赤い手の平

殺して欲しいと言うのがその男の口癖だった。


「なぁ、マルコ。俺、お前になら殺されてもいいよ。いや、お前に殺されたい。他の人間に殺されたり、不運に見舞われるぐらいならいっそお前に殺されてぇな、マルコ……」
噛み締める様に言葉を吐く、相手の頭が左肩にずっしりとした重みを生む。
「……バカなこと言うなよい」
もう何度目かになるその願いに、目を閉じてため息を吐いた。
「そうか?俺は結構本気なんだけどなぁ……」
笑うサッチ、けれど笑い返してはやれなくて。
「お前は殺しても死にそうにはねぇよい」
「ひでぇなぁ」
代わりに泣きたくなった顔を同じように相手の肩に埋め、隠した。

サッチが死ぬだなんて、殺されるだなんて、そんなこと考えたくもない。

第一、そう簡単に死ぬような男ではない。
だからサッチの言うことなんて性質の悪い戯言なのだ。
けれどいつものように受け流したその戯言は、ただの戯言では終わらなかった。
胸を裂くような現実が迫りつつあることをまだ誰も知らない。



赤く染まる甲板。
血溜まりの中に浮く黒影。
夕闇の中、視界に映ったその影は、初めは何の影なのかよくわからなくて。
気付いた時には心臓が潰されるような思いがした。
「サッチ……!」
慌てて駆け寄った先には最愛の人が冷たい床板の上に伏せていた。
「サッチ、サッチぃ……!」
倒れた体に触れると幸いまだ熱があった。
血に汚れた口はそれでもまだ息を吐き、心臓もゆっくりとだが動いている。
「サッチ、今、船医を……!」
もしかしたら助けられるかもしれない。
血に塗れたサッチの目は焦点が合っておらず、息も絶え絶えで今にも死んでしまいそうであったが息がある限りまだ望みはある。
ここが人気の無い場所でなかったなら、今が風の吹き荒れる悪天候でなかったなら、張り上げる声は誰かに届いたかもしれないのに、いくら叫んでも誰も現れてはくれない。
こんな状態のサッチを置いていくのは心苦しいが時は一刻を争う。
サッチの血を吸い、いつの間にか同じように赤くなったマルコの体。
震える指先からぽたりと血の雫が落ちる。
「ちょっと待ってくれよい、サッチ、今……」
抱き上げかけたサッチの体を床へと戻し、船医を呼ぶためにその場を離れようとマルコが立ちあがる。
けれどサッチに背を向けて踏み出そうとしたその足は何かに遮られた。
「サッチ……!」
マルコの足首をサッチの手が捉える。
その手は床に広がるサッチ自身の血液で赤く汚れており、マルコの白い足もやはり赤くなった。
サッチの意識が戻ったことにマルコは束の間安堵するがマルコの足を掴むサッチはやはり苦しそうだ。
「サッチ、すぐ戻ってくるから……」
だから離してくれ。
マルコは願うがサッチは離さない、それどころか傷ついた体のどこからそんな力が生まれるのだろうか、捕らえたマルコの足を引き、マルコの体を自分の方へ引き寄せた。
「サッチ、無理するなよい。血が……」
今やマルコは泣きそうで、けれどサッチは離さなかった。
哀しそうに歪む蒼色の目を焦点のぼけた翠色の目が見つめる。
その口が咳き込みながら音を漏らした。

「マルコ……殺して……」

微かなその声は、だけれどしっかりとマルコの耳に届いた。
蒼い眼が零れ落ちんばかりに視界を開く。
「サッ、チ……?」
言われた言葉が理解できなくて、否理解しようとしない頭はぐるぐると巡る。
呆然とその場に佇むマルコにサッチは苦しげな口をもう一度開いた。
「マルコ、俺にトドメ刺して」
ぼやけた翠色の目がやんわりと笑う。
マルコの首がゆっくりと左右に振られた。
唇が音も無く、嫌だと呟いた。
金色の睫毛が濡れていく。
蒼い目は泣いていた。
それを見つめる翠色も少しだけ哀しそうだった。
「ごめんな、でも俺、もう生きれそうにないから……だからマルコ、お願い」

“お前のその手で俺を殺して”

サッチの願いは残酷で、けれど愛情があった。
どうせ死んでしまうのなら、最期は最愛の人の手で見送られたい。
強張っていたマルコの体から力が抜け、ひざまずく。
その手がサッチの腰の辺りを探り、いつも身に着けていた短刀を手に取った。
その刀身にマルコは優しく口づける。
「ありがとう、マルコ」
微笑むサッチの胸に刃が振り下ろされた。



「おい、マルコ何やって……おい、それサッチか?何があった、何があったんだ!マルコ!!」
雲が晴れ、轟音が止んだ。
嘘のように晴れ渡った空の下に人々が顔を出す。
マルコたちのいる人気の無かった場所にもまた新たな人影が姿を現した。
数少なかった人影は事態を知り、やがて群れを成す。
「大変だ!サッチが死んでるぞ!」
「誰がやった!?この刺し傷は人の手じゃねぇと出来ないぞ!」
「誰がこんなことを……」
「マルコ、お前何か知らないのか!?」
「おい、サッチの持ってた悪魔の実がなくなってるぞ!」
「サッチ……そんな……」
「ティーチだ!ティーチの姿が見えねぇぞ!」
「まさか……!まだ探してない部屋はないのか!?」
「いや、どこにも見当たらねぇ……!」

ざわめく人の声がうるさい。
静かに寝かせてやりたいのに切羽詰る人の声は俺やサッチを放って置いてはくれなかった。
サッチが死んで、哀しいのはわかる。
だって俺も哀しいのだから。
心臓を切り取られたような痛みが胸の中に蹲る。
サッチにトドメを刺した後、ただ静かに流れ落ちた涙を止める術もなく、今もまだ泣き続けている。
止まらない涙はサッチの唇についた血をほんの少し落とした。
「マルコ、もう離してやっても……」
サッチを抱えたままの自分の肩を誰かが叩く。
しかしゆっくりと首を振った。
まだ。
まだサッチの魂はここから離れていないかもしれない。
最期まで見送ると決めたのだ。
だから、もう少しだけ。


「やっぱり犯人はティーチなのか?信じられん……」
「だけどどこを探してもあいつの姿だけねぇんだ」
「ティーチどうして……!」
繰り返される人の声の中に一人の人物の名が連呼される。
ティーチ……
そうか、あいつがサッチを刺したのか。
「サッチを殺してまであの実が欲しかったのかよ、ティーチの野郎!」

違う。
ティーチじゃない。

サッチの体を抱く手に残るサッチを殺した時の感触。
あの時握り締めたサッチの短刀はまっすぐにサッチの心臓の上に落ちた。
刀特有の深く肉を切り裂く、あの感覚。
厚い胸板を通して鼓動するサッチの中心に辿り着いた刃は大量の血と共にサッチの命を奪った。
刃を振り下ろす時のサッチの顔が脳にこびり付いている。
とても嬉しそうで、幸せな、顔。
サッチはティーチに殺されたんじゃない。
愛する俺の、この手で、逝ったのだ。
俺がサッチを見送った。

でもこれは誰にも言えない真実。
ティーチがサッチを殺そうとしたこともまた真実で。
サッチが俺に殺されたいと願ったことも真実だがそれを知れば新たな火種を生むだろう。
それはサッチの本意では無いし、もちろん俺の本意でもない。
俺が口を噤めばいいだけのこと。
けれど、言ってしまいたい。
サッチは親友に裏切られ、ただ死んで逝ったのではないと。
愛する者の手に見送られたのだと。

誰かに叫んでしまいたい。



「俺がけじめをつける!」
「おい待て!戻れ!エース!」
弟がサッチの無念を晴らすため、海へ出た。
引き留めることの叶わなかった手が何もない空を掴む。
悔しそうな弟の顔に出かかった言葉はやはり喉奥に仕舞い込まれた。

だから違うんだ、エース。
サッチの無念なんて無い。

サッチは俺に殺され、笑みを浮かべて死んで逝ったのだから。
きっとあいつはティーチのことを恨んでもいないだろう。
馬鹿みたいに人のいい奴だったから。
もしあいつに殺されていたのならそれは恨んでいたかもしれないが、でもサッチは望み通り、愛する俺の手で死を迎えた。
だからお前が怒ることなんて無いんだ。
オヤジの顔には泥を塗ったかもしれないが、サッチは、サッチは幸せだった。
だってこの俺の手に掛かって死んだのだから。

胸の中に哀しみ以外の感情が顔を覗かせる。
震えるようなこの感情はサッチを殺してしまった恐怖だろうか。
いや、違う。
言うなればこれは歓喜だ。
だってどんな形であれ、サッチの最期を手に入れられたのだから。
でも、けれど、やはりあの時助けを呼んでいればサッチは助かったのではないだろうか?
それを想像すると冷たい物が胸を這う。
この胸の葛藤はいつまでも消えそうにない。
海に漂う波の様にゆらゆらと、きっと一生俺の心を揺らし続けるだろう。

それでも。

“ありがとう”と言った最期のサッチは天使の様に輝いていた。

だからあの時の決断は間違ってはいない。

愛する人のために、愛する人の血で濡れたこの手は、

きっと俺の宝物。

夕焼けに染まる手は血の様に赤くなる。
あの空の向こうにサッチの魂はある。
蒼い目は微笑み、自らの両手にキスを贈った。



(愛する人の手に掛かって死にたい

自らの心を全て奪った相手だからこそこの心臓もやれる

愛する人に殺されるからこそ抗うことなくこの世から離れられる

綺麗なその手を汚すのは惜しいけれど、自分で汚れてくれるならそれもまたいい

泣いてもいいよ、忘れないで

その手に、心に、俺の存在を刻んで欲しい

置いて逝くお前の幸せを願っているよ

でも忘れないで

胸の片隅でいい

俺を殺した瞬間をその手に刻んだ様に、お前の胸の中にずうっと俺を居させて

愛するお前の中に、愛した俺を、ずっと、ずっと……)



サッチがヤンデレのような気がしないでもない…
死ぬ時に一人で逝ったのではなかったら、さらにはマルコの手で逝けたのならそれは幸せなことでもあるんじゃないかなぁと思ったわけです。
フォロワさんのサッチはマルコの手で逝くことでマルコの心を持って行きたかったんじゃないかという話を聞いてさらに悶えたのでラストにサッチの心情も加えてしまった…


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