黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

なくなる夏
「あ…」
「あ、ごめん、お邪魔だったね!?」
「いやいや全然。ミチカさん…は、お友達と?」
「ううん、彼氏!ほら、あそこに立ってる人…って、名前ちゃんは見たことあるよね」
「あ…は、…はい」
「…へぇ」

一瞬にして、ぶわっと嫌な汗が噴き出す。どうしよう。頭の中はそればっかりで、隣の黒尾を見れない。
突然現れたのはミチカ先輩で、そんなまさか…こんなに人が多いのに本当に会うと思っていなかったのだ。それに、…先輩が指差した方には、何度か会ったことがある、浴衣を着た先輩の彼氏さんが会釈してくれて。まさか無視するわけにもいかないので私も曖昧に頭を下げるけど、でもそれで余計に隣の温度が下がった気がした。

「え〜デートっすか。ミチカさんも隅に置けないなぁ」
「なによぉ、黒尾くんは相変わらず生意気だね!自分だって可愛い子とデートしちゃって!」
「はは…可愛い子?どこ?」
「うわ、そんなこと言って!そんなに意地悪言ってると愛想尽かされちゃうよ」

やめて。やめてやめてやめて。二人の会話に、頭の中で警鐘が鳴り響く。先輩が良かれと思って言ってくれているのも分かってる、黒尾だってさっき可愛いって言ってくれたのはそんなに本気じゃなかったんだって分かってた。

だって黒尾が好きなのは、私じゃなくてミチカ先輩だから。そんな分かりきったことで傷付くな、私。

「あ、それじゃ、花火もうすぐだし私も行くね!二人も楽しんで!」
「はぃ、」
「ミチカさんも」
「またね!」

笑顔で手を振った先輩は、待っていた彼氏さんと手を繋いで去っていく。私はそれをどこか他人事のように見ているしかなくて…そんな私を現実に引き戻したのは、やっぱり黒尾だった。

「オイ」
「いたっ」

容赦なく振り下ろされたチョップからは、ついさっきまであった雰囲気は毛ほども感じさせない、またいつもの学校の時のようで。渋々隣を見上げれば、ドクン、心臓が嫌な音で跳ねた。

「…なぁにが友達だよ」
「…黒、尾」
「…知ってたんだな」
「黒尾…あ、の…私、」
「いや、ごめん…気遣ってくれてたんだよな。言いにくいよな、そりゃあ…」

いつもとおんなじような声色は、顔を見なけりゃ"あれ、あんまり気にしてない?"とか思っていたかもしれない。でも見てしまったその表情は、眉を下げて、笑っているけどしっかり傷付いているようなそんな顔で…そんな黒尾は初めて見た。そんな顔しないで、なんて言えるわけない。先輩に彼氏がいるのを知ってて、そして今日その彼氏と来るのを分かってて、私は黙っていたのだから。今黒尾を傷付けたのは、明らかに私。…私だって、傷付いているけれど。

「…ごめん」
「何で苗字が謝んの。むしろ俺がごめん、俺、気付かずにずっと話聞いてもらったりしてて絶対困らせてたよな」
「そんなこと、」
「ていうかダサい、いやー…めちゃくちゃ恥ずかしいやつじゃんこれ」
「…黒尾」
「うんまぁ、そりゃそうだよな…あんな綺麗なんだし、彼氏くらいいるよな」
「…黒尾」
「ミチカさん…浴衣めっちゃ似合ってたし、可愛かったし、彼氏が羨ま」
「黒尾!」
「……ん」

…そんな顔、しないでよ。その言葉を、…涙を、ぐっと飲み込む。
私じゃそんな顔させられない。わたしの浴衣姿を見てもそんな風には言ってくれない。それがこんなにも悔しくて、悲しくて、切なくて…何度も何度も、私じゃダメなんだって思い知らされる。

ついさっきまで幸せだったのに、今はもう想像すら出来ない。それでもなお、私は黒尾が好きでどうしようもないのだ。

ヒュゥウ…………ドーーーン

「あ…」

音につられて上を見上げれば、私たちの沈黙なんて関係ないと言うように大きな花火が咲いた。こんな気持ちで見ることになるなんて思わなかった。
歓声や拍手といった喧騒も、ここに来たときからずっと聞こえる笛や太鼓の音も、全部全部どこか私達とはかけ離れた場所にあるみたいで。

堪えきれなかった涙がぽろりと零れる。その後を追うようにして、大きな雫が次々に出てきて止まらない。

大丈夫…大丈夫。黒尾は上を向いているから。止めろ、止めろ…止まって。黒尾が気付いてしまう前に。

「…どうすんの、これから」
「んー…つってもなぁ…ミチカさん、どんくらい付き合ってんだろ、彼氏と」
「…高校のときから、だって」
「まじか。めっちゃ長いじゃん」
「…ん」
「つーかそれも知ってたん……だ…、なに、」
「え」
「なんで苗字が泣くの」

私の願いなんて虚しく、ふとこちらに視線を落とした黒尾に泣いていることがバレてしまう。ずず、と啜った鼻音が今の私をすごく惨めにさせて、今すぐにでもここから消えてしまいたかった。

黒尾はまた眉を下げて、困ったように笑う。私の目の下に指を置いて、すり、と涙を拭き取った。

「………」
「…なぁ」
「………」
「なんで泣くんだよ」

私にはそんな表情しか、見せてくれないくせに。私には冗談っぽくしか、可愛いと言ってくれないくせに。
一度口を開いて、迷って…また唇をギュッと引き結ぶ。堪えきれていないくせに、泣くのを我慢しているときみたいに鼻の奥がツンと痛い。瞬きをすると、またボロボロと涙が落ちた。

バイト終わりの帰り道。映画館でキュンとさせられた笑顔。怖かったところを助けてもらった日。好きだと気付いた瞬間。頭にポンと置かれた大きな手。親友としての特別をくれる日常。失恋したとき。体育祭で感じた大きな身体と熱すぎる体温。褒めてもらいたくて選んだ浴衣。

全部全部黒尾との大切な記憶で、私のかけがえのない思い出で…

どれだけそれが増えても、手に入れられないもどかしさ。私じゃない人を見るその横顔。それでも私は、そんな黒尾が、

「好きだから」
「え、」
「黒尾が…好き、だから」

気付いたら口を出ていた想いに…ああ、こんなはずじゃなかったのに。

「え…俺…?」
「…ん、…黒尾」
「なに、…いつから、」
「…三年に、なってから、」

だけど。きっともっと前から、ずっと好きだったんだよ。

黒尾から表情が消える。せめて、思い切り困った顔でもしてくれたらいいのに。ボロボロと止まらない涙が、浴衣を濡らしていく。こんなはずじゃなかった、そう思ってももう何もかも遅くて。

「…ごめん、帰る」
「え!?」
「…ごめん、ね」
「苗字、」

これ以上そんな黒尾を見ていたくなくて、逃げるように駆け出した。こんな格好じゃなきゃもっと早く走れるのに。みんな花火に気を取られて気付かないだろうけど、それでも涙でぐちゃぐちゃになった顔を隠すように俯いて走る。足が痛い。胸が痛い。もう全部、ぐちゃぐちゃだ。

今日を楽しみにしていた気持ちも、黒尾と一緒にいて幸せだったことも、好きだと言う想いも全部ぐちゃぐちゃで、もうきっと元通りにはならない。

あの時あそこで座って休まなければ、好きと言わなければ、…そしたら、また違った今があったんだろうか。
さっきまでは気にならなかった汗が酷くうっとおしいと感じる夏の夜に、最後に聞いた黒尾の声が頭の中にこびりついた。


21.02.24.
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