黒尾長編 アカシアを君に贈りたい fin

いつわりのみちしるべ
結局あれから応援席に戻ると周りにめちゃくちゃ冷やかされて、本当勘弁してほしい。いつもなら笑ってられる。でも、今はだめだ。いつからこんなに私のメンタル弱くなったんだろう。

「…黒尾借り物競走出るって言ってなかったよね?ビビったんだけど」
「うん、出る予定だったサトウが貧血で倒れたとかで、代わりに出ることなった」
「黒尾まじで出すぎ。体力おばけ!」
「いいじゃん、楽しかっただろ」
「…リレーの招集始まってるよ」
「えっ!やべ、行ってくる」
「はいはい頑張ってね〜」

慌ただしくかけていく黒尾の背中を見ながら、私は心の中でため息を吐いた。楽しかったとかじゃないじゃん。私のドキドキを返してよ、ばか。

「…苗字さん」
「?」
「…手当するよ」
「え?あっ…」

後ろから突然声をかけられて驚くと、それが研磨くんなことにまた驚く。言われたままに膝を見ると、さっき貼ったばかりだというのに絆創膏はペロンと剥がれ痛々しい傷が丸見えだ。でもどうして研磨くんが?

「…さっきクロとすれ違って、頼まれた」
「え」
「苗字さん足痛そうだからやってあげてって」
「っ」

なんで。そのまま私の腕を掴んで歩き出す研磨くんは、珍しくどこかのツンツン頭とそっくりじゃんってくらい強引で。…どうしてそんなことするの。そんなとこばっかり気付くの。やめてよ。いないところでまで、こんなに胸を痛くさせないでよ。

「っ……うぅ〜…」
「………」
「あれっ、名前、どうしたの!?」
「…怪我してるんで」
「え!?泣くほど痛いの!?大丈夫?」

途中でさっちゃんに心配されたけど顔を上げられなかった。さっきまではちゃんと堪えていた涙が溢れ出して、止まらない。こんなにドロドロした感情は持ちたくない。出来ればずっと、笑っていたい。

私が泣いているからか、救護テントじゃなくて校舎裏の喧騒からは外れた場所で漸く立ち止まった研磨くんは、そのままその場所に座るよう促す。一瞬だけ見えたその表情は少し気まずそうな、そんな顔をさせていることにまた申し訳なくって。
ごめん、こんなの意味わかんないよね。後輩の前で急に泣き出して。止めようと思えば思うほど止まらないそれは、頬を伝い、地面を濡らした。

そのまま研磨くんは持っていた救急箱を開けて、私の膝に消毒液をかける。ピリリと痛む傷口が今の私に追い討ちをかけるようだった。

「ひ、ぐぅ…いた、いぃ〜…!」
「…我慢して」
「ひうっ……ぅ、ん……っく、うぅ、」
「………」

無言で的確に行われる処置を、痛みに堪えながら見つめることしか出来ない。泣いた、というか現在進行形で泣いているせいで、頭の中がボーッとして、でもどうしようもなかった。

さっきみたいに絆創膏を貼って終わりかと思えば、きちんとガーゼを固定されてさっきよりも大事になっている膝が情けない。きちんと貼られたテープをピッと切って、研磨くんは救急箱を閉じた。

「…はい」
「あり、がと…」
「…名前さんは、前からクロが好きだったっけ」
「…っ、え…」
「見てたら何となくそうなのかなぁって」

研磨くんは気軽にこういうことに口出しするような子じゃない、と思う。それでも敢えてそう言ったのは、何か気休めの言葉をかけてくれるつもりでもなく、確認したいわけでもなく、ただそれしか話題がないからのように思えた。

ふと、少し前の放課後私を見て顔を逸らした研磨くんを思い出した。アレが何だったのかは分からないけど、もうあの頃から気づかれていたのかもしれない。

「…今まで普通に友達だったのに…変、だよね」
「…変かはわからないけど」
「でも…好きになっちゃったんだもん。黒尾が、全然頭から離れてくれないんだもん…」
「………」
「研磨くん、知ってる?黒尾の好きな人」
「…コンビニの人」
「そ。私の先輩。勝ち目ないって」
「………」
「こんな、思い、…するなら…好きになりたくなかった…っ」
「………」
「う、…ひぐっ…ぅ、どうして、っ…好きに、なっちゃったん、だろ…っ!」

黒尾を好きになって初めてこんなに大きな声で泣いた。好きなのに、黒尾のことを考えると胸がギュッと締め付けられるのに、なのに黒尾は別の人が好きなんだ。
私は"親友"であって、黒尾の恋愛対象には入らないんだ。

黒尾が先輩を好きだって知って私は頑張らないと決めたはずなのに、消えない想いにいつもぐらぐら揺れていて。どうしたらいいの、誰か教えてよ。

ボロボロと落ちる大粒の涙を拭って、いつも頭をくしゃりと掻き混ぜるあの温かくて大きな手が恋しくなって。

好き、好きなの、黒尾。ごめん、親友なんてやだよ、好きな人になりたいよ。先輩より可愛くないけど、口も悪くて素直じゃないけど、でも先輩より私の方が気が合うとは思うんだよ。私のこと好きになって、なんて口が裂けても言えない願いは叶わないなら涙と一緒に流れていってしまえばいいのに。

恋すると色んなことがぐちゃぐちゃで、自分の気持ちですら矛盾したりして、大変だね。でもどうか今だけは不恰好な想いを吐き出させて欲しいんだ。

研磨くんはため息を吐いて、私の隣に腰掛けた。そして何も言わずに、私が泣き止むまでただそこにいてくれた。それがどれほど心強かったか、いつか伝えたいと思う。


* * *


その後もうちのクラスは大いに活躍していたらしい。
それを聞いたのは、もう後は結果発表だけのグラウンドで整列する時だった。

あの後、ようやく泣き止んだ私に研磨くんはやっぱり何も言わなかった。私が、「ごめんね」「もう大丈夫」そう言って立ち上がるのを合図に研磨くんも立ち上がる。お尻についた砂を払って、グラウンドに戻るときも沈黙だった。
ただ、研磨くんと別れる時に私が呟いた「泣いたの、黒尾に言わないで欲しい」の言葉には「…言わないけど」と返してくれただけ。

「名前〜〜!どこ行ってたの〜〜」
「あは、ごめん…膝痛くって休んでた」
「もう!大丈夫?」
「うん、ごめんね」
「名前が無事ならいいけど!」

クラスに戻った時、黒尾を見かけるとつい目がいってしまう。こればかりはもうどうにもならないのかもしれないけど、でもやっぱり辛かった。
だけど避けたところで今日のバイトの後また会うことはわかっているんだし、今さら断ることもできない。それなら今普通にしないと後が気まずくなるだろう。

「苗字」
「あ…おつかれ!」
「おう。…膝、大丈夫か?研磨と会えた?」
「うん。ちゃんとしてくれたよ。てか何で研磨くんに頼んだの?今更だけど」
「え?アイツ保健委員らしいから」
「あ、そうなの?横断幕係といい保健委員といい研磨くんってめんどくさいやつばっかしてんね」
「そーなんだよなぁ。アイツそういうの上手くかわせるはずなのに…まぁ俺は部活たまにサボれるからだと踏んでるけど」
「あはは、絶対そうだよ」

恋なんかしなくたって別に生きていける。だから早く、この気持ちをなくしてしまいたかった。
そうして私はまた、黒尾の前で"親友"の顔して笑うのだ。


21.01.21.
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