短編

泡にもなれぬ人魚の末路




「ありがとう」
「う、うん」
「大事に食べるわ」
「そ、そうしてください…」

チョコを手渡しながら「好きです」というありきたりな言葉の後の会話がそれやった。…えっと、それだけ?そう思っても、私に「返事は?」なんて聞く度胸は持ち合わせてない。気持ちを伝えるだけでいっぱいいっぱいで、それ以上頑張るとかちょっと無理。
そうして、私の一世一代の告白は流されていったのである。

今まで生きてきて一番緊張した瞬間やったと思う。私の好きな男の子はただのクラスメイトで、それ以上でもそれ以下でもない。部活が同じとかでもなければよく話す仲、とかでもなくて。ほんなら何で好きなんかと言うと、キッカケはほんまに些細なことやった。

三年になって初めての日直のお相手やった北くん。話したことはないけどいっつもちゃんと授業聞いてるし、ふざけてる男子に注意してんのも見たことあるし、大人しそうかと思えばうちの強豪バレー部の主将さんやっていうし、成績が良くて先生に好かれてんのも知ってる。完璧な人ってやっぱちょっと怖い。私もちゃんとせな、たかが日直やけどされど日直、こいつ全然使われへんなって思われるかもしれん。

そう密かに気合を入れて、朝のうちに日直の仕事である日誌は私、黒板消しは北くんっていうのもちゃんと決めたはず、やったのに。

「苗字さん」
「うん?」
「日誌、書けたか?一緒に出しに行かなあかんやろ」
「あ、うん、行こ………あ!」
「?」
「ご、ごめ……すぐ書きます!」

最後、日誌は日直二人で出しに行く決まり。部活で忙しい北くんやから授業間の休み時間でちょっとずつ書き進めて、SHRが終わったらすぐに出しに行けるようにしよう!……って。二限目まではちゃんと覚えとったのに!慌てて机ん中から出して開いた日誌はそれ以降真っ白で、やばい、やらかした…!ってペンケースからシャーペンを出す手もちょっと震える。あーもうなんで!私のアホ!

まだ書けてないことを察したんやろう、北くんは私の前の席にこちらを振り向く形で座ってジッと手元を見つめてる。私が悪いんやけど、でもそんな見られたら緊張するって…!その視線から逃げるように三限目なんやっけ、授業なにしたっけ、って思い出すのも中々思い出されへんくて余計に焦っていく。

「え、っと、」
「数学」
「あ、ありがとう…数、学…と。内容…内容…」
「先週の確認テストと解説」
「あっ…ありがとう…」

北くんが書くことを言ってくれて、その通りに文字にしていく。有難いけど、その淡々とした声は怒っているようにも聞こえて泣きたくなった。
そんでも漸く最後の授業まで書けて、後は今日の休みの人とかコメントを書くだけ。休みは、0。コメントは…適当でええよな。なし、と書いてシャーペンを置いて、よし、出しに行こう!って北くんに言おうとした時やった。

「コメントちゃんと書かなあかんのちゃう?」
「え?」
「それ、書いてない人いっつも次の日先生に呼ばれてんで」
「うそ!ご、ごめんなさい…え、っと」
「書くことないなら、俺が書いてもええ?」
「え?う、うん…」
「シャーペン借りてもええか?」
「ど、どうぞ…」

私のピンクのシャーペンを、北くんが使ってる。その光景に違和感を感じた。何書くんやろって北くんの手元を見れば、うわ…字まで綺麗…なんて感心させられる。北くんどこまで完璧なん。

「日誌、俺も手伝えば良かったなぁ」

ふと北くんが呟いた言葉に、私は顔を上げる。そしたら北くんも私を見て、ばちりと視線が合ってもうた。

「え……あ、いや!ごめんなさい、私がちゃんとせえへんかったから…」
「苗字さん、今日忙しそうやったやん」
「え?」
「二限目の体育の後怪我した友達保健室に連れてっとったし、そのあとも先生に荷物持ち頼まれたり隣のやつに勉強教えとったりしたやろ」
「え……み、見とったん?」
「たまたま目に入ってん。せやのに気ぃ利かんくてすまんな」
「いや!いやいやいや!北くんはちゃんと自分の仕事したんやから!部活も遅れさせて、やっぱり私が悪いよ…」
「俺が部活してんの知ってんの?」
「あ、当たり前やん…!北くんバレー部の主将やろ?有名やねんから!」
「…そうなん?」
「そうやよ!せやのに私のせいで、ほんま申し訳ない…!」
「ふっ…苗字さん面白いなぁ」
「え!?ど、どこが?」
「苗字さんとこうやって話せてんから、たまには遅れてもええかもなぁ」
「え?…え?」
「書けたで。出しに行こか」
「えぇ…?」

日誌をパタンと閉じた北くんはもう立ち上がって準備してるから、それを見て私も慌てて出してた荷物を片付ける。それから二人で職員室に日誌を出して、北くんとは体育館と下足で分かれるところで普通に別れた。それだけ、それで終わり。
せやのに、教室で北くんが最後に言ったことも、初めて見た柔らかい表情も、頭の中から離れへんくて。怖い人っていう印象はいつの間にか消えとって、その後も私はずっと北くんが気になって…いつの間にか好きになっていたのだ。

自由登校に入った二月の、数少ない全員登校日がバレンタインやったのもあって最後の思い出に…とチョコを渡した。何回も作った手作りのチョコマフィンの中でも一番美味しく出来たものを入れた箱は、無事に北くんの手に渡り…そうして冒頭に戻る。
私の告白は、あっけなく終了したのである。思い出に、なんて言いつつもやっぱりちょっとは期待もあって、せやから北くんの反応もあれじゃあ良かったんか悪かったんか分からんくて…でもこれだけは言える。失恋したんやと。

しゃあないやん。一年ずっと好きやった言うても、あれから碌に話しかけることも出来ひんくて話せてもたまに授業のペアワークとかそんなんだけ。もっと努力すれば良かった。恥ずかしいとか、こわいとか、そんな過程なんて気にせず好きになってもらえるくらいの努力をすれば、そしたら結果は変わってたんちゃうか…なんて。

今日はもう卒業式。結局私は最後まで、北くんに話しかけることは出来ひんかった。バレンタインに後悔した後でもこれやったら、ほんまダメダメやん。仲のいい友達とは一通り写真も撮って、また会おーなんて言って別れたのに未だ教室から出られへん私。

今日で高校生も終わり。私の片想いも、ここで終わりやなぁ。なんて。数え切れへん後悔で、ぽろぽろと涙がこぼれた。最後に「ありがとう」って言って笑ってくれた北くんがずっと忘れられへん。好き。好きやったよ、北くん。こちらこそありがとう。本人に伝えることも出来ひんくせに、胸の中ではこんなにも好きが溢れてて。ず…と鼻を啜ったのと、ガラガラ…と教室の扉が開いたのは同時やった。

「良かった、まだおった」
「え」
「…泣いてるん?」
「…北、くん…」
「おん」
「なんで…」
「?部活の集まり終わったからやで」
「そ、じゃ…なくて、」

最後にお別れ会みたいなんがあるっていうのは何かしらの部活に入ってた人はみんな言うとった。恐らく北くんもそれに参加してたんやろうし、教室に戻ってくる用事なんかないはずやのに…

ようわからんけどもう会われへんとすら思ってた北くんが目の前にいて、余計に涙が出た。ボロボロと落ちていくそれは教室の床にシミを作っていく。そんなことも気にせんと、それよりもこんな顔を見せたなくて私は涙を拭おうと必死に目を擦った。

「擦ったらあかんよ。傷付くで」
「ふ、ぅ…なんで…なんで北くんおるん?」
「苗字さんがおるの、外から見えたから」
「え…」
「苗字さんの連絡先知らんから走ってきた」
「ど、ういう…」

話しながら私の元に歩いてきた北くんは、ちょうど目の前で立ち止まった。こんな改めて向かい合ったことはあったやろうか。北くんの言葉の真意が分からず、次の言葉を待つ。何でか分からんけど、緊張して喉がカラッカラに乾いとった。

「ホワイトデー、学校ないやん」
「ホワイトデー…?」
「?バレンタインの返事、せなあかんやろ」
「え?…返事、してくれるん…?」
「?おん」
「そう、なん」
「バレンタインの返事って、ホワイトデーにするもんなんやろ?」
「え?」
「?」
「…そうなん?」
「違うんか?」
「え?」

いや、そういう人も世の中にはいっぱいおるやろうけど。あのパターンはすぐ返事するもんちゃうか。知らんけど。いまいち北くんと話が噛み合わへんくって、涙も止まってもうた。見上げた北くんは、相変わらず何を考えてんのかわからん表情で…それでも綺麗なその顔が近くにあるってだけでドキドキと胸が高鳴る。

「ホワイトデーに返事しよう思ってんけど、学校ないのに苗字さんと連絡取られへんと困るやろ」
「…あ、それで…」
「連絡先聞きに来てん」

なるほど。いや、全然なるほどちゃうけど。でも北くんが言おうとしたことは何となくわかった。つまり北くんはバレンタインの返事はホワイトデーに返すもんやと思ってて、流したんでも何でもなかったと。せやけど私らはホワイトデーには卒業してるし会われへんから、連絡がとられへんと困ると思ったと。

そこまでして返事しようとしてくれたん。何で。もしかして、って期待を持ってしまうんはもう辞めたいのに、わざわざこうして私のところに走ってきてくれた北くんを見るともしかしてが捨て切れへん。

北くんはカバンの中からスマホを出して、私に差し出した。

「連絡先、教えてくれへんやろか」
「…なんで、」
「え?せやから、」
「いや、いいねんけど…でも…へ、返事って、今じゃあかんのかな」
「え?」
「返事…今、欲しい」

今勇気出さんで、いつ出すの。心臓はバクバクと鳴り続けていて今にも壊れそう。それでも、もう後悔はしたくない。目尻に残っていたさっきの涙が、ポロリと一粒だけ床に落ちた。

「…せやけど、今日は何も準備してきてへんし」
「じゅ、準備って何?何がいるん?」
「そりゃ、バレンタインのお返しって、なんやクッキーとかマシュマロとか渡すんやろ?」
「そ、そうかもしれへんけど…でもそんなん聞いちゃったら、待たれへんよ」
「?」
「ちゃんとしてる北くん、す、好きやけど…私は今、聞きたい」

言った。今度こそ、言えた。私はギュッと拳を握りしめて、北くんを見つめた。

「…苗字さんがそう言うなら」
「うん」
「この前のチョコありがとう。めっちゃ美味かったわ」
「う、うん」
「そんで、好きって言うてくれたんも、嬉しかったよ」
「…!そ、れ、って…」
「俺も苗字さんのこと好きや」
「!」
「よかったら俺と、付き合うてください」

北くんの言葉が、まるで私の耳に直接流し込まれているみたいに身体の中に響く。好き、って。付き合うてください、って。嘘みたいなこと言われてるけど、夢、ちゃうよな?現実やんな?

嬉しすぎて硬直してしまうてる私に、北くんは一歩踏み出してそのまま私の手を握った。

「!?」
「…どうやろか」
「、っ、」

言葉にならなくて、でも返事をしなければとこくこくと必死に首を縦に振る。それを見た北くんは、それはもう嬉しそうに頬を緩めた。

「…そうか」
「う、」
「なんや照れるなぁ」
「…き、北くんずるい…」
「なにが?」
「…そんな顔も出来るとか、聞いてへんもん…」
「よう分からんけど苗字さんだって可愛らしい顔してんで」
「!?」
「はは、真っ赤や」
「え、っ、え!?」

ボンッと爆発してしまうんじゃないかってくらい体温が急上昇してくのが自分でも分かる。せやのに北くんはそんな私を見て「やっぱ面白いなぁ、苗字さん」なんて穏やかに笑うだけやった。

ホワイトデーにはちゃんもお返しをいただいて、そんときに聞いた話。北くんもあの一緒に日直をした日から私を気にしてくれとったらしくて、それを聞いたら後悔した日々でさえ愛おしく思えてくるから不思議で。ただ分かるんは、これからもっと北くんの色んなことを知れるんかなぁ、という期待で今は胸がいっぱいやということだけやった。


21.03.14.
title by 星食

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