[8. 見えない心]

ここに滞在し始めて丸三日が経とうとしていた。
その間、あの女の元へと行く気にもならず、ただ過ぎる時間を感じていた。
名無しとは同じ部屋だが、障子で仕切られておりあまり顔を合わす事は無い。

あれ以来、ずっと名無しの言葉が心に引っ掛かり残ったまま。
自分が出した答えを名無しは気付いている。
名無しがどれだけ千手に歩み寄ろうとしていても、自分はそれを否定する。
だから、ああ言ったのだろう。
自分達が相容れる事など無い、その言葉を自分自身に言い聞かせている様にも感じた。

(…あいつはうちは一族だ。居なくなればその時はまた元通りに戻るだけの事)

読んでいた書物を片し、布団へと入る。
まだ、起きているのだろうか。
ぼんやりと灯の光が障子越しに見える。
明日は準備が出来次第、明朝にここを発つ。
既に日付が変わってもう随分と時間が経っている。
しかし、部屋の灯りはまだ消える様子は無く、ただぼんやりと揺らめいていた。

寝過ごされて迷惑を掛けられるのは御免だ。
そう思い仕方なく声を掛けたが返事は返って来ず、相変わらずの静けさが部屋を包む。
溜息を吐き「開けるぞ」と一言声を掛けてからゆっくりと障子を開ければ、布団に入らず窓辺に突っ伏したまま眠っている名無しの姿が目に入る。

(寝てたのか…)

用意されていた寝巻に袖を通し、いつも結っている髪を解いていたという事は寝るつもりはあったのだろうが、いつの間にかここで眠ってしまったらしい。
窓を開けたまま眠っていたからか自分の居た場所とは違い、冷たい空気が部屋の中を包み込んでいた。
起こそうと声を掛けながら軽く頬を叩けば、案の定身体はひんやりと冷え切っており、長い時間この場所で眠っていた事が分かる。

「…何だ?」

未だ、突っ伏したまま不思議そうに視線だけをこちらに向ける名無しの瞳にそう返せば「あの娘のところに行かないのか?」と言われた。
名無しにしてみればただ、疑問に思った事を口にしただけなのだろうが、何故だか良い気分はしなかった。
そんな自分の様子には全く気付いていないのか、そのまま立ち上がり布団へと向かう名無しの姿をじっと見つめる。
さすがにその視線には気付いたのか、怪訝そうな顔で見つめ返される。
無言のまま名無しに近付けば、何かを感じ取ったのか名無しの回りの空気が少しだけ変わった。

「それ以上、私に近付くな」

はっきりとした拒絶。
久しぶりに見るあの冷たい視線に思わず息を呑む。
それでも歩を止める事は無く、そのまま壁際まで名無しを追いやる。

お互い視線を逸らす訳でもなく、ただ見つめ合う。
こんな風に近くで顔を見たり髪を解いた姿を見るのも随分と久しぶりだなとぼんやりと考えていたら、名無しの手が素早く動いた事に気付く。
顔に当たる寸前で避ければ、名無しの口から小さく舌打ちが聞こえた。
その隙に空振りした手首を掴み、壁に押し付ける様にして押さえ込む。
そのまま寝巻の隙間から覗く胸元に噛み付けば、少しだけ名無しの顔が歪んだ。

「…何のつもりだ?」

「噛めば少しぐらい表情が変わるかと思ったが…。思っていた程の効果はなかった様だな」

そう言えば、また強く睨み返される。
その瞳が心地良いと感じる自分は、どうやら少し変になっているらしい。
そのまま手首を引っ張り、敷いてあった布団に無理矢理押し倒し馬乗りの形になる。
自分のその行動に対してそこまで驚いたり動揺しないところを見る限り、やはりこういう事に関しての無頓着さが見て取れる。
その根本的な原因を作ったのが自分だと思うと、また少し違う感情が心の中に現れた。

「…夜伽を望むのなら、あの娘のところに行け。相手もお前の事を慕っているようだし、お前だって好きでもない女より、自分を慕う者を抱く方がいいだろ」

「………」

相変わらずの顔で、相変わらずの事を言うものだから、どうしてもその顔を変えたくて、名無しにとって一番効果的であろう言葉を耳元で呟く。

「イズナを重ねて見ていればいい」

そう呟けば案の定、瞬時に変わる表情に少しだけ笑いが漏れる。
まさか、知られているとは思ってもいなかったのだろう。
瞳は揺れ、自分が望んだ通りの表情になった。
何かを言いたげに薄っすらと開かれた口を塞げば、それと同時に瞳も強く閉じられる。

それからはあっという間だった。
閉じられた瞳の端に涙が滲んでいる事に気付いていながらも、一方的に名無しを抱いた。
時折、薄っすらと開かれる瞳は酷く悲しそうで、素直に綺麗だと思った。
感じるもの全てがあの女のものとは比べ物にならない程に自身を惹きつけ、狂わせる。
それはまるで、毒が身体中を侵食していく様な感覚に似ていた。

***

最初から抵抗する気など無かったのか、素直に抱かれたなというのが正直な感想だった。
ただ、ずっと顔を背けながら瞳を閉じ、ほとんどこちらを見ようとはしなかった。
どうしてかなんて考えなくても分かる。
死者を想いながら好きでもない男に無理矢理に抱かれて何とも思わない女なんていない。

ゆっくりと身体を名無しの方へと向け、眠っている後姿を見つめる。
自分の身体とは違う細い背中や首、肩。
筋肉は付いているが、それでも細い事には変わらない。
その姿を見ていたら「女にはもっと優しくしてやらねば」という兄者の言葉を思い出した。
そして、優しいとは言い難い自分の行動に苦笑を浮かべる。

どうして、あの時イズナの名前を出してしまったのか。
冷静になって考えれば、随分と酷い事をしたなと自分の言葉に少しだけ後悔する。
その名前を出せば名無しが傷付く事ぐらい分かっていた筈なのに、それでも止められなかった。
名無しのいつもとは違う顔を見たかった。
ただ、それだけだった。

「私のそんな顔を見たところで何の意味もないだろ。私はあの娘とは違うし、普通の女でもない。…それに、お前は何も変わらない」

名無しがどうして、そんな事を言ったのかぐらい自分自身が一番良く分かっている。
うちはの自分が何をしようとも、千手のお前はそれを本当に見ようとはしない。
だから、何をしても意味がない。
分かっていた。
自分は変わる事が出来ない。
だから、こんな風にしか名無しを抱く事が出来ないし、傷付けてあんな表情しか見られない。
笑った顔など、最初から見られる筈なんて無かった。

(最低だな)

自分の事なのにまるで他人事の様に感じる。
例え傷付けてしまったとしても、いつかは居なくなる。
そんな不確定な未来に小さな逃げ道を見出す。
そう思ったら少しだけ気持ちが落ち着いた。

***

あれから扉間とは今日の予定について一言二言話したきりで、それ以外は話していない。
特に話し掛けられもしないし、こちらから話す様な事もないから。
別に昨夜の事を咎めようとも思わないし、それをわざわざ思い出す必要もない。
お互い用事があれば話すだけ。
それ以外は普段となんら変わらない。

「二人とも、今回は本当にありがとうございました。お陰で式も無事に終わり、こうやって滞りなく帰路に着く事が出来ました」

そんな事をぼんやりと考えていたら、そう話しながら頭を下げるミトさんに慌てて頭を上げる様に頼む。
自分は何もしていないし、逆にミトさんの計らいで外に連れ出して貰った身。
うちはである自分を信じてくれて、こんなにも良くして貰っている。
お礼を言わなければいけないのはむしろ自分の方だ。

「私の方こそ色々と良くして頂き、本当にありがとうございました」

「ふふ、良いのよ。今度はあの方も誘い一緒に街にでも行きましょう。きっと喜ぶわ」

そう言ってくれるミトさんの言葉に少し困った様に笑えば、その心意を汲み取ってくれたのか「大丈夫よ」といつもの優しい笑顔で言ってくれた。
それから他愛のない話をしていたら時間はあっという間に過ぎ、気付けばあと少し歩けば千手の屋敷に着く程の距離まで来ていた。

その時だった。
ここからそう遠くない場所に決して忘れる事の出来ない強いチャクラを感じたのは。

「!?」

扉間も同じ様にそのチャクラを感じ取ったのか、瞬時に険しい表情へと変わる。
無意識に自分の服を握る手には薄っすらと汗が滲んでおり、自分でも緊張している事が分かる。

今この場には忍である自分と扉間以外にミトさんが居る。
万が一戦闘になった場合、真っ先に被害を受ける可能性が高いのはミトさんだ。
それだけはどうしても避けたかった。
扉間にすぐチャクラを消す様に言えば、事の重大さが分かっているのかすぐにその言葉に従った。
しかし、時既に遅しか、目の前に一陣の風塵が舞い上がった後、そこには見知った姿があった。

「マダラ…」

目の前で不敵に笑う彼の顔は相変わらず変わらなくて、それが妙に懐かしくさえ感じた。

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