短編

生涯降参宣言





今までそんなイベント、気にしたこともなかった。だって中学の時は好きな人すらいなかったし、その前だってお父さんにあげたことしかなかったから。だから、好きな人にチョコをあげる、なんて私にはハードルが高すぎるのだ。それもその相手が、片想い中のクロ先輩だなんて。

「そんなこと言っても先輩もう卒業するんだよ!?振られても気まずくなんないしチャンスじゃん!」
「で、でも告るのは無理だよ…」
「じゃあせめてチョコ渡すだけ!ね!頑張ってみなよ!先輩、部活には顔出すんでしょ?」
「そ、うだけど…」
「てかマネージャーなんだから部員全員に用意したらダメだった時誤魔化せるじゃん!」
「…うん…そうだよね」

なんて友達に励まされて、用意してしまいました。チョコレート。

音駒高校男子バレー部の1年マネージャーである私と、その主将だったクロ先輩。3年はもう引退してるし学校も自由登校になってて普通だったら会えないけど、先輩は未だ部活に顔を出してくれるしそこは大丈夫、なはず。
右手の紙袋には、部員全員に用意したチョコレートと、それとは別に先輩に渡す本命用のチョコレート。
いつも通り練習が始まって、それでも今日は部の雰囲気が心なしかふわふわしているのは男子部員ばかりだから仕方ないのだろうか。休憩中に山本先輩が一個も貰えなかったって他の2年生に揶揄われてたしやっぱりみんな少しはこの日を意識しているのかもしれない。

「あの、皆さん!えと、帰る前にちょっといいですか…」
「?」
「これ…チョコレート、です!」
「さすがマネージャー!!」

練習終わり、紙袋片手に言えば皆予想以上に喜んでくれて、カモフラ目的だったけど用意して良かったと思える。一人一人に手渡しすると、皆笑顔でお礼を言ってくれて私まで嬉しくなる。でも最後にクロ先輩に皆と少しだけ違う包みを渡す時は、やっぱり緊張で手が震えていた。

「さんきゅー」
「はい!お疲れ様です!」
「あれ?俺だけなんかちょっと違くね?」
「ク、クロ先輩は特別なので!主将ですし!」
「…ほんとは?」
「…最後の一個だけ、包みが足りなくなってしまいました…」
「ぶっ、くく…それもある意味特別だわな」
「す、すいません」
「いーや、全然。僕だけ特別にありがとうゴザイマス」

突っ込まれると思わなかったけど意外にすんなり出てきた嘘に安堵する。先輩も、気付いてなさそうだし。
やっぱりこれ以上頑張るのは私には無理そうだった。渡せただけで満足。卒業までのあと何日かを気まずい感じで終わらせるのなら、先輩後輩としてでも楽しくお話できた方がいいに決まってる。そう思っていたのに。

「あ、苗字、暗いから送るわ」
「ええ!?い、いいですよ、いつもこんなですし」
「チョコのお礼。ほら、俺ホワイトデーには卒業してるし。門のとこで待ってて」

クロ先輩はそう言って、着替えに行ってしまった。先輩の言葉を何度も頭の中で噛み砕いて、理解すると同時にチョコを渡した時みたいにバクバク心臓が鳴り出して落ち着かない。なんで。別に方向も同じじゃないし、今までだって一緒に帰ったことなんてなかったのに。

落ち着く間も無く、着替えて戻ってきた先輩を見て更にドキドキは加速する。

「お待たせ」
「い、いえ…!あ、の、孤爪先輩は?」
「研磨?真っ先に帰ったけど」
「あ、そうなんですね、」
「苗字今日挙動不審すぎじゃね?」
「ええ!?そ、んなことないです!」
「そ?」

ニヤリ、と笑ったクロ先輩はそのまま歩き出し、私はそれに慌てて付いていく。

「部員分のチョコ用意とかマネージャーも大変だな」
「そんなことないですよ?日頃の感謝の気持ちですので」
「ふーん。クラスの男子とかにもあげたりしてんの?」
「いやぁ、流石に用意してないです」
「本命は?」
「え?」
「本命はいねーの?」
「え、い、イナイデス…」
「わっかりやすいねぇ」

さっきから先輩はずっと笑ってて、表情だってきっといつものあのニヤニヤした笑みを貼り付けているんだろう。そう思うと私はなんだか居た堪れない。隣を見ることなんて勿論出来なくて、ローファーの先だけを見つめながら歩いた。

「せ、先輩は?チョコ貰えました?」
「苗字から貰いましたけど」
「違いますよ!その…本命の人、とか…」
「うーん…どうだろうな?」
「ええ…なんですかそれ」

知りたいような、知りたくないような質問の答え。何気ないフリして聞いてみたけど、実際はかなり勇気が必要だった。

「貰った…と言えば貰ったけど」

………終わった。聞かなきゃよかった、って思ってしまった。ていうか先輩、本命の人いたのかぁ。やっぱそうだよね。クロ先輩ぐらいの人、彼女がいないのが不思議なくらいだもん。それでも先輩の口からその事実を聞くのと聞かないのとじゃ全然違う。胸が締め付けられるような感覚になって、苦しい。

「そう、なんですね…」

元々告白するつもりだってなかったのに。チョコを渡せただけでも満足だったのに。今こうして一緒に帰れているだけでも奇跡みたいなことなのに。じわじわと涙がこみ上げてきて、溢れないように必死に地面を睨みつけた。

「苗字は本命にあげなくていーの?」
「…渡しましたよ」
「やっぱいるんじゃん」
「…本命って、言えなかったですけど」
「…勿体無ぇなあ」
「私は、渡せただけですごいことなんです」
「そういうもん?」
「振られるのこわいんで」

ぽつりぽつりと先輩と交わされる会話に、ポロリと溢れた涙が地面を濡らした。

「じゃあそんな苗字に提案なんだけど」
「…はい」
「俺にくれたやつを、本命にしない?」
「…え?」

反射的に顔を上げると、思っていたより近くにクロ先輩の顔があって、思わず立ち止まった。先輩はその高い位置にある腰を曲げて、覗き込んでくるように顔を寄せる。そのまま私の目元に溜まった涙を指で拭うと、大きな手のひらで頬を包み込んだ。

「…あの、先輩、え?」
「俺の本命、苗字なんですけど」
「…えっ!」
「苗字は?」
「わた…しも、先輩が本命、です」
「知ってる」
「えぇ…」

なんと、先輩にはお見通しだったのか。やっぱりにやりと笑う先輩は全部知ってて、ここまでの言動も、全部。頭の中で、今日チョコを渡したところからさっきまでのやりとりを思い出し顔に熱が集まる。だから、遅いって。

「…は、恥ずかしいです…」
「かーわい」
「…先輩ずるい」
「もう来年は他の奴にチョコあげないでね」
「…マネージャーとしても?」
「うん。名前ちゃんはもう俺のだし?」
「な、名前…」
「顔赤すぎじゃね?」
「先輩、分かっててやってますよね」

私のほっぺをむにむにと緩く摘みながら笑うクロ先輩が今までで一番カッコ良く見えるんだから、私はきっと一生先輩に敵わない。


20.02.16.

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