30万打記念企画 | ナノ

「ほえー、やっぱイケメンと美人は惹かれ合う運命なんすね。世界のシンリっス」
「ぶはっ」

おまえそれ、世界の真理って言いてぇだけだろぃ!なんて笑い飛ばした中学3年生の秋。俺と同じクラス、女子の中で仲のいい名字と、我らが神の子幸村くんが付き合い始めたという報告を受けた俺と赤也のくだらない会話である。



名字が仁王のことを好きなのは学年全員が知っていた。名字のアピールは毎日よく飽きねぇなってくらいにすごかったし、でもそれが鬱陶しく感じないのはあいつがまぁ学年上位に食い込むくらい可愛い顔をしていたのと、よく笑う垢抜けた性格と、決して踏み入れてはいけない一線っていうものをちゃんと理解していたからだと思う。とにかく、名字は仁王のことが好きだった。けれど、その事実に隠れて、仁王も名字を好きだったということは、実はあまり知られていない。

あの仁王がマメに連絡をとっていたし、ふとした瞬間、いやに優しい仁王の目線の先にはいつも名字がいて、それに気が付いた名字が本当に嬉しそうに手をふり返すのが見慣れた光景になっていた。正直お似合いだったと思う。名字はあんなんだけどにこにこ明るくて可愛いし、仁王もそこそこイケメンだし。だからこそ俺は仁王についてどんなにくだらないことでもいちいち相談して来た名字をそれでも応援してやって、名字はいい奴だと、割と本心を仁王に説いたりもした。その度にふたりの距離は縮まり、聞けばふたりだけで遊びに行ったりもしたらしい。ある日なんとなしに言ってみた名字って可愛いよなとの言葉に、知っとる、と、ぶっきらぼうに、しかし噛みしめるように答えた仁王の横顔に、俺はその言葉の真意を確信したのだ。

事件は起こる。中学2年生、全国大会が終わった次の週、地元で開催された大きな夏祭り。全国大会の打ち上げも兼ねて新レギュラー陣で繰り出した、蒸し暑い、それでも雲ひとつない夜のこと。 名字が一世一代の告白をし、そしてフラれたのである。

俺は名字から仁王のことが好きすぎてうっかり告白しちゃいそうで怖いだなんだと惚気じみた相談を以前から受けており、俺自身絶対にオッケーもらえるから早く告白しろと急かしていた。夏祭りは告白の絶好のチャンスである。わたしもそう思うと何度も頷く名字をがんばれお前ならいける仁王なんて浴衣でイチコロだぜぃと励ましたし、当日にいいから名字のとこに行って来いと仁王のケツを蹴ったのも俺である。今思い出しても俺は実に甲斐甲斐しくふたりの関係を取り持ってやっていた。「ちょっと名字に会ってくるナリ」と意を決した表情で輪を抜けた仁王に、あぁやっとあのふたりがくっつくのだなと、俺たちテニス部員はその背中を生暖かい笑顔で送り出したのだ。あぁ見えて俺たちと騒ぐことが大好きな仁王がみんなで約束した夏祭りを抜け出してまで名字に会いに行ったのだ、ふたりが両想いだったことに間違いはないだろう。なかったはずなのだ。

打ち上げられる花火ももう残り少なくなったころ、俺たちの輪に再び合流した仁王の態度はあからさまにおかしかった。無表情で無感動なことを表情に表しつつも、寂しそうというか泣きそうというかなんというか、とりあえずなんか落ち込んでねぇか、と心配になるくらいにはどこか遣る瀬無い態度だった。え、おまえ告白されに行ったんだろ?だよな、でも告白されたらこう、もっとさ、舞い上がるもんじゃねぇの?告白って相手が誰であれ嬉しいだろ?なにより相手は名字だぜ、両想いじゃん、絶対両想いじゃん、オッケーしたんじゃねぇの、え、告白されたんだろぃ?まさかこの人ごみで名字に会えなかったとか?と思ったが、住み慣れた地元、なにより仁王が名字を見つけられないはずがない。なにがあったのか、どうしてそんなに元気がないのか。困惑する俺たちをよそに仁王は左手をぼんやりと見つめながら、「名字とはこれからもずっと友だちじゃき」と、ぽつり、呟いた。……はい?

なんでフったんだよ、という抗議もできないくらいその報告は衝撃的で、そんな仁王に林檎飴を差し出す幸村くんと、ノートにがりがりとペンを走らせる柳以外はびしりと固まって動けなくなってしまった。いや、真田は終始はてな顔だったけど。

仁王が名字をフったという噂は夏休み明けの学校で瞬く間に広がった。噂を広めた犯人は誰なのだろう、と言っても、その事実を知っているのは俺たちテニス部員と、名字の友だちくらいなものだ。けれど花火大会の後にやけ食いに付き合えと半ば強制的に召喚された事後報告会で(ケーキバイキングだったから飛びつくくらい嬉しかったけど)名字はフラれたことはまだ俺にしか報告してないと言っていた。となればつまり、花火大会当日、あの場にいたテニス部員の中に真犯人がいるのだ。真田はそもそも以前からのふたりの関係を知らないし、ジャッカルはそんなことをするやつじゃねぇ。ヒロシは落ち込む仁王をどうにか元気づけようと気を配っていたから可能性は低い。柳もデータが云々言ってそうだがそれを悪意には使わないだろうしまぁ違うだろ、たぶん、なんて順々にテニス部員たちを思い浮かべて、最後のひとり、幸村くん。―――…ア。



「名字、日本史の教科書貸してくんしゃい」
「…わたし仁王の教科書係じゃないんだけどなぁ」

名字はフラれたからといって距離を置くようなやつではないらしく、仁王の言葉通り2学期からも友だちとしてむしろ以前より仲良くなっていた。告白した事実があったのかすら怪しいくらいのその様子に、傍から見守っていたこちら側が戸惑うほどにはふたりは何事もなかったかのように振る舞っていたのだ。一度だけ名字におまえ平気なのかよぃと聞いたことがあるが、仁王と話せなくなるほうが嫌だし、と少しだけ辛そうな顔で笑って、何回告白してもたぶん仁王とは付き合えないと思うんだよね、となにかを悟ったような表情をした。思えばこの時からすでに幸村くんとなにかあったのかもしれないけれど、さすがにこれ以上は聞けなくて話はうやむやのままに終わってしまった。要するに、ふたりの関係はよく分からない、これに尽きる。

幸村くんと名字は喧嘩という概念すら存在しないくらい仲がいい。一緒にお昼ごはんを食べたとかささやかな出来事さえも幸村くんの機嫌を良くするには有り余るほど十分で、今日もなにかいいことがあったのだろう、幸村くんはにこにこと幸せそうに笑っている。基本的に幸村くんが笑ってるならこちらも嬉しい俺たちテニス部連中もつまり幸せな毎日を送れている。

「そもそも教科書ちゃんと持ってるの?」
「探せばどっかにあるナリ」
「…もぉ、いいけど変な落書きはしないでよ」
「プリッ」

高校にあがり名字とはクラスが別になった。それでもすれ違えば立ち話をするし、教科書の貸し借りもするくらいには仲がいい。今更夏祭りの日を掘り返すわけじゃあないけれど、だからといって解決しているわけではないことを覚えておいてほしい。教科書くらい他の奴にでも借りれるのに、仁王はこうして必ず名字のもとを訪れる。それを毎回苦笑いで迎え入れる名字はやっぱり可愛いと思うし、その度に幸村くんとお揃いのブレスレットが目に留まるけれど、仁王は、なんとも思わないのだろうか。朝練の後、教室までの廊下で名字と会ってあいさつを交わせば仁王の丸まった背中もいくらか伸びる気がするのは、きっと俺の勘違いではないはずなのだ。だって仁王の視線の先には今でも名字がいることを、俺は知っているから。…それに。

「仁王、おまえさぁ」
「ん?」
「……あー、やっぱなんでもねぇ」
「なん、気になるのぅ」

…それに俺は、「ずっと友だちじゃき」の言葉に大きく頷いた幸村くんのいやに嬉しそうな顔を、今でも忘れられないでいるのだ。


×