、どうしたの」
「…何が?」
「何か聞いてほしいから来たんでしょ」
「お見通しかよ」
「苗字さんの話?」
「え、なになになにコワイコワイ。見てた?エスパー?」
「…前に苗字さんが俺になんか言ってなかったかって聞いてきたのはクロでしょ」
「いやまぁ…うん、そうだな」
「告白でもされた?」
「ブフォッ」
「クロ汚い」

え、こわ!マジでコワイ何この子!やっと目線をこちらにやってくれた研磨は怪訝な表情で俺を見る。いや、そんな顔すんなよ!

「…クロってさ」
「な、なに」
「周りのことよく見てるようで、意外に見えてない時があるよね」
「つまり?」
「俺はクロの好きだっていうコンビニの女神は知らないけど、でも苗字さんは明らかにクロに好意を持ってたと思うよ」
「え…」

頭を殴られたような衝撃を受けた。俺はそこそこ自分が周りを見ていて、空気を読んだり意思を汲み取ったり出来る方だと思っていた。それは恋愛方面においてもそうで、高校に入学してからミチカさんを好きになる僅かの間には彼女だっていたし、その後も何度か告白された経験だってある。
ああこの子俺のこと好きなのかな、そう気付けば何となく距離を取るようにしていたし、勘違いさせるようなことはしない努力もしていた。それが苗字には全くそんな雰囲気さえ感じ取れず、結果あんな表情をさせてしまったわけだけど。

研磨は俺以上に周りを見ることに長けているように思う。だけど今の口振りからするに、苗字のことは自分でなくても分かったはずだと、暗にそう言っているように思えた。

「それ、は…」
「いかにクロがそのコンビニの女神に夢中だったかっていうことと、…それから苗字さんを甘く見ていたかだよね」
「え?」
「苗字さんはクロが一番仲の良い女友達で、それ以上でもそれ以下でもない。そういう過信があったんじゃない?」
「過信……」
「苗字さんがクロをみる目付きは明らかに今までと違うかったし、まぁ…クロにしては珍しく距離を置いたりしないなぁとは思ってたけど」

研磨の言葉に、俺はこの数ヶ月のことを思い返した。

夏祭り、体育祭、教室での何気ない会話、毎日の帰り道、映画に行った日…考えればそこかしこにヒントはあったはずなのに、それを全て見逃していたなんて本当に自分らしくない。

そしてそんな自分を想ってくれていた苗字の気持ちを考えると…胸が痛くなった。
そういえば、今年になってからたまに、ほんの一瞬、悲しそうな表情を見せることが何度もあった気がする。

「あぁー…まじ…最悪じゃん、俺」
「…でも、どうせ苗字さんの気持ちには応えられないんだから、過ぎたことは仕方ないんじゃない?」
「ん…」
「それとも何?コンビニの女神がダメだったから、苗字さんでもいいかなって思ったの?」
「おまっ…それは、ない…けど」
「でしょ?じゃあ仕方ないよ、苗字さんはクロが他の人が好きだって知ってたわけだし」

だからこそ。なんて酷なことをして、言ったんだろうと思ってしまうのだ。きっと苗字は、こんな俺のせいで陰で何度も泣いたんだろう。…あの夏祭りの日のように。

研磨の言うように仕方ないことだと分かりきっているのに、それでも割り切れないのは何故か。今まで一番一緒にいてくれた気の許せる友達だったから?苗字が特別だから?…考えてもやっぱり分からなくて、俺だってミチカさんに彼氏がいたと知りショックを受けているはずなのに…それは嘘ではないのに、やはり苗字のことが気になった。

「コンビニの女神はもういいの?」
「…ちょいちょい気になってたけど、その女神って何?」
「…クロが最初に言ったんじゃん。あそこのコンビニに女神みたいな人がいるって」
「嘘」
「ほんと。自分が言ったこと忘れるってどうなの」
「はは…」
「………」
「…よくわかんねぇんだよなぁ。あんなに…毎日会えるのに、テンション上がってたはずなのに…」
「今はそんなに?」
「うーん…前よりは、…うん」
「フーン」

頭の中で、ミチカさんの笑顔を思い出す。あの綺麗な笑顔を向けてくれることが嬉しかった。気軽に話しかけてくれるところも、おすすめを聞いたら教えてくれるところも、名前を知れた時も、サイン入りパンフを渡した時の喜んだ表情も…全部全部嬉しくて、胸が高鳴った。

それは確かに、恋だったはずなのに。

「…まぁあんまり落ち込んでないなら、別にいいけど」
「あー…」
「…まだ何かあるの?」
「…苗字。親友としてこれからもよろしく、って、…ちゃんと戻れるのかねぇ」
「それは苗字さん次第だね」
「…そうなんですよ」
「クロは、これからも仲良くしたいの?」
「まぁ…うん。苗字と今までみたいに話せなくなったら、…寂しいとは、思う」
「…フーン」

結局はそこなのだ。苗字という友達を失うのが怖くて、恐れて。俺にそんなこと言う資格はないってのに。

「…ま、でも今はそれどころじゃねぇよな。とりあえず春高予選!」
「うん」
「…そんじゃ、そろそろ帰るわ!」
「うん」

いつも通り、アッサリと見送られ幼馴染の家を出る。何が解決したわけでもないのに、研磨に話すことで頭の中を整理できてここに来た時よりずっとスッキリしたような気がした。

頭の中にこびりついて離れない苗字の泣き顔を思い出す度に、チクリと胸が痛くなるのには目を瞑って。


21.03.01.
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