短編

その手で魔法をかけて



※美容師パロ


「あ、名前さんこんにちは」
「こ、こんにちは……」
「すぐ案内するから座って待っててね〜」
「あ、はい、」

 私みたいな人見知りの人間にとって、美容院という空間は苦痛だ。担当についてくれた美容師さんと上手く会話が弾まず気まずい思いをしたことは数知れず。向こうは商売だしもしかしたらそんなの気にしていないかもしれないけど、質問されても次に繋がる返事が出来なかったり、言われたことが上手く聞き取れなかったくせにもう一度聞き返せず変に誤魔化してしまったり……その度にもうここには来れない! と店を変えて、それで同じことを繰り返すのだ。

 どうして髪を切るだけでこんなに精神擦り減らさなきゃいけないのか。
 そんな私に友達が紹介してくれたのが、この美容室。ここにいる美容師さんは皆技術も高くて何よりすごくお話上手だから名前でも大丈夫だと思うよ、って。
 最初は半信半疑だったけれど、前回初めて来たときに担当してくれた黒尾さんは正にその友達の言葉通りの人だった。

「名前さん、お待たせしました」
「あっ、はい……」

 予約時間より少し早めに来て、呼ばれたのは時間ぴったり。黒尾さんに促されて席に着くと、鏡越しに目が合った黒尾さんは私にカットクロスをかけながらにやって笑って、「最近どう?」なんて聞いて来る。

「えっ、ど、どう……ぼちぼち、です……?」
「ぶはっ、ぼちぼちかぁ。髪は前回切ってからどんな感じ? このへんが邪魔〜とかあった?」
「あ、いえっ、それは全然……すごく良かった、です……」
「ほんと? あ、今も毛先自然に外ハネになってるし、これはこれで可愛いね」
「え!? あ、はい、……はい?」

 すごい……流れるような褒め言葉。というかあまりに自然すぎて、今のは褒め言葉ですらないのかもしれない。
 私の毛先を一房取ってジッと見た黒尾さんは、それからカルテに目を通す。「今回はどうしよっか〜」ってまた鏡越しの私を見つめた黒尾さんにドキドキするのは、人見知りが故の緊張だと思いたかった。

「カラーはどうする? 前回のはちょっと春っぽくピンク入れてーってしたんだけど、もうちょい明るくしてみる?」
「あ、じゃあそれで……」
「髪明るいのは仕事的にオッケーな感じ?」
「えと、あんまり明るすぎるのは……」
「お、りょーかい。じゃあ前よりほんとちょっとだけ、って感じな」

 黒尾さん任せにしても淡々と決まっていくオーダーに感心しながら、段々緊張が解れていくのが分かる。ここが黒尾さんのすごいところだった。今までの美容院でもきっと似たような流れで似たようなやりとりをしていたはずなのに……何故か黒尾さんだと安心する。
 表情とか、声のトーンとか、目線とか。カットとかの技術だけじゃなくその仕草ひとつひとつが独特の空気感を持っていて、話し下手な私でも大丈夫だって思わせてくれる。

 先にカラーから始まって、その間も私が答えやすいような、絶妙なテンポで繰り出される会話のキャッチボールが心地良くて。
 たまに目が合ったら「そんな見つめられると照れちゃうんですけどー?」なんて冗談っぽく言われて、「見つめてなんかないです……!」とか言いながらも顔を真っ赤にしてしまったら「こらこら動かないの」って笑われる。
 黒尾さんに担当してもらうのはまだ二回目なのに、もうずっと前から知ってるみたい。前までだったら苦痛でしかなかったこの時間が楽しくて仕方なかった。

「失礼しまーす、黒尾さんちょっとあっち対応しなきゃなんで先ドライヤーやっちゃいますね」
「あ、はいっ、」

 シャンプーの後、黒尾さんは少しだけ別のお客さんのところに着いて、ドライヤーの間だけ別の美容師さんが私のところにやって来る。
 どき、と胸が鳴って一瞬肩が強張るけど、そこは流石全員話しやすいと友達のお墨付きの美容院。人懐っこい笑顔で「黒尾さん、人気なんすよ〜」って言った美容師さんは黒尾さんとはまた違った雰囲気で私に安心感を与えてくれた。

「そう、なんですね」
「今いるあのお客さんも、もうずーっと黒尾さん指名で。あ、でも苗字さんが終わるまでは俺がカラー担当するんで、すぐ黒尾さん戻ってくるっすよ」
「あ、それはもう、はい、」

 ちょっとだけ鏡に映り込んで見える黒尾さんは、さっきの私みたいにまた別の女の子にカウンセリングしている。私と同じようにその手で髪を掬って、鏡越しにその子と笑い合って。

「え〜黒尾さん褒め上手〜!」
「いやいや何言ってんの、全部ほんとのことでしょうが」
「じゃあー、今日は黒尾さんの好きな感じにしてくださいっ」
「ぶはっ、俺の好きな感じ? でいいの?」
「はい!」
「じゃあめちゃくちゃ可愛くしないとね〜」
「やった、黒尾さん大好き! 楽しみ〜!」

 ……すごいな、って思うのは、さっきと違う意味。上手く言葉には出来ないけれど。黒尾さん本当に人気なんだな。だけどそれは、私もやってもらってるからなんとなく分かる。
 店内に響く女の子の声はキンキンと耳に響いて、嫌でもその内容は聞き取れてしまう。

「なんか……ホスト、みたいですね」
「え?」
「……あっ、いや! なんにもないです!」

 やっちゃった! って血の気が引いたのは、私の髪をドライヤーで乾かしていた美容師さんが聞き返してきてからだった。何言ってんの、私。返しにくいことを言って困らせた、って何も言われないでも後悔しだすのは人見知りの悲しい性。
 ていうか絶対意味不明だし。多分ちゃんと伝わってないから、改めて説明したらすごい嫌味みたいになっちゃうし! って内心慌ててどうしようかと思ったところに、

「だーれがホストだって?」

 って。いつの間にか私のところに戻って来た黒尾さんが苦笑いで会話に入って来て、私は本当に一瞬心臓が止まってしまうかと思った。

「あっ、……」
「リエーフ、あっちお願い。色これで作って」
「はい!」

 リエーフ、と呼ばれた美容師さんが向こうに行ってしまって、私は悪いことをした子供みたいに黒尾さんの顔色を窺う。そんな私に気付いたのか、黒尾さんは手を動かしながらもぶはって盛大に吹き出して、それからにやにやと揶揄うみたいに私を見た。

「なんて顔してんの、名前さん」
「え、っと……なんかすみません……さっきのは違うくて、」
「さっきのって? 俺がホストって話?」
「え゛、あっ、……えと、はい……」
「俺ってそんな女の子誑かしてるように見えますー?」
「え、っと……」
「好きな子には一途よ、俺」
「……」
「いや黙られると恥ずかしいんですけど……って何の話だよってな」

 って。だって、狡いよ。そんな顔でそんな風に言われたら、ただの世間話程度のノリで話してるって分かっていてもなんか変に意識してしまう。
 黒尾さんの言う好きな子ってどんな子だろうとか、一途な黒尾さんはその子の前でどんな顔をするんだろう、とか。変。絶対変。だってそんなの私には関係ないのに。

 終わりの時間が近付いて来ると来た時の緊張はもうどこにもなくて、なんならもう終わりかぁって寂しさすら覚える。
 今日もあっていう間だった。というか黒尾さんの巧みな話術に引き込まれて……前回とは明らかに違う心境に戸惑いを隠せない。これが何を意味するのかはまだ分からないけど、でも次の予約のときまで私が黒尾さんのことばかり考えてしまうのは、もう間違いなくて。

「はい、完成〜。後ろこんな感じだけど……どう?」
「い、良い感じ……です」
「じゃあ向こうでお会計……ん?」
「え?」
「や、なんかめっちゃ見てっから……やっぱ気に入らなかった?」
「えっ、違、そんなことないてす! 気に入ってます! ……けど」
「けど?」

 それは、……ほとんど勢いだけでの言葉。いつもの私だったらこんなこと絶対に言わないし、言おうとも思わないし。だけどなんか今日は、この短い時間に黒尾さんのことでいっぱいいっぱいになった頭が勝手にその言葉を告げていて。

「……次は、黒尾さんの好きな感じ、お願いしようかなって……思って……」
「え?」
「や、……なんでもないですっ!」

 言ってからすぐに、本日二度目の後悔。何言ってんの私! 意味不明じゃん!
 言われれた黒尾さんはきょとんとして、それから一瞬思考を巡らせ……何か心当たりがあったらしい。待って。違うんです。別にあの子に対抗してとか、そんなつもりじゃないんです。だけど黒尾さんはきっとそんな風に受け取った。にやりと笑ったのがその証拠。

「この髪型も、めちゃくちゃ可愛いし好きだけど?」
「え、う、……」
「名前さんは? 好きじゃない?」
「す、……好き、です……」
「んなら良かった」

 そうやって黒尾さんが小さく息を漏らしたその瞬間、やばい、と思った。黒尾さんの営業トークに、まんまと乗せられてる私。そうだって理解することは出来るのに……甘く疼く胸の高鳴りは止まらない。

「……次も、よろしくお願いします……」
「うん、こちらこそよろしくネ」

 お会計をしてる間もずっとふわふわして、最後店を出る時に手を振られてしまえば、キャラじゃないのに私からも振り返してしまうくらいには。既に私は黒尾さんのことで頭がいっぱいだった。


22.05.03. (同日Twitter掲載)

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