短編

キミと特別



「おはよー名前!」
「さっちゃんおはよ〜」
「見てー! 黒尾から貰った!」
「え?」
「なんかあっちで配ってたよ、名前も貰ってこれば?」

 バレンタイン。日本では女の子が好きな男の子にチョコレートと共に想いを伝える日で有名だけど、昨今の日本ではその限りではない。今やチョコの種類は多種多様、家族チョコや友チョコ、逆チョコと様々だ。

 だから別に、今日という日に男子が女子にチョコを配っていても別におかしくない。おかしくはないのだけれど……
 朝登校してきて友達が自慢げに見せてくれたそれはどこでも買えるようなお馴染みのパッケージ。だけどそのチョコをくれたという人物の名前を聞いて、私は一瞬動揺を隠せなかった。

 黒尾って……黒尾? あっち、と指さされた方には……なるほど、友達が言ったように黒尾がまるでバーゲンセールと言わんばかりにチョコレートを配っている。
 自分の机に荷物を置いて、小さく深呼吸。少しだけ緊張する胸を押さえながら私もゆっくりと黒尾に近付いた。

「くーろおっ! おはよ!」
「お、おはよ」
「なにしてんの? 逆チョコ?」
「おー。ほら、三年はホワイトデーの日にはもう学校ねぇから、先に配ってんの」
「へぇ……律儀だねえ」
「これでも毎年ちゃんとお返しは欠かさないんですよ、ボク」
「ふーん……」

 なんて生返事。だって私の意識は黒尾が持つチョコレートにばかり向けられている。
 どこにでもあるそれが、いつでも食べられるそれが、今この瞬間はまるで宝物みたいにキラキラして見えて。片想いしてる相手がバレンタインデーにかこつけて配っているのだから、私にとってそれは当然のことだった。

 私は不自然に声のトーンが上がりすぎないように意識しながら、「私にもちょーだい」なんて言って黒尾に手のひらを差し出す。
 まさか今日黒尾からもチョコを貰えると思ってなかったし、例えそれがフライングの義理お返しチョコだったとしても……私は嬉しい。むしろ自分から渡せるか不安だった黒尾宛のチョコを渡すキッカケにもなってラッキー、なんて。

 なのに黒尾は、私の手をジッと見つめると「あー……」って息を漏らして……そしてその手はチョコではなく黒尾自身の頭を掻いただけだった。

「ごめん、苗字のはない」
「え」
「……ないです」
「え、でも……その中まだ全然あるじゃん」
「まぁ……そう、だけど」
「……私にはないの?」
「……まぁ」
「……ケチ」
「あ、ちょ、おいっ」

 言われた言葉の意味がわからなくて、……理解する前に、私は陳腐な悪態を吐いて踵を返した。最後に見えた黒尾の顔はわかりやすくまずいって表情で。
 今のはあまりにも子供っぽかったって後悔しかけて、いやいやと首を振る。え、だってなんで私いま断られたの?あれ、みんなに配ってるんでしょ?

 今さっきのやりとりだけ現実感がなくて、ふわふわする。真っ直ぐ自分の席に戻った私はそのまま机に突っ伏した。遅れて、よくわからない悲しみが襲いかかる。
 ……なんで? 義理すら貰えないってなに? しかも私だけ。
 告白してすらないのに振られた気分。絶対になにもないと知りつつもバレンタインだからって浮かれていた心はすっかり萎んでしまった。

「……」

 私、なにかしちゃった? 昨日は普通に話してたはずだし、ていうかさっきも直前まではいつもとなんら変わらなかったのに。
 別にどうしてもチョコが欲しかったわけじゃない。でもそれを黒尾がくれるというのなら、私にとってなによりも価値があった。

 机の横にかけていた紙袋が足に当たって、ガサリと揺れる。黒尾にこれを渡すチャンスは今年で最後。でもこんなのもう渡せるはずがないよ……
 考え始めると目の奥がツンと痛んで、……なんかもうどうでもいいや。今日はサボっちゃおうかな、って。頭を預けていた机から、顔を上げたその瞬間。

「うわっ!?」
「おわ、」

 私の肩が大きく跳ねた。なにって驚いたから。
 私の目の前には、さっきまで廊下でチョコを配っていた黒尾が私を見下ろすように立っていた。

「……なに、」
「……いや、さっきの」
「私にはないんでしょ。いいよ別に、チョコひとつ貰えなかったぐらい気にしてないから」
「あー……さっきの、苗字にはねえんだけど」
「だから、」
「……これ」

 もういいってば。言いかけた言葉は音にならず、……かわりに少しの息が漏れた。
 黒尾が私の机に置いたのは、さっき安売り大セールしていた大袋入りのチョコじゃない。駅前の、……少しお高いチョコレート専門店の紙袋。

「なにこれ」
「……チョコ」
「それはわかるけど……」
「苗字に」
「……私に?」
「ん」
「……私にはないんじゃないの」
「さっきのは、……まぁ普通に義理の、配る用のやつだから。苗字にはなかったんですけど」

 ド、ド、ドッ、て急に暴れ出す心臓。え、なに、なにが起こってるの。右に左に、視線を彷徨わせた黒尾がその場にしゃがみ込んで……真っ直ぐに絡んだ視線。一気に距離が近くなって、睫毛が震えた。
 ねぇちょっと顔赤いよ、黒尾。なんていつもみたいに茶化す雰囲気じゃない。

「……これは?」
「これはお嬢サンに、あー、その……特別なやつ」

 照れ隠しのつもりなのか『お嬢サン』なんて呼ばれたことない言い方でそう言った黒尾は、紙袋をずいと私に寄せる。
 私はそれに視線を下ろして、……また黒尾を見て。言われた言葉をしっかりと頭が理解した途端、ボンッて爆発したみたいにどんどん体温が急上昇。

「……いらない?」
「ほ、欲しいっ」
「ん。……でさ。もしかして、……そのかかってるやつ」
「あ、これ、黒尾に……」
「……ですよね。自惚れてたんじゃなくて良かった」

 他の奴にだったらどうしようかと思った、って。さっきまで余裕なんて一ミリもない感じだったのに、……そんな顔ずるい。
 まだ今日は始まったばかりなのになんて素敵な一日なんだろうって。数分前とは真逆のことを思う私も、そんな黒尾にぎこちなく笑ってみせた。


22.02.14 Twitter掲載&加筆修正

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