短編

引っかき傷をなみだで埋める



「黒尾、苗字さんの悪口言ってたよ」
「……え?」
「連絡多すぎてしんどいとか、頼んでないのにモーニングコールしてくるとか、……それほんと?」
「え、は……」
「もしかして二人って今喧嘩してる?」

 衝撃だった。私にそんな情報を突き付けたゴシップ好きのクラスメイトの女子はただ笑って、にやにやと私の反応を窺ってる。え、なにそれ、嘘?それともほんと?
 喧嘩してる、なんて言われる覚えはない。彼氏の鉄朗とは順調そのものだと思ってたし、部活でもクラスでも飄々と器用になんでもこなす鉄朗が私の前でだけではちょっとだけ甘えてくれるのが嬉しくて、昨日だって寝る前の電話でとびきり甘い「大好き」をくれて、それで……

 もしかしてそれって夢だった?私が都合良く解釈してるだけだった?って。思ったらツンと鼻の奥が痛くなる。わけもわからずこんなとこで泣きたくない。私は必死に口角を上げた。

「ええ、そんなことないよ?全然仲良くやってると思うんだけど……」
「えー私の聞き間違いかな?それか黒尾の照れ隠し?なんかごめんね」
「ううん、」
「それじゃあ誕生日に手作りのスマホケース貰って気持ち悪いし重いって言ってたのも、多分私の勘違いかも!」
「え」
「あはは、私あんまり人の話聞いてないからさ〜適当すぎってよく言われるんだよねえ」

 それ以降、もうその子の声は聞こえていなかった。手作りのスマホケースって言われて思い浮かぶのは、今私が使っているスマホケースとお揃いの、……その子が言った通り、鉄朗の誕生日にあげたもの。
 前に自分で作ったんだって見せたら「すご、売り物みてえじゃん。俺のも作ってよ」って言われたのが嬉しくて間に受けちゃったけど、ほんとはお世辞だった?

 学校が終わってからするメッセージでだって「あー早く明日になんねえかな。ずっと一緒にいたいんですけど」って言ってくれてたし、モーニングコールしたときは寝起きの掠れた声で「マジで助かる……ありがと」って笑ってくれてたのも全部全部、嘘だったの?

「おはよ、名前」
「!」

びくっと肩が跳ねて、振り返ると私の肩に手を置いて欠伸する鉄朗。今日の朝も聞いたその声よりは幾分かハッキリしてるけどまだ眠そうな……だけどいつも通りの鉄朗。

「お、はよ、」
「今日小テストって知ってた?俺完全に忘れてて全然勉強してねえわ」
「へー……そうなんだ……」
「……名前?」
「う、ん?」
「なに、なんかあった?」
「え?」
「なんかいつもと違うくね?体調悪い?」
「う、ううん……全然、なんにもないよ」
「そ?」

 鉄朗はいつも通りなのに、そんな鉄朗が私の悪口を言ってるなんて聞かされたばかりでは動揺して、どんな顔をしたらいいのかわからなくて。心なしか上擦る声、逸らした視線。でもそれに気付かない鉄朗じゃない。
 心配そうに私を覗き込んでくる鉄朗はどう見てもそんな私を嫌悪してるようには見えないんだけど……それでも、100%そうだとは信じきれなかった。
 そんな私の異変が気になっているようだけど、チャイムが鳴ったから自分の席に戻っていく鉄朗。その後ろ姿を見て、私の中にモヤモヤが広がっていく。

 多分、心の奥底、どこかで感じていた劣等感。付き合い始めてから、それまでは気にならなかったのに何気に鉄朗がモテるってことに気付いた。そこから今日はあの可愛いって噂の後輩に告白されたらしいなとか、鉄朗の彼女が私みたいなのでいいのかなとか、色んなことが気になって泣いた夜が何度もあるから。

 さっきのあの子ももしかしたら鉄朗が好きなのかもって雰囲気は感じてた。だから私と鉄朗の仲を引き裂きたいだけかもしれないのに、……一度感じた不安は拭えない。
 そうなった私はその日だけじゃない、それ以降も鉄朗と今までみたいに話せなくなって、一緒にいても笑えなくなって……そして遂に、それを鉄朗本人に詰められてしまった。

「なぁ」
「んー?どうしたの」
「最近なんかおかしいよな?」
「ええ?おかしくないよ、なに、どうしたの鉄朗、こわい」
「嘘つくときにスカートの裾握るの、名前の癖」
「え、嘘っ!」
「嘘」
「……」
「なんか隠してんでしょ」
「……」

 やられた!カマかけられた!って気付いた時にはもう遅い。あれから二週間、毎日してたメッセージのやりとりを少しずつ減らして、朝練の日のモーニングコールも起きれなくなってきたからってしなくなった。スマホカバーそろそろ変えない?って提案したときには、「まだ貰って一ヶ月ちょっとしか経ってないんですけど」って流石に怪訝な表情をされたけど。

 だって仕方ないじゃん。どうしたらいいのかわかんないんだもん。あれは嘘だと思いたいのに、でももし本当だったら?どうしたらこれ以上鉄朗に嫌われないで済む?って思考に持っていかれる。
 答えの出ないそれはずっと堂々巡りで、どんどんやっぱりあれは本当なのかもって思わせて。

「なに、俺なんかした?」
「し、してない……」
「じゃあなんなの?俺のこと飽きた?嫌いになった?」
「えっ」
「……前みたいに笑ってくんねえし、話しててもなんか上の空だし」
「そんなこと、」
「なくないよな?」
「……」
「……なんなのまじで。俺がなんかしたなら言って欲しいし、悪いことしたなら謝りたいし、だから……なんも言わないで避けるのはやめて?」
「……避けてなんか、」
「なくないよな?」
「……」

 そう言った鉄朗はいつもより圧が強めで、私は黙り込むしかなかった。なにか言わなきゃ、でもなんて?私を見下ろす鉄朗に目を合わせられなくて、視界には自分の爪先だけが見える。
 頭の中にはあの子の声で「黒尾、苗字さんの悪口言ってたよ」って言葉が何度も何度も再生されていた。

 握った拳にじとりと汗が滲む。なにか言葉を発しようと唇を開いては、なにも音にはならなくて。

「……俺がなにかしましたか」

 さっきと同じ質問。でも鉄朗はそれ以上なにも言葉を発しなくて、……きっと私の言葉を待っている。私はゆっくりと、首を横に振った。

「じゃあ、……なんかされたか、……言われた?」
「……」
「そっちか」
「ち、が……」

 どうして。動揺して反応に遅れた私に、鉄朗はすぐに気付く。一歩、私に歩み寄った鉄朗は私の指に自分のそれをするりと絡めて、それからゆっくり握り込む。さっきまでなかった温もりが触れて、……急に泣きたくなった。

「なに言われた?それかされた?」
「……」
「名前」
「……」
「言わねえなら、名前の周りの奴とかクラスの奴とか、片っ端から聞いてくけど」
「やっ、……」
「じゃあ教えて」
「……」
「……俺に言えないこと?」

 って。そんなのずるい。関係ない人を巻き込むのは嫌だし、変に騒ぎ立てられるのも嫌。でもこういう風に言ってくれる鉄朗はきっとあんなこと言わない、あれはあの子の嘘だったんだってこの時点で確信してしまって、……そしたら余計に鉄朗にそのことを言いにくい。
 あんな嘘を少しでも信じてしまったって、知られるのが怖くて。

 だけど何も言わない私に、鉄朗はすっごく不安そうにするから。そうさせているのが私なんだって思うと、……それにも耐えられなくて。

「……鉄朗、が」
「ん?」

 ようやくあの日言われたことを鉄朗に告げる決心をしたけど、唇はきっと震えてる。もうずっと感じていない、鉄朗といるときの幸福感が今は凄く恋しかった。

「私のこと、うざがってるって……」
「は!?」
「ま、毎日メッセージ送るのとか、朝練の日にモーニングコールするのとか、……スマホケース渡したのも、気持ち悪いって……」
「なになになんの話!?」
「鉄朗がそう言ってるって、聞いて、……それで怖くなっちゃって」
「言わねえよ!?いや、言ってないから!なにそれ!こわ、え、こわ!」
「そ、……だよね、……」
「えっ」
「ごめん、なさい」

 ずっと耐えてきた涙がぽろりと地面に落ちた。あとからあとから流れてくるそれに、鉄朗は思いきり動揺したみたいで、でも繋いでなかった方の手が優しく頬を撫でる。
 それは甘えてくるときみたいなんじゃなくて、頼りになる、みんなが知ってる鉄朗。だけどこうして貰えるのはきっと私だけ。

 それを感じてしまえばもうあんな嘘どうやったって信じられないのに、私は今までどうして疑ってしまってたんだろう。不甲斐なくて、申し訳なくて、やっぱり涙は止まらない。

「誰に言われた?」
「ん……」
「名前。教えて?」
「……クラスの、……サトウさん」
「あー……それってもしかして二週間くらい前?」

 二週間前。そのワードに私はこくこくと頷く。でもどうしてそれを?鉄朗を見上げると、眉を顰めてちょっとだけ怖い顔をしてる鉄朗がいた。

「……そんくらいのときに告られて、彼女いるからって断った、から」
「え」
「その腹いせかもしんない」
「……」
「いや、ごめん。俺の配慮が足らなかった。そうなるかもなって思わなきゃいけなかったのに……ごめん」
「ううん、」
「でも俺そんなこと言わないし。……それだけはまじで信じてほしい」
「う、ん……信じる」
「……ほんとにぃ?」
「ほんとだもん……でも」
「でも?」
「告白されたのは……言って欲しかった」
「は、……」

 見上げれば、もう怒ったような表情じゃない。ただ目を丸くさせた鉄朗がそこにいて。繋がれた手に私の方からも力を込めると、ぴくりとその身体を跳ねさせる。そんな鉄朗に、「言って欲しかった」もう一度同じ言葉を連ねた。

「う、疑って、ごめんなさい。でも……そういうの、知っときたかった」
「いやそれは……ごめん、まじか」
「……」
「名前はそういうの、知りたくないかなって思ったから。ごめん」
「……鉄朗のことはなんでも知りたいよ」
「え」
「……重い?」
「……全然?」
「うそ」
「ほんと。嬉しすぎてちょっと顔がやばいくらいには、……あー……うん、嬉しい」

 その言葉が、たまらなく愛しくて。私の方が嬉しくって、それが伝わればいいって鉄朗に体重ごと預けた。「うお、」って小さく溢した鉄朗は頬に添えてた手を私の腰に回して、それからぎゅうって優しく締め付けてくるのが心地良い。
 最近ずっと、鉄朗不足だったから。さっき泣いたから顔は酷いだろうに、それでも鉄朗と目を合わせたくて、その瞳に私を映して欲しくて。

 握られた手も、ぎゅ、ぎゅ、って力を入れては解いてを繰り返される。優しい。愛おしい。大好き。色んな気持ちが合わさって、そのまま離さないでいて欲しいなんて……やっぱりちょっと、重いのかも。

「……ごめんなさい」
「ん?それはなんの?」
「私、重いから」
「ちょっ……名前サン?さっきの話ちゃんと聞いてた?」
「うん、聞いてたよ」
「だったら」
「だって私、絶対に鉄朗が思ってるより鉄朗のこと好きだもん」
「それは……いいんじゃない?」
「そう、かなぁ」
「だって俺も、名前が思ってるより絶対に名前のこと好きだし?」
「……お揃いだ」
「そ、お揃い」

 いつの間にか……サトウさんに言われるずっと前から抱えてた不安も劣等感も、全部跡形もなく溶けて消えていることに気付いた。だって今目の前の人を信じなくてどうするのって。感じる体温が、そう言ってる。

 目尻に残っていた涙が、零れ落ちる。それを鉄朗の唇が掬い取って、でもすぐ離れていくそれが恋しくて追いかけるような動作をしてしまうと、それに気付いた鉄朗がくくって喉で笑う。

「……なに」
「んや、可愛いなぁって」
「……好き?」
「ん。告白されたのなんて忘れてたくらいには、毎日名前に夢中」
「あっ。今他の女の子の話しないで」
「あれ?名前サン?さっきと言ってること違くね?」

 顔を寄せて、笑い合って。それから自然にくっつけ合った温度に、私はもう離れられなくなっていた。


21.12.31.
title by 星食

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