黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

光は余韻を許さない
暑い。うなじに張り付いた後毛を払い、鏡の中の自分を覗き込んだ。そこには、さっちゃんと選んだ浴衣に身を包んだ私が立っていて、お母さんに着付けてもらったお陰で自分で着るよりもずっと綺麗に完成したこの姿を見て思わず口元が緩む。
中々いいんじゃないかな、ねぇ。着替える前に悪戦苦闘して結い上げた髪もその甲斐あっていい感じで、仕上げにさっちゃんから貰った髪飾りを付ければ…うん、可愛い。なんて自画自賛してみる。

黒尾、なんて言ってくれるかな。なんか言ってくれるかな。とか少しくらい期待しても今日は許して欲しい。

ちょっと早いけど、お母さんに言って家を出る。慣れない足元を考慮したら多分ちょうどいいはず。カラン、カラン、と音を立てながら向かう神社は昔からよく行くし、毎年行われるこの夏祭りだって去年も友達と来たのに。
それなのにまるで初めての場所に行くようにソワソワしてるのは、場所とかじゃない。ただそれが黒尾とだから、こんな格好を見せたいのも黒尾だから、ってだけ。

転ばないようにゆっくり歩いてたどり着いた待ち合わせ場所、既に沢山の屋台が出ていて賑やかなそこは、どこからか笛や太鼓の音も聞こえてくる。この非日常感が堪らなくて、やっぱりソワソワしたまま私はあたりを見回した。

「よっ」
「黒尾!」
「どこの綺麗なお姉さんかと思ったら苗字サンじゃないですかー」
「…揶揄わないでよ」
「ごめんごめん、マジで浴衣着て来てくれたんだ?」
「まぁ、」
「それって俺が言ったから?」
「はぁ!?…ち、違うし…去年も着たもん」
「そ?顔真っ赤ですけど?照れてんの?」
「うるっさいなぁ!」
「え、口悪、何この子…いでっ」

既に待ち合わせ場所にいた黒尾は、私の姿を見つけるなりいつも学校の教室でそうするように右手を上げる。
落ち着かない心を誤魔化すように浴衣の帯あたりを指で撫でると、黒尾は私を頭の上から足の先まで一瞥してにやりと笑うから、私もいつものように黒尾の腕を軽く叩いた。

確かに何か言ってくれることを期待したけど、でもいきなりはずるい。
いつ言われても準備なんて出来ていないくせに、胸が痛いくらいに鳴る言い訳を誰にでもない、自分の心の中で呟いた。

「髪これどうなってんの?すげえ」
「け、結構簡単にできるよ。雑誌に載ってたりするし」
「え、これ自分でやってんのか。よくわかんねーけどこの花も浴衣と合ってんじゃん、可愛い」
「な、…えっ…?」
「ふっ…苗字ってそういうの言われんの慣れてねーんだ?」
「なに、が」
「映画ん時もなんか顔真っ赤にして照れてたじゃん。女子だねぇ」
「はぁあ?照れてないし!」
「ぶっ、くくく…揶揄い甲斐あるわー」

やっぱり揶揄ってるだけですか、そうですか。軽口だって分かってるのに私だけが黒尾の言葉に一喜一憂する、なんて悔しいけど仕方ない、惚れたもん負けって言うじゃない。
それでも私はまだ照れ臭くて黒尾を置いて歩き出せば、黒尾は慌てて私の隣に並んだ。

「苗字?怒ってんの?」
「え、怒ってないよ」
「そ?ならいいけど。でも可愛いなーって思ったのはマジですよ」
「…ありがとう」
「いーえ」

だからこれもそんなに深い意味はない。だけどこの言葉だけで、今日の私は報われる。

二人並んで境内を歩いて、魅力的な屋台があったら立ち止まる。意外に金魚掬いが下手な黒尾に笑ったり、甘すぎるりんご飴に二人して子供みたいに齧り付いたり、射的で好きなキャラクターのぬいぐるみが取れそうで盛り上がったり、溶けるのが早すぎるかき氷に焦ったり…緊張さえ解けてしまえばいつものように楽しく過ごせる。

本当にいつもの休み時間と一緒、だけどふとした瞬間にここがいつもと違う場所で、いつもと違う格好で、周りも私もそして多分黒尾も、非日常なんだと思い出させた。

「黒尾、次何する?」
「んー…まだあれ食ってねえ、焼きそば」
「え、まだ食べるの!?」
「運動部男子をナメるんじゃありませーん。まだまだ食えるわ」
「あ、さっきんとこ焼きそばあったよ!」
「まじ?ちょ、戻ろ」
「ふふ、どんだけ焼きそば食べたいの!」

ああ、楽しい。人が多いから自然と近付く距離、ぶつかる肩。そんな中でも気付かないくらい普通に、人混みに押されないよう気を遣って歩いてくれるのが黒尾で。私の足元を気にしてかいつもより少しだけゆっくりな歩みにまでキュンとしてしまう。

一通り回ったところで、黒尾は道の端、座れそうなところを見つけて私を手招きした。黒尾が座った隣に腰をかければ、楽しくて気付かなかったけど結構足が疲れていることに気付く。

「足平気?痛いだろ」
「ちょっと…でも楽しくて今まで全然気にしてなかった」
「そ?ならいーけど。ここでちょっと休もうぜ」
「うん。花火ももうすぐだよね」
「あー、こっから見えるかなぁ」
「多分見えるんじゃない?ギリギリ」
「んならここで見るか」
「うん」

言いながら、黒尾はさっき買った焼きそばを開けて食べている。既に結構食べたのによく入るよなぁ。感心して見つめていれば、私の視線に気付いた黒尾が口をもぐもぐと動かしながらこちらを見た。

「欲しい?」
「え?や、いらないいらない。黒尾のだし」
「いっつも苗字の菓子貰ってるし別にいーよ」
「あれは黒尾が勝手に食べてるだけね」
「あ、バレた?」
「バレないと思った?」

笑いながら丁重にお断りすれば、黒尾は箸で摘んでいた麺をそのまままた自分の口に放り込んだ。
私は前を向いて、人混みを眺める。あー楽しいなぁ。ずっと続けばいいのに。

ずっと楽しみにしていた今日も、あと少し、この後の花火を見たら終わってしまう。そしたら黒尾はまた部活が忙しいだろうし、夏休みは会えないだろう。
黒尾と会えない夏休みはつまらない。さっちゃんや他の友達と遊ぶのも勿論楽しいけど、でもやっぱり黒尾といるのは楽だから。好きな人、というのを抜きにしても大切な時間だった。

「疲れた?」
「え?」
「なんかボーッとしてるから。あ、いつもか」
「なにそれ、失礼な」
「事実だろ」
「…なんかさ、終わっちゃうなーって」
「ん?」
「楽しかったから。ない?なんか、寂しくなるの」
「あー、ある。なんていうか…切ないような、さみしいような感じ」
「うん…そんな感じ。今」
「あら」
「なに」
「嬉しいこと言ってんなぁって」
「…素直になってみた」
「はは、最近なんかそれ多いですネ」
「いいじゃん」
「俺も」
「?」
「苗字と今日すっげぇ楽しかったから、終わって欲しくないわ」
「…気遣ってる?」
「や、マジですけど」
「あはは…素直じゃん」
「デショ」

でしょ、じゃないよ、ばか。隣の黒尾を見れば黒尾もこっちを向いたところで、バチっと視線が絡み合う。その瞬間ちょっと照れ臭そうに笑う表情に、きゅうううっと胸が締め付けられた。

そのまま何故かずっと私を見つめるから、その視線にとらえられて私は目を逸らせない。私たちの間にさぁっと風が吹き抜けて、髪が揺れた。

「な、…んですか、」
「ぶふっ…敬語じゃん」
「だ、…黒尾が、なんかめっちゃ見るから…」
「や、なんとなく」
「、っ」

どくん、どくん。穏やかで黒尾の優しい目に、私は逆に100m走を全力で走った後みたいに胸がうるさく鳴って痛い。想いが溢れだしそうになって、息が詰まる。どうしよう。言っちゃいそう。

望みなんかないのに、言ったって答えは分かっているのに…それでも何故か今この瞬間の気持ちが大きく膨れすぎて、もう私一人じゃ抱えきれなくって。

「ね、黒尾、私…」

口を開いた時だった。

「あれ?名前ちゃんと黒尾くんだ!」
「あ」
「え…」

私の想いは、やっぱりすぐに掻き消されてしまうの。


21.02.22.
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