恋成就(1/7)

馬の駆けてくる音、男の人たちの荒々しい声。女の人たちが騒がしく駆けていく。
お父上がお戻りになられた。
障子の隙間からそっと覗く影が見える。戦が終わり、帰ってきた父と家臣たちの様子を弥三郎は遠くから見守っていた。
近づかないのにはわけがある。
それは疲れ果てて帰って来ただろう父たちに迷惑をかけまいとしたわけではなく、元より弥三郎に構われることがあまり好きでないと知っていたからだ。
色素の薄い顔。病がちな体。まるで女子のような趣味、嗜好。
長曾我部家の嫡男として生まれた弥三郎はその全てがふさわしくなかった。そんな弥三郎の様子から周囲には姫若子と揶揄する者たちまでいた。
父上に嫌われるのも仕方のないこと……。
弥三郎は己のことも父の気持ちも十分に理解していた。
戦から帰った父親の鎧は血に染まり、真っ赤だった。
「大殿様、お帰りなさいませ」
大将である父親の前に立ち、立ったまま恭しく頭を下げる女の人がいる。
母上だ。
弥三郎はじっと見た。
人払いがなされ、父と母は二人だけで部屋の中へと入る。
そっと障子を開け、部屋を出ると潜むように二人の入る部屋の隣の部屋に弥三郎は身を滑り込ませた。
「大変でござりましたね」
母親の声が聞こえる。
「ああ、だが当面は大丈夫そうだ。向こうも疲弊しただろう」
「あなた様がいる限り、土佐の国は大丈夫でござります」
「そうであればよいがな……毛利の奴め、あのような手を使いおって!」
急に聞こえた激しい父の声に弥三郎の肩がビクリと跳ねた。
大きい音は苦手だ。雷のように。
これもまた女々しいことだと弥三郎は己を恥じた。
「海を挟んでいるとは言え、毛利の奴は油断ならん」
〈毛利〉
弥三郎はその名前を胸のうちで繰り返した。
二人の会話の中で二度聞こえたその名が恐らくは今回の戦の相手であったのだろう。その名は以前から度々耳にしていた。海を挟んだ隣国の敵の名前だと。
子供である弥三郎にはあまりそういった国の事情や戦の情報は直接入ることがなかったがそれでもあちらこちらで耳にしたり、時折は聞き耳を立てて知っていた。
〈安芸の国の毛利〉
弥三郎の敬愛する父親が今もっとも脅威している相手だ。悔しそうな父の顔を見ると胸が苦しい。
「時に弥三郎はどうしておる」
突如出た自分の名に弥三郎が驚く。そして父の口から自分の名前が出てきただけでもそれはとても嬉しいことであった。
「ええ、今日もまた部屋に籠って……」
言葉を濁すように返す母。
「またか。あやつが国を引き継ぐとなれば我が長曾我部家も先行きが知れぬな……」
父親の言葉が胸を刺す。
いまだ刀を振るうのも覚束無い弥三郎に対して、それは当然の見立てであった。
「いいえ。あの子は優し過ぎるところはありますが決してひ弱というわけではありません。それに優しいとは人を思い行動できる者の証。守る者には必要な要素です。どうかあの子を信じてやってくださりませ」
懇願する母の言葉に胸を打たれる。
母だけはいつも弥三郎の味方だった。
「そなたは弥三郎に甘い」
困った様な父の声が聞こえる。
「あなた様が心配性なだけでござります」
「そうであれば良いがな……。しかし毛利の動きには今後も気をつけねば」
父と母が部屋を出そうな気配を感じ、弥三郎も隣の部屋から這い出た。音もなく廊下を渡り、自室へと帰る。
閉じ切っていた部屋の戸を開け、弥三郎は外の世界を睨んだ。

お父上、お父上、心配なさらないでください。
私はきっと強くなりましょう。
お母上が信じて下さるようにきっと強くなりましょう。
優しさを持ったまま、愛する者たちを守れる。そんな強い将になります。
そして……〈毛利〉を。
国を脅かすあの者たちの手からもこの国を立派に守ってみせましょう。

幼い目に熱が宿る。
弥三郎の両目は珍しい青色をしていた。
生まれ持った色素と同じく、何故こうして生まれたのかわからない。
この身なりを見て鬼子だ。奇形だと言う者もいる。
だが、それでも愛してくれる母のお陰で空のような海のようなその目を弥三郎が恥じたことは無い。
小さな拳が力強く握り締められる。
青い目が空を睨んだ。
意志を宿すその青き両目はいつまでも遠くの空を見つめていた。

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