短編

恋人ごっこ



「お、おさ、おさむぅー……」
「うわっ……出た瞬間これかい」
「また振られた、もうあかん、無理死ぬ〜……」
「ほんでまたかい」
「もっと優しい言葉かけてえやああ」
「もう優しい言葉も売り切れやわ」
「う、冷たいぃ」

電話越しにはぁと聞こえるため息も、私が鼻を啜る音で掻き消される。ぼとぼとと落ちる涙は私のスカートに小さなシミをいくつも作り、その場所だけ色を変えていた。
仕方ないじゃない。好きで振られたわけでも、こうして泣いてるわけでもないのだから。毎回。そう言われるほど何度も繰り返しているのだって、勿論不可抗力だ。

新しい彼氏が出来ては一ヶ月が経ったか経ってないかで振られて、それを幼馴染の治に聞いてもらうのはこれで何度目だろうか。
治は小さい頃からいつも私の相談役。と言っても私が勝手に何かある度治のところに行くのが常なだけで、相談というか本当に話を聞いてもらっているだけと言うか。
ママに怒られた、テストで赤点を取った、友達と喧嘩した、侑にいじめられた……本当に些細なことで「治、」と呼んでしまい、そしてその度に治が「泣き虫」って言って涙を拭ってくれるのは当たり前になっていて。

今は専ら私が振られた際にしかしないこの会話だけど、前回からちょうど一ヶ月。そんなに前ではない。

「で、今回はなんて言われたん」
「あ、聞いてくれるん?」
「聞かなお前ずっと切らへんやん」
「切りたがんな、こら」
「で、なんやねん」
「あ、話逸らした」
「……」
「ご、ごめん!怒らんでや……!」

傷心中やねんから優しくして?なんて、自分がうざ絡みしているのは自覚しているので声には出さなかった。

「……お前の気持ちが見えへんって」
「……また?」
「うん。……また」
「好きやったんちゃうん、そいつのこと」
「せやよ。だから泣いてんやん」
「全然相手に伝わってへんやん」
「そやねん。私伝えんの苦手やねん」
「知らんわあほ」
「うぅ、ほんま冷たい」
「……あほ」

また一つ治から漏れたため息と、ぽたりと落ちる私の涙がリンクした。毎回。毎回振られるのだって、振られる理由だって同じ。分かってるんだよ本当は。どうして私がそうやっていつも振られるのかってことくらい。
……この涙が、彼氏に振られたから流れているわけではないってことくらい。

「っ、……」
「また泣いとぉ」
「泣い、てますけど……?」
「なんでちょっと強気やねん」
「治が冷たいから」
「はぁ?俺のせいにすんな」
「えー……なんなん、今日ほんま冷たい……」
「……いつもと一緒やけど」

そう言った治の言葉に、ぴくりと指先が反応した。ゆっくりとスマホを持ち直し、それから機械越しに伝わる雑音を耳が拾い上げる。治、もしかしていま外おるんかな。やとしたら申し訳ないな。そう思うことは出来るのにまだ通話を切ることは出来ず、でもこの沈黙はちょっと辛いかな。
じゃり、じゃり、って、多分アスファルトを踏みしめる音が私の鼓膜を揺さぶり、それが遠い昔の記憶を引き摺り出した。

三日に一度は晩御飯を食べ終わると侑と治の部屋に行って、ただ漫画を読んだりだらだらとゲームをしたり、そうして過ごす時間があった。それは高校生になっても変わらなかったけど、家が隣同士だからってお互いの親からは何も言われなかったし、それこそ記憶がないくらいから一緒に育った私たちの間に何かあるわけないって、大人たちはそう思い込んでいたんだと思う。それは多分、幼馴染の二人もそう。
なのに。だけど。私だけは違うくて、そんなずっと一緒にいたはずの幼馴染にいつの間にかそれ以上の感情を抱いていることに気付いたのはいつからだったろうか。

「あんな、治」
「おん」
「私、彼氏できそうやねん」
「は?」
「なんか友達が、紹介してくれるねんて。私のこと好きらしいねん」
「……ほぉん」

一瞬だけ置かれた沈黙。私の言葉に治はなにか言いかけて……やめた。

「え、そんだけ?なんかもっとないん」
「なんかってなんやねん」
「えぇー……なんか、なんか……」
「名前のそういうとこ、その彼氏は受け入れてくれるとええけどな」
「は、……な、なに!?そういうとこて!」
「なんも。ま、頑張り」
「なんか治が冷たい!」
「はぁ?いつもと一緒やけど」

言いながら泣きそうになった。友達から男の子を紹介されるっていうのは本当だったけど、でももし、万が一、治が止めてくれたら……止めてくれなくても少しでも嫌そうにしてくれたら、断ろうと思っていたから。
小さい頃から続くこの関係に焦れていたんだと思う。侑とは違い私に優しい治。私はいつの間にかそんな治のことが好きになっていて、でも治の態度は幼馴染のそれからちっとも変わらない。

こうして侑がお風呂に行ってる間私と治の二人きりになってもドキドキするのは私ばかりで、治は本当になんとも思っていないのかなって……試すようなことをしてしまった。後悔した。幼馴染から実はお互いが想い合っていたなんて、少女漫画の世界だけなんだって。そうして私は、アッサリ治への気持ちに蓋をしてしまった。
現実を知ったというか、そのときの治の顔があまりにも私が治に向けるものとは違いすぎたから。これは無理だ。治が私に恋するところなんて、想像すらつかなかった。

結局その後友達に紹介してもらった彼と付き合い始めたもののすぐに別れ、それからもなんとなく色んな恋愛をしてきたのに結局長続きもせず、その度に私は治のところに戻ってきてしまう。当たり前、私は治が好きなんだから。

治は毎回、振られたって私が泣き出したらなんやかんや言いつつ最後には「大丈夫や、名前は良い女やから」って言ってくれるから。それが嘘でも泣きやます為に適当に言ったものだとしても構わない。その言葉欲しさに私は今日も治に電話をして、そのくせ同時に治が私に全く興味がないことを思い知らされて泣くのだ。自分でもめんどくさい女の極みだと思う。

じゃり、って音と雑音がさっきより大きくなった気がする。治の息遣いだけがやけに響いて、私はじくじくと痛む胸を押さえた。はぁ、辛い。片想い辛い。こんなんやめたい。せやのにやめられへん。結局諦め切れてへんやん。なんなん、ほんま。あほやん。

「名前」
「……ん、」
「まだ泣いとん」
「……どうでしょお」
「むっちゃ鼻声やけど」
「わかっとんなら聞かんといて」

無駄に優しくしんといてって、言えたら良かったのだろうか。どうしたらもっと早く治を諦めることが出来たのだろうか。
諦めたと言いつつ結局治から離れられない私なんて一生このままな気がする。いっそ告白してきっぱり振られたら……なんてするにももう遅くて、だってこの気持ちを自覚してから何年経ってる?そんなこと出来たならとっくにしてるって。

じゃり。じゃり。

てかどこ行くん、めっちゃ歩くや、ん―――

「よ」
「え、」
「ぶはっ……顔、ぐちゃぐちゃやん」
「なんで……」

スマホと目の前と、おんなじ声、おんなじセリフが聞こえる。治、なんで?ぱちぱちと瞬きすれば睫毛に引っかかっていた涙が落っこちて、治はそれを見て少しだけ顔を顰めたくせにすぐに私の顔を笑った。
なんで。なんでおるん。家の近くの公園、私が座っているベンチに並んで腰掛けた治は再度私を見てそれから眉間に皺を寄せる。

大きな手が私の頬に触れて、親指がゆっくりと涙の跡をなぞった。

「……もうそろそろ飽き飽きしとんやけど」
「え……?」
「名前が振られたって話。お腹いっぱいやわ」
「ご、ごめん……」
「しかもよぉ一ヶ月そこらしか付き合ってへん奴のためにそんな泣けるな、毎回」
「それは……」
「ほんま」
「……」
「……よぉ泣けるわ」

二回も言うやん。でもほんとそう、毎回こんなによく泣くなって自分でも思うよ。でも治が思ってる理由とは違うんだけどなんて、本当の理由を言えないくせにそうやって思う私は狡い。
真っ直ぐに視線を合わせる治がさっきよりも更に眉を寄せて、……それから頬に添えたままの手が、もう涙の乾いたそこをゆっくりと撫でた。

「やめときいや」
「……なにが」
「男作るん」
「……」
「どうしても欲しいなら俺にしときいや」
「えっ」
「俺やったらそんなこと言って泣かせへん」
「な、え、え?」
「俺やったらずっと名前とおったる」

時間が止まったみたいに世界の動きがゆっくりになって、目をいっぱい見開いて治を見つめた。言葉の意味が理解できずに何度も頭の中で繰り返して、それでも尚分からない。だって、そんなの……私に都合が良いように捉えてしまう。俺にしときいやって。俺やったら、って。

「な、んで」
「俺のが名前のこと好きや」
「えっ!」
「……なんやねんその反応」
「や、だ、って……」
「名前、全然気付いてくれへんねんもん。……せやけどもう他の男の話聞きたない」

そう言った治は、一瞬泣きそうな顔をしてそれから頬に添えている方とは反対の手で私の手首を引っ張る。「え……」されるがまま、治の胸にダイブした私は途端に包まれる治の香りにくらくらした。でもこれは泣きすぎてかもしれない。だってそうじゃないと、こんなの説明がつかない。

治が私のことを好き?全然気付いてくれない?……そんなのは私のセリフだ。

「だって治、いっつも私に興味なさそうやったやん……」
「……んなことない」
「だって、彼氏できるかもって言うても、止めてくれへんかったやん……」
「好きでもないのに彼氏欲しいだけなんかって、呆れてものも言えんかったわ」
「だって、……だって、」
「まぁ最後は俺のやけどなってあの頃からずっと思っとったし」
「……っ」
「名前、昔から俺のこと好きやん」
「なんっ、で……知ってんの、ぉ」

ぼろぼろと、止まったはずの涙がまた落ちてくる。知ってるなら止めてよ。なんで黙って見てんの。訳分からん。今までの私の涙を返せ。
自分からは言えなかったくせに治を責める権利はないけど、そうしなきゃやってられないくらいに身体中の血液が沸騰してるみたいな、治の言葉に興奮してる。

嬉しくても涙が出るなんて知らなかった。治は私が治のことが好きなのも、それで試すようなことをしたのも、全部分かっていたのか。何年もずっと。
そんなの狡い。やっぱりそう責めてやりたいのに、私から溢れ出したのはもう我慢することの出来なくなった想いで。

「好き、ぃ」
「お」
「おさ、治が、好き」
「やっと素直になったやん」
「な、なんなんほんまっ!むかつく!なんでそんな余裕なん!」
「……全然余裕ちゃうけど」
「どこが、むかつく、」
「俺のこと好きやって、……信じたかっただけで、怖くてなんも言えんかっただけやもん、ほんまは」
「……さっきと言ってることちゃうやん」
「ちょっとくらいカッコつけさせてや」
「……あほなん?今更そんなん……」
「……せやったな」
「ずっとカッコいい思ってるわ、あほ」
「……やりよったな、あほ」

温かい胸の中から見上げた治は、初めて見るくらい真っ赤な顔で私を見下ろしていて。そんな熱っぽい瞳、今までして来なかったのに。そんなの、幼馴染に向ける目じゃないよって。
ジリジリと焦がすようなその視線に耐えきれず私はゆっくり瞼を閉じて……そこから始まる、幼馴染の向こう側を期待した。


2021.11.14.(同日 Twitter掲載)
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