黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

ヒドロビウスの囚人たち
「苗字」
「ん?」
「ミチカさん、夏休み何するとかなんか聞いてる?」
「んー…特に。なんで?」
「いや、夏休みは俺らほとんど部活なんだけどさ、今年は体育館が使えないとかであそこの神社で夏祭りある日オフなんだよ。ミチカさん誘えないかなって」
「へぇー…誘ってみれば………あっ!」

また先輩の話か、と痛む心に気付かないふりをしながら聞き流そうとした、黒尾の発言。だけどふと、昨日のバイトの時にした先輩との会話を思い出して咄嗟に大きな声を出してしまった。

「え、なに」
「やっぱダメ!!!」

黒尾は突然の私の大声に少しだけ目を丸くして、「なんで」と聞く。
休み時間の教室はみんなそれぞれに友達と話したりしているせいで、私の声が目立つことはなかった。

「え、っと…先輩それ、友達と行くって言ってたかも…」
「友達?」
「う、うん…だから無理じゃないかな」
「それって男?」
「へ」
「あー…いや、ごめん。そんなことまで知らねえよな」
「う、ん…ごめんね」
「や、悪い」

黒尾の「男」っていうワードに胸が跳ねる。勿論それは良くない方にで、だって正にその通りだったから。先輩、夏祭りは彼氏と行くって嬉しそうに言ってた。誘ったりしたらバレちゃう。先輩に彼氏がいるって知って傷付く黒尾を見たくない。そう思うのは偽善者だろうか。

私はここで、そうなったらチャンスじゃん、って思えるような強かさは持ち合わせていなかった。ほんとは、傷付く黒尾を見て自分も傷付くのが怖かっただけかもしれない。先輩が好きな黒尾を目の当たりにするのはやっぱり辛いから。
でもだからと言って、これは流石に予想外だった。

「じゃあ苗字一緒に行く?」
「えっ!!?!?な、なんで」
「だって他に一緒に行く奴いねぇし」
「男バレの人と行けばいいじゃん…夜久とか海とか」
「はぁ?お前バカなの?」
「なんでよ」
「なんでせっかくオフの日にまで毎日会ってる野郎同士で集まんなきゃいけねぇんだよ」

毎日一日中ずっと顔を合わせてるんだからたまには離れたいわ、なんて。その理屈は分かるけど、でもだからって私を誘うのはどうなんだろう。
私、喜んじゃうよ。先輩の代わりでも、そうやって誘われたら嬉しくなっちゃう。なんて思っても、

「それにミチカさんに会えるかもしんねぇだろ。苗字いたらフォローしてくれますし?」

なぁんだ…そういうことか。さっきの思いとは矛盾してるけど、ガッカリもする。
だって黒尾の中では私と二人で夏祭り来てるところを先輩に見られても、全く気にしないしどう思われるかなんて考えてもいないってことでしょ。一瞬高揚した気持ちは、分かりやすくすぐに萎んで小さくなった。

黒尾の一言一言で喜んだり悲しくなったり、ほんとにめんどくさい思考だって分かってる。だけど好きでしてるわけじゃない、やめられないの。

「…フォローって。アンタねぇ」
「まぁまぁまぁ。だってミチカさん浴衣とか着ててみ?絶対綺麗じゃん、俺緊張して話せないかも」
「その顔で緊張するとか言わないでくださーい」
「どんな顔だよ。あ、苗字も浴衣着てくれてもいいけど?」
「なんで上から。てか行くの決定?」
「え、行かねぇの?」
「…行く」

思わず答えてしまったけど、でもだから先輩彼氏さんと行くんだってば!会ったらやばいじゃん!だから断らなきゃいけないのに、まぁ人多いし会うことなんてないよね…なんて心の中で行ける理由を探してる私もいる。
だってこれは黒尾と出かけるチャンスだもん。こんな理由がなければ、忙しい黒尾と一緒に夏祭りになんて行けるわけがない。私だって高校生最後の夏、ちょっとくらい良い思い出を作りたかった。

「忘れないでネ」
「黒尾こそ」
「ま、その前に期末テストだけど」
「うっわ、嫌なこと思い出しちゃった」
「いやいや忘れてちゃダメでしょ受験生」
「黒尾もね」

思いがけず取り付けた約束にドキドキと心臓の音が早く鳴っている。やっぱりちょっとだけ、嬉しいのかも。浴衣、どこにしまってたかな。新しいやつ買いに行こうかな。
平常心平常心、と心の中で唱えながら机の上に出していた次の授業の教科書をぺらぺらと捲れば、「あ」黒尾があるページで手を差し込んできたことですぐにそれは止められてしまった。

「なに」
「ここ、今日やるって」
「え?そうなの?」
「やっくん情報」
「うわ。前私が夜久に教えてた時はずるいとか言ったくせに!」
「俺は答えまで聞いてませーん」
「ほんとかなぁ」
「そんなこと言ってていいわけ?今日苗字当たるんじゃね」 
「うっわ」

黒尾の言葉に、私は表情を崩す。黒尾の言う通りで、今日は私の出席番号と日付が一緒なせいで朝からどの授業でもことあるごとに当てられているのだ。オマケに日直だし、放課後には急に入った委員会まであるらしいからほんとツイていない。

楽しい夏を過ごすには学生という立場上やっぱり勉強しないといけないらしい。せっかく黒尾が教えてくれた情報を無駄にしないように、授業で当てられても良いように問題を解こうとルーズリーフを出してみるけど、いや…分かんないし。数秒前のやる気はどこへやら、私はすぐにペンを転がした。

「…黒尾」
「購買のジュース一本」
「………肩たたき」
「ジュース」
「………肩揉み」
「ジュース」
「………マッサージ」
「ぶっ…ひゃっひゃっひゃ…!全部一緒じゃん!しゃーねぇなぁ…ほら、まずここに前回習った公式入れてみ?」
「やった!えっと…」

私の手元を覗き込む黒尾から、ふわりと香る嗅ぎ慣れた匂い。とか言うと私が変態みたいだけど、でもいつも一緒にいて香るこの匂いが好きで。
夏の暑さだけじゃない熱で、またグンと体温が上がっている気がする。

黒尾と三度目の夏がやって来る。私は目の前の数字と睨めっこすることで余計なことは考えまいと必死だった。


21.2.2.
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