黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

かなしいお願いごとばかり
誰とも連絡を取らない夏休みがこんなに辛いとは思わなかった。あの日から、毎日あった黒尾からのメッセージがなくなった。バイトには行っているけれど、夏休み中は部活に集中してもらえるように元から私の迎えは断っていたし、もしかしたら黒尾は先輩だけがいる時間を狙って行っているかもしれないがそれは私の知るところではない。

「はぁ…」

鳴らないスマホを眺めながら、何度あの時を後悔しただろう。最後に見た黒尾の表情が頭からずっと離れなくて、その度に胸が詰まる。
言わなきゃ良かった。もう何度思ったのか分からない、それでもまた思わずにはいられない。

もう涙なんて枯れ果てたんじゃないかってくらい泣いた。今はまだ夏休みだからいいけど、二学期が始まったら嫌でも黒尾と顔を合わせることになる。黒尾は私になんて言う?どんな顔をする?友達としても居られなくなったら、私は……なんて後悔してもしきれなかった。


* * *


「最近黒尾くん見ないねぇ」
「毎日部活ですよ。流石にここに来てる場合じゃないんじゃないですか?合宿もあるって言うし」
「ふぅーん?」
「…なんですか」
「黒尾くんと何かあった?」

先輩には、あの日の話はしなかった。言えるわけない。黒尾はあなたに失恋して、私はそんな黒尾に失恋したんです、だなんて。
先輩は鋭いから、良いことがあったら目敏く気付いて聞いてくるだろうし、逆に私が落ち込んでいたら察して何も言ってこないだろうと思っていた。

だから、あの日からもう何日も経った今更聞かれたことに多少なりとも驚いたし、動揺が隠せていなかったんだと思う。先輩はすぐに、「言いたくないならいいんだけどね!」と付け足して笑った。

先輩のこういうところが好き。美人で仕事が出来る、優しいし気も遣える。妬むなんて恐れ多いくらい私の憧れで…だからこそ、苦しい。こんな人に勝てるわけないじゃんって。

「…なんでもないですよ」
「そっか」
「ただ、ちょっと喧嘩した、みたいな…」
「いやなんかあるじゃん!」
「ふふ」
「えぇ〜…どっち?」

よっぽど黒尾に告ったことを一瞬言ってしまおうかと思ったけど、でもそんなこと先輩に言ったってどうになるわけでもない。ただただ私がまた後悔する気がした。
だから曖昧に笑って誤魔化せば、そんな様子から大したことはないと思ったのか先輩も同じように笑った。

「ていうか二人が喧嘩するところなんて想像できないなぁ」
「あ、はは…普通にしますよ、所詮他人同士なんだから」
「そうだけど、でもあの黒尾くんが?怒ったり言い合ったりとかあんまりしなさそう」
「ちょっと先輩、それって私はしそうってことですか?」
「いや、そんなことは…あっ!…ふふ、いらっしゃいませー」
「いらっしゃいまー…せ…」

一瞬誤魔化された、と思ったけど、本当にお客さんが来たみたい。入店音が鳴って私も入り口に目を向ける。だけどその瞬間、まるで身体がガッチガチに固まってしまったみたいに動けなくなった。

黒尾が、いる。

「ドーモ」
「ちょっと久しぶりだね、黒尾くん」
「合宿あったんで…ミチカさんテスト終わったんすか?」
「えぇ、とっくに終わってるよ!ちゃんと夏休み満喫してます!」
「あれ、就活は?」
「もう内定いただいてまーす」
「流石っすね、おめでとうございます!」
「ありがと!」

すごい…黒尾は先輩とそんなに普通に話せるんだ。なんて、黒尾から逃げた私には考えられなかった。息苦しい。まだ心の整理がついてないよ、どうして来たの、なんて、会えて喜んでる自分もいるくせに。

たった数日会わなかっただけなのに懐かしさすら覚える黒尾は、少し髪が伸びたかな。夏なのに相変わらず色白いな。聞き慣れているはずの低く安心するような声に、私の意思に反してドキドキと胸が高鳴った。

勿論話に参加するなんて出来るわけがなくて、二人の会話を何となく聞きながらチラリと黒尾を盗み見る。すると丁度黒尾も私を見て、しっかりと目が合ってしまった。ごくり。大きく喉が鳴る。何を言えばいいの。感情の読み取れない黒尾の目がこわくって、私はすぐに逃げるように視線を逸らす。

「……あっ!」

どうしよう、そう思った時に先輩が大きい声を出すから、肩を跳ねさせて先輩を見た。そしてそれは、レジカウンターの向こうにいる黒尾も同じだった。

「今日暇だから、名前ちゃんもう上がりな?ほら、黒尾くんも来たし」
「え?いや、黒尾は絶対そんなつもりで来たんじゃ」
「…暇ならお言葉に甘えれば?」
「ほら!黒尾くんも名前ちゃんと一緒に帰りたいって!」
「…や、あの…」
「はい、じゃあ着替えておいで!」

半ば強引に、休憩室に押される背中。扉を閉める前に、先輩はこっそり私にこう言った。「頑張って仲直りしないと!」…喧嘩じゃ、ないんですけどね。

そうして予定外に黒尾と二人歩く道はまだ日も落ちてないせいか暑くて、普段だったら暑い暑いと言い合ってアイスでも買おうかってなりそうなものなのに勿論そんな雰囲気はない。ただただ汗を滴らせ、この重い空気をどうしたらいいのか考えた。

家までの道も、あと半分といったところ。途中の公園の前に差し掛かった時、黒尾は突然立ち止まった。

「…どうしたの」
「ちょっと、話していきません?」
「…やだ、暑いもん」
「そこをなんとか」
「…嫌だ」

嫌だよ。黒尾からの話なんて、聞きたくない。…振られると分かっているのに、聞きたくない。

「自販機で何か奢るから」
「…嫌だ」
「じゃあそこのコンビニのアイス」
「…高いやつ選んでもいい?」
「ん、いーよ」
「…ちょっとなら」

折れない黒尾に、諦めたのは私の方。分かってる。今何も聞かないでも、だからと言ってメールや電話なんかでそういうことを話す奴じゃないってこと。そうして宙ぶらりんでいることが一番苦しいってこと。
頷いた私にあからさまにホッとした表情の黒尾は、すぐ近くのコンビニへ歩き出す。コンビニから出てきてまたコンビニに行く変な私たちは、そこまでもずっと無言だった。

一番高いストロベリーアイスを買ってもらった可愛くない私と、同じブランドのバニラアイスを持った黒尾は、また灼熱の公園に戻りせめてもの涼しさを求めて木陰のベンチに並んで座る。秒で溶けていく甘さに集中するフリをして気まずい空気をやり過ごしていると、先に食べ終わった黒尾が口を開いた。

「あー、美味かった」
「…もう食べたの、早」
「苗字ももう食べ終わるじゃん」
「………」
「…元気だった?」
「…まぁまぁ。黒尾は?」
「部活ばっかでへばってたけど、まぁ楽しいしんどさ」
「そりゃあ良かったね」

ちょっとでも私のことを考えてくれたりはしなかったのかな。なんて、自分勝手なことは承知でも思ってしまう。少し、ほんの数時間でも、私の告白が黒尾の頭の中を占める時間があったら良かったのに。

どうだったのかは定かではないが、でも今日黒尾は多分私がいるって分かっていてコンビニへ来た。きっと元より話をしに来たんだろうなと今更ながらに思った。

「…で、本題入っていいですか」

きた。無意識に震えそうな手をギュッと握り込む。チラリと横目に見た黒尾の真剣なその表情は、私が告白してしまったあの時に似ていて、胸が押しつぶされそうなくらいに苦しくなる。だからその顔やめてよ。なんて言えずに、私は黒尾に向き合った。

「…まず、…めちゃくちゃ無神経なことしてごめん。苗字の気持ち知らなかったとはいえ…その、」
「…謝らないで欲しい…」
「…ん、そうだな。謝るのも違うよな」

謝られたら、余計に傷付く。それでも黒尾は優しいから、罪悪感を持ってしまうんだろう。…そんな優しさ、いらないから。

「で…苗字が知ってる通り、俺も、好きな人がいて」
「…うん」
「まぁ、その人にも彼氏がいて失恋したわけですけど…でも…だからって、苗字のこと友達以上には考えたことなくて」
「…う、ん」
「苗字がバレー部以外で一番一緒にいて楽しいし、楽だし、すっごい良い奴だって分かってる、けど…ごめん。苗字の気持ちには応えられない」
「…っ、ぅん…」

少しでも気を抜けば今にも泣いてしまいそうで、ぐっ、と目に力を込める。…もう黒尾の前で泣きたくない。もう今日までに十分泣いたじゃん。

ひくりと喉が鳴って、私はそれすらも飲み込んだ。

「…勝手なこと言ってるのは分かってるけど…でも気持ちは、めちゃくちゃ嬉しかった。し、…これからも苗字と友達でいたいと思ってる」
「…ぁ、当たり前じゃん。私、黒尾の親友だし」

ああ、こんなめちゃくちゃ鼻声で、一周回って笑えてくる。無理矢理上げた口角もきっと引き攣っていて全然可愛くない顔をしてると思うのに、そんな私の言葉を聞いた黒尾はずっと硬かった表情を少し崩した。

「ん…そうだな」
「…親友は、頼まれてもやめてあげないから」
「そもそもそんな風に親友になったりやめたり出来んの?」
「そ、ういう正論なしでしょ今!」
「ぶふっ…じゃあ、改めてよろしく」
「うん!」

ああ、苦しい。でもこうして笑っていなければ、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうで。それに、安心したような黒尾のその笑顔はやっぱり大好きで…それが見たくて、必死に表情筋に力を込める。

「…それじゃ、そろそろ帰ろ。暑くて汗やばいし」
「そうだな。…苗字」
「うん?」
「…好きになってくれて、伝えてくれて…ありがとう」
「…っ!」

黒尾の言葉にびっくりして、目を丸くさせて、…その瞬間に今までの色んな思い出が蘇った気がして必死に涙を堪えた。ねぇ黒尾、そんなのずるいじゃん。そんなこと言われたって嬉しくないし、…平気なふりしてるけど、全然なんだってば。

「……あ、あー!ごめん、私、忘れ物した」
「え?」
「ごめん、一回店戻る。黒尾先帰って」
「おっちょこちょいかよ」
「あんなの落ち着いてられるわけないでしょ!」
「…まぁ、…じゃ、先帰っていーの?着いてくけど?」
「ううん、今日はまだ全然明るいし!黒尾は帰ってちょっとでも休んで」
「じゃあ…また、新学期な」
「うん!部活頑張れ!」
「どーも」

最後の力を振り絞った、と言っても過言ではないくらいなるべくいつもの笑顔で黒尾に手を振って、その背中を見送る。もうすぐ。あとちょっと。そして曲がり角で黒尾が曲がってその背中が見えなくなった瞬間。私はその場に蹲った。

「ぅ、うう〜…ひ、ぐぅっ…ばかぁあー…」

堪えきれなくなった大粒の涙が、地面にシミを作っていく。むしろよくここまで耐えられたと思う。好きだよ、大好きだったよ、黒尾。

私ちゃんと、次からただの友達に戻れるのかな。涙なんてもう枯れたと思ったのに。だからこれは涙じゃない、汗なんだと私は誰でもない自分に言い聞かせた。


21.02.27.
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