短編

淡く青く儚く





「あーつむー」
「なにー?」
「今日うち誰もおらへんから、侑ん家でご飯食べんねんけど一緒に帰ろーや」
「またおっちゃんもおばちゃんも遅いん?」
「うん、今日の朝お母さんが侑ん家に電話しとった」
「部活待っとってもらわなあかんで」
「はーい」

あたしと侑、それから治は所謂幼馴染みだった。小さい頃から仕事で家を開けることが多かった私の両親はよくあたしを宮家に預けていたから、侑や治と行動をするのは最早当たり前。
共にご飯を食べるのも、三人で部屋でゲームをするのも、小さい頃はお風呂だって一緒に入った仲だ。それなのに、あたしはどうして侑にだけ、いつも少しだけ視線を奪われてしまうのだろう。侑も、治も、同じくらい一緒に過ごしたはずなのに。

慣れたように二人が部活が終わるのを待って、一緒に帰って、二人のお母さんが作ったご飯を食べて。いつも通り今日もまた三人で双子の部屋でゲームをしていたのだけれど、キリのいいところで治は先にお風呂に入る、と出て行ってしまった。残されたあたしと侑、二人きり。

思えば小さい時も、治はよくお腹空いたとかおやつ食べてくるとかそんな理由でいなくなって、侑と二人になる機会が多かった。
慣れているはずなのにいつもこの時だけ少し緊張する。それはきっと、小さい頃からずっと密かに温め続けたこの感情がそうさせているから。

「そういえば最近、みっちゃんに彼氏できてん」
「誰?いっつも一緒におる子?」
「そう。で、彼氏は隣のクラスの佐藤くん」
「あー、サッカー部の奴な」
「そうそう。…すごいよぁ」
「…何が?」
「好きな人に好きって言えるん。あたしには無理やわ」

制服のスカートを気にしながら体育座りをして、あたしは言った。好きな人に、好きって言えるなんてすごいこと。あたしには絶対出来ないって思っているけど、でもいざ普段親しくしている友人が近くで幸せそうにしていると、羨ましいと思ってしまうものだ。

「え、名前好きな奴おるん?」
「へ?」

思わず素っ頓狂な声を出してしまった。ちょっとセンチメンタルになってみたのに、なにこいつ。嘘やろ?みたいな顔して聞いてくるから腹立つ。ほんと、こんな男のどこがいいんだか自分で自分に問いただしたい。

「あ、あたしだって好きな人くらいおるわ!」
「あの名前が…?」
「ほんま、侑あたしのことなんやと思ってるん!?」
「え、だって初耳やねんけど」
「言うてないし」
「誰なん!?俺の知ってる奴?」
「言うわけないやん…」
「なんでやねん教えろや!」

知ってる奴も何も、侑やし。ギャーギャー騒ぎ出した侑を無視してあたしはテレビ画面に向き直った。気にせずコントローラーをかちゃかちゃ操作しているように見えるかもだけど、実際は全力疾走をした後みたいに心臓が鳴っていて胸が痛い。
なんでそんな気にすんの、とか、もしここで侑のことやって言うたらどんな反応すんのかな、とか。侑とこういう話をすることってないから、っていうか好きな人本人と恋バナなんてどんなテンションで話せばいいか分からない。

しばらくあたしに無視された侑は、今度は急に静かになる。え、なに、どうしたん。なんて、横目で見たのがいけなかった。

「な、に…」

侑が今まで見たことないような目で、あたしを見ていたから。感情を読み取れない目。怒っているようにも見えるし、悲しんでいるようにも見えるし、何を考えているのか分からない。
一瞬にしてその目に吸い込まれるようにして、そのまま無言で数秒見つめ合う。

「…ほんまに好きな奴おんの?」

静かな侑の声が、やけに響いた気がした。

「…なんで、そんなこと聞くん?」
「なんでって…」
「侑に関係ある?」
「関係大アリや」
「なんで?」
「…そんなもん、俺が名前のこと好きやからに決まってるやん」
「え?」

真っ直ぐにあたしを見つめる侑の目に、驚いた私の顔が写っていた。言われたことがすぐに理解できなくて、何度も頭の中で咀嚼して、それでもやっぱりわからなかった。侑が、あたしのこと、好き?

「だぁーーーー!!」
「なっ、なに」
「こんなとこで言うつもりちゃうかったのに…」

沈黙に耐えきれなかったのか、侑から出た大きな声にビクッと肩が跳ねた。そのまま侑は後ろに倒れて、顔が見えなくなる。あたしには、侑が今どんな表情をしているのか改めて覗き込む余裕はない。だって、今、めちゃくちゃ心臓の音速い。こんなん、どうすればええの。

ずっと小さい頃から侑が好きで、ロクにこういった経験はない。いつかあたしも、と夢見て読んだ少女漫画や恋愛映画だって、こんなにドキドキするとは教えてくれなかった。そのとき感じたものの比じゃないくらい、痛い。

でも確実にわかるのは、恥ずかしいけど、嫌じゃないってこと。嬉しい。じわじわと実感する侑の言葉は、ずっと望んでいたものだったから。
それに、こんな侑初めて見た。顔こそ見えないけど、いつもはもっと乱暴なのに。心なしか弱い言葉尻から嘘じゃないっていうのが伝わってくる。

「…侑」
「…なに」
「…めっちゃ苦しい、どないしよ」
「はぁ!?」

あたしの言葉にガバッと起き上がった侑は、さっきとは打って変わって焦っている。

「え、大丈夫か、」
「大丈夫ちゃう…」
「えっ、まじか、ちょ、サム呼んで…いや、おかんの方がええか?」

立ち上がろうとする侑のシャツを咄嗟に掴み、侑の重心が後ろにブレる。振り返った侑は少し怪訝そうな表情で、あたしを覗き込んだ。

「どした?」
「ちゃうねん」
「は?」
「…侑が、あたしのこと好きって言ってくれたんが…嬉しくて、苦しい…」
「…はあぁ!?」

ずっとずっと隠して密かに育てた想いは、案外ぽろっと言葉に出てしまった。絶対伝えるなんか無理、って思ってたのに。侑の顔はみるみる赤く染まっていくけど、それは多分あたしだって一緒。とっくに頬は熱くなっている。それでも私は、侑のシャツの裾を握りしめていた手を離して今度は侑の手を取った。

「…侑のこと、ずっと好きやった。ほんまに、ちっちゃいときからずっと、誰よりも好き」
「お、ま、はぁ?」
「…侑も、あたしのこと好きやんなぁ?」
「…さっきから言ってるやん。俺やって、ずっと名前が好きやって」

ゆっくりとしゃがみ込んで遠慮がちにあたしを抱き締める侑は、ほんまにこの人侑なんかな、って思っちゃうくらい恐る恐る、優しく力を込めてくれる。
こんな熱、知らない。今までずっと、それこそ治の次くらいに侑の隣にいたのに、こんな男の人の顔した侑、知らない。

「…なぁ、今めっちゃ恥ずかしいねんけど」
「知るか、そんなん俺もじゃ」
「一緒かぁ…じゃあいっか」
「…おん」

それからしばらくはずっと、お風呂から上がった治がまたこの部屋に帰ってくるまでこうして抱き合っていた。
そんなあたしと侑を見た治は「やっとくっついたんか」ってため息を吐いていて、お互いの想いを知らなかったのはまたお互いだけだったことを知る。



title by コペンハーゲンの庭で
20.9.2.

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