短編

うちうちの累積




聞き覚えのある声が聞こえた気がした。

「なんや?」

侑が振り返り、それに釣られて治、銀、そして最後に俺が振り返る。

「りぃいいいんんんんん!」
「…は?」

遠くから、腕千切れるんじゃないの、ってくらいぶんぶんと振り、満面の笑みと大きな声でもう一度俺を呼んだ女。一瞬物凄く懐かしさを覚えた。名前。幼馴染の名前だ。

「名前…」
「名前って誰?あの子?角名の彼女?」
「…うっさいよ侑」
「はぁ!?あ、ちょっ…」

侑にめんどくさい絡みをされる前に、俺は名前に向かって駆け出す。後ろから侑だけじゃない、後の二人も興味深そうにこちらを見ているのを感じて、思わず小さく舌打ちをした。

「…なんでいるの」
「倫!久しぶり!」
「返事になってないし」
「なに、せっかく会いにきたのに…嫌だった?」
「そんなこと言ってないじゃん」

拗ねているような言い方はわざとだって知っている。だから俺は構わずに名前の頬を摘むと、柔らかく餅みたいにビヨンと伸びたのが面白くて思わず口角が上がった。だけどその手が震えないように、内心は必死だった。
そうしていると、俺の肩に誰かの腕がまわる。

「なぁ、だれだれ?」
「わっ」
「角名とどういう関係なん?名前ちゃんっていうん?」
「え、っと…」
「侑…まだいたの」
「あったりまえやーん!角名って普段そんな女と仲良うしてるとこ見いひんのに、なんか親密そうな子おったら気になるやん!」
「余計なこと言わないでいいから」
「…ふふ、そうなんだ。へへ…」

あーほら、なんか嬉しそうにはにかんでるし。可愛い、けどその表情あまり他には見せたくないんだけど。自分こそどの立場で言っているのか、独占欲だけは立派に顔を出す。だけどそれさえも隠して手短に名前は幼馴染で、引っ越しするまでずっと家が隣同士だったことを伝えると侑は「ほぉーん」と言いながら品定めするような目で名前を見た。

侑の後ろに視線をやれば、治はあんまり興味なさそうだし、銀は苦笑いしてるだけだし…もう侑連れて帰って欲しいんだって。その思いは伝わっているのかいないのか、二人は特に動こうとはしなかった。

「じゃ。そういうことで、お疲れ」
「えっ、倫、」
「あ、おい角名!明日詳しく聞かせてもらうで!」
「…何も言うことないんだけど」

これ以上名前を見られたくなくて、名前の手を掴み逃げるように足を早めると後ろから侑がギャンギャン吠えている。勿論それを気にする訳もなく、そのまま俺の家の方に歩けば引っ張られるように後ろをついて来ていた名前がしばらくして隣に並んだ。
ぎゅ、って手を握り返されて、その分ぐんと体温が上がる。チラリと横目に名前を見れば、ちょうど名前も俺を見上げてしっかりと目が合った。

「…なに」
「ふふ、倫こそ」
「………」
「手繋ぐの、久しぶりだね」
「…だね」
「嬉しい」

幼馴染。その肩書きも間違ってはいないけど、それだけじゃない。名前は俺の彼女だった。だった、というのはそれは中学までの…俺が兵庫に来るまでの話だから。
高校生で遠距離なんて出来るわけない。俺はそんなこと思っちゃいなかったのに、頑なに名前はそう言い張った。だからあの時俺らの関係は幼馴染に戻ったはずなんだ、けど。

小首を傾げて嬉しそうに笑う名前は、見慣れたはずなのに会わないうちに随分大人になったようでもあって。あの頃の熱が、俺の中に駆け巡る。ああもう、可愛い。何なの。

あれから一切連絡も取ってなかったじゃん。名前からは勿論、俺だって部活が忙しくて、それを理由にして幼馴染としても連絡を取ることなんかなかった。実際どんな風に話せばいいのか分からなかったから。それなのに、どうして。

記憶より少し大人びた顔で、記憶とおんなじ笑い方で、今俺の隣にいるんだよ。

「倫、あのね」
「…なに」
「私、こっちに引っ越してくることになったの」
「……は?」
「お父さんの転勤でね。それなら学校は、絶対稲荷崎がいい!って思って」
「…それで?」
「春から私、稲高生でーす!」
「はっ……なに、それ」

目の前でキラキラした目をする名前は、心底嬉しそうに俺に告げる。春から稲高生?おんなじ学校、ってこと?何それ、訳わかんないんだけど。

「だから、一番に倫に言いたくて来ちゃった!」
「来ちゃったって…平日なんだけど」
「あれ、そういうこと言っちゃう?たまにはサボタージュしてもいいでしょ?」
「…会えるかなんて分かんないのに」
「でも会えたじゃん……っきゃ!」

もう何か、たまらなくなった。別れた日、泣き笑いみたいな表情で「私は倫のことずっと応援してるからね」とそれだけ言った名前にどれほど会いたかったか分からない。

あれから一度も連絡を寄越さなかったくせに。それなのに、今こうして、何もなかった風に俺の隣にいるんだから。繋いだ手を引っ張ると、名前はその勢いのまんま俺の胸に飛び込んでくる。それで俺は、その温もりを今度こそ離さないようにギュッと抱きしめた。

「…ずるいじゃん」
「…うん」
「…俺が彼女とデートしてたらどうするつもり?」
「え、倫彼女いるの?」
「…どう思う?」
「えー…さっき宮侑くんが言ってた感じだと、そんな心配しなくていいみたいだし」
「ちょっと。なんで侑の名前知ってんの」
「ええ…そこ?だって私、倫が出てる試合、なるべく全部観てるし。春高も、観に行ったよ?」
「…なに、こっそり来てんだよ」

腕の中にいる名前を見下ろせば、「へへ、」とまたさっきみたいに笑う。でもその声はどこか震えていて。

「倫の邪魔、したくなかったから」

ほんと…

「バカじゃん」

名前が邪魔になることなんてあっただろうか。いや、なかった。断言できる。いつも誰よりも俺のことを応援してくれて、支えてくれて。むしろ俺は、いつだってそんな名前に隣にいて欲しかったというのに。

「もう離れないでね」
「…物理的に離れてったのは倫の方だよ」
「…屁理屈」
「ふふ…ねぇ、倫。さっき侑くんが言ってたの、本当のことだと思ってもいい?」
「さっき?」
「…他の女の子と仲良くしてるのなんか見たことない、っていうの」
「…当たり前じゃん」
「ふふふ…ねぇ、倫」
「今度は何」
「誕生日おめでとう!」
「………」

今言うのかよ。一瞬驚いて、でもフッと思わず息を溢してしまう。そしてそのまま、名前にゆっくりと唇を寄せた。小さい頃から毎年名前と一緒に過ごしていたこの日。そんな思い出が今でも心臓を刺すのだ。


21.01.25.
title by ユリ柩
角名倫太郎 2021's BIRTHDAY!

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