2020黒尾誕 春夏秋冬 fin


日が昇るうちはそ知らぬふり




 寒くて寒くて、痛い。指が千切れてしまうんじゃないかってくらい冷えて赤くなっている。
 ジャズ音楽が流れている店内で、私はカウンター席で隣に座る男の手元を見た。シャープペンシルを握るその指は私より長くて綺麗だ。くそう、男のくせに、羨ましい。
 しばらくして、私の視線に気付いた黒尾は顔を上げる。そして呆れた表情を隠しもせずに溜息を一つ吐いた。

「なに。もう飽きたの?」
「休憩ですぅ」
「まだ10分しか経ってねーじゃん」
「だって寒いんだもん。ペン持てない」
「だぁからホット頼めって言ったじゃん」

 彼は自分の方に置かれているマグカップをずいと私に寄せる。最初より少し冷めて暖をとるのに丁度いい温度になったそれを受け取ると、私は一口口に含んだ。甘い。

「ココアて」
「文句言うなら返してくださーい」
「可愛いなって思っただけだよ」

 笑いながらマグカップを返すと、黒尾もそれを一口飲む。
 このやりとりで勘違いする人がいるかもしれないから言っておくが、私と黒尾は別に付き合っていない。関係性で言ったら、同級生、バレー部の主将とマネージャー、友達。こんなところだ。

 そもそも放課後に駅前にあるこのコーヒーチェーン店に寄ったのは、黒尾はテスト勉強のためだと思っているかもしれないけどそれは違う。
 確かに私はそういう名目で黒尾をここに誘ったけれど、そしてそれも間違いではないけれど、実際は毎日部活ばかりで何も進展がない中試験休みというこの期間をチャンスだと踏んだからだ。そう、私は一方的に、黒尾に想いを寄せていた。

「何、わかんねぇの?」
「あ、バレた?」
「苗字の考えてることなんてお見通しだからな」
「やるじゃん」
「何で上からなんだよ」
「教えてください黒尾様」
「どこ?」
「こっから」
「ここはなぁ、」

 私のノートを見るために少しだけ身を寄せられて、黒尾の使っている制汗剤の匂いがする。黒尾の一挙一動にドキドキして、我ながらチョロいけどこれだけで幸せになってしまう。
 黒尾、私のことなんてお見通しなのか。でも私がこんなに黒尾のこと好きなのには、気付いていないんだろうな。

 毎日あんなに部活ばかりなのに、黒尾は頭が良いし教えるのも上手い。学校の授業よりもすんなりと頭に入っていく内容を詰め込んで、ノートにメモしていく。
 たまに黒尾の横顔を見つめて、黒尾が気づきそうになったら視線を逸らした。
 放課後なのに部活をしてなくて、お互い制服なのに学校でもなく二人でノートを開いて勉強していて、イレギュラーな時間がどうしようもなく愛おしい。
 こういう時間が出来るなら、テストだって捨てたもんじゃない。

 区切りがいいところまで行くと、今度は黒尾が「休憩〜」と伸びをする。
 私もシャーペンを置いて自分が頼んだアイスラテを飲んでみたけど、さっき一口だけ貰った温かくて甘いココアの味が恋しくなった。

「黒尾って甘党なんだね」
「んー、まぁ普通に好き」
「へぇ」

 好きって。好きって!そんな簡単に"好き"とか言うワードは出さないで欲しい。恋する乙女は色々敏感なのだ。じゃ、なくて。

「やっくんは、よくこんな甘いの飲めるよなって言ってたよ、この前」
「何それいつの話?」
「うんと、私が昼休みにココア飲んでたとき。一昨日かな…」
「夜久にあげたの?ココア」
「へ?」
「苗字が飲んでたココア」
「あー…いや、美味しいから飲んでみてって言ったけど、甘いからいいって拒否られた」

 あの時のやっくん、そんなに?ってくらい思いっきり断ってきたなぁ。ちょっと傷付いた。
 もしかして私のを飲むのが嫌だったのかも。あれ、私やっくんに嫌われてるのかな?

「苗字って夜久が好きなの?」
「へ?何の話」
「いや、そうなのかなって」
「いや…いやいやいや、違いますよ黒尾さん。それはちょっと、安直すぎない?」
「慌てるとこが怪しいな」
「普通に友達、部活仲間でしょ。やっくんそんな風に見れないし見たことない」

 黒尾も私も、笑っているのに少しだけ空気が悪くなった気がする。
 黒尾が何を思ってそう言ったかよく分からないけど、私は内心ため息を吐いた。…全然私のことお見通しじゃないじゃん、なんて理不尽なことまで思う。
 意外にも黒尾が恋バナらしきものをしかけてきたのも、勘違いされてそれでも平気そうなのも辛い。そんな風に思うってことは、黒尾の中で私は全然そういう対象じゃないんだろうなぁ。

 落ち込んでいるのがバレないように、私は置いていたシャーペンを握り直した。さっき黒尾が教えてくれたお陰で問題はスラスラと解ける。
 だけど、さっきから黒尾は私を見ていることに気付いてしまって集中できないのだ。…いや、気付いていたけど知らないふりをしていただけか。
 なんとなく気まずくなりそうだったから無視していたんだけど、反応するまでやめないのだろうと察した私は諦めてもう一度黒尾に向いた。

 バレーをしていない時にニヤニヤしていない黒尾は珍しい。真顔って。

「…なぁに」
「何か隠してんなぁって」
「はぁ?」
「夜久は一緒にココア飲んでくれねぇかもだけど俺は飲んであげてるわけじゃないですか」
「うん?」
「俺の方が優しいよーってアピール」
「…意味わかんない」

 意味わかんない、はずなのに。さっき黒尾のココアを一口貰ったのを思い出して、顔に熱が集まる。甘かったその味が、まるで私の全身を犯していくような。

「…もう一口、飲む?」
「へ」
「寒いんデショ?」
「…うん」
「大事なマネージャーに風邪ひかれたら困るんで」

 その時の黒尾の表情はいつもの部活のときみたいな顔じゃない、まるで私のことが好きだと錯覚するくらい優しい目をしていた。
 そんな風に見つめられたことなんてなかったから、動揺を隠せないのは私は正真正銘黒尾が好きだから。
 そんな目で見られたら、勘違いしそうになる。こいつ、もしかして私の気持ちに気づいてるのかな。それで、こうやって揶揄って私の反応を楽しんでるのかな。だとしたら、優しいどころか極悪人だと思うけど。

 そう思ったら悔しくて、私も少しくらい仕返しがしたい。せめてその意図が分からない顔を少しでも崩してやりたくて、私は黒尾のココアを一口飲んだ。

「…美味しい」
「良かったじゃん」
「これ、間接キスだね」
「は…」
「黒尾くんはそんなに私とキスしたかったのかな〜?」

 ちょっとでも動揺して、一瞬でもその表情が崩れるのが見れたらいいと思って言った。それだけ。
 なのに当の黒尾といえば、驚いた表情でフリーズしてしまっている。そんな予想外の反応に私までどうしたらいいか分からない。

「く、黒尾?」
「…ば」
「ば?」
「ばーか」
「なっ…」

 結局黒尾はそれだけ言って、やっとノートに視線を戻した。黒尾らしからぬ、頭悪そうな発言。でも、髪から覗く耳が真っ赤になっているのが見えて、私までダメージをくらう。なに、それ。

 冬。さっきまで寒くて痛かった指先は、もうむしろ熱くなっていた。


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