30万打記念企画 | ナノ

 trick or blood!

日が暮れるのもずっと早くなった、まだ冬とも言えない夜のこと。明るく照らす丸い月の下、かぼちゃのランタンとお菓子を片手に可愛らしい者からおぞましい者まで、たくさんのおばけたちが街を練り歩く特別な日。その中に何匹かの本物が混じっていることはここだけの秘密として、年に一度のこの日を、わたしたちがそうやすやすと見過ごすなどあるわけがない。

やっすいラブホテルのやっすいベッドの上で、黄瀬くんにオススメされたらしいワックスをつけ、柔らかい由孝の髪の毛をオールバックにセットしてやる。ワックスらしいいい香りがふんわりと鼻をくすぐって、なるほど、イケメンはこうやってつくられるらしいとあのきらきらした笑顔をぼんやり思い出す。強引に扱うと何度か痛い痛いと騒がれたが、聞こえないふりをしてお化粧道具に手をのばした。すっぴんの肌より色の白いファンデーションを塗り、目の周りに暗めのシャドウをいれ、アイラインを一本目の端まで描く。最後に適当に血のりをつければそのなかなかの完成度に可愛いおでこをデコピンしてやった。

「すごいよ由孝、男爵そっくり!」

オールバックに血濡れた顔、元から生気のない由孝の目と我ながらの上出来なメイクがいい感じに相まって、仮装と言えどまるで本物の吸血鬼のように見える。…本物のとは言い得て妙だけれど、一応人間として生活をしている手前、これは立派な仮装なのだから、どこかむず痒い気はするけれど言い間違えではないだろう。当の由孝はこれ以上ない褒め言葉を全身で噛みしめており、鏡の前で黒いマントを翻してみせる様は新しいおもちゃを買ってもらった子どものようで可愛らしい。写真を撮ってくれとせがむものだから、自分の準備もそこそこにスマホの連写機能で似たような写真を何枚も撮ってあげた。由孝は細いくせに背が高いからワイシャツとズボンというシンプルな格好も様になるし、なびくマントもわりとかっこいいと思う。

「明日が土曜日でよかったよね」
「…ていうかおまえはいいの?やけに気合入ってるけどさ」
「なにが?」
「なにがって笠松のことしかないだろ」

お母さんから譲り受けたAラインが可愛いミニドレスに着替えながら、後ろからかかる由孝の質問に首を傾げる。着替えてるんだから向こう向いててよと言おうと思ったけれど、相手が由孝ならそう恥じることもないかと思ってしまえるくらいにはわたしたちは仲がいい。例え互いの全裸を見たとしてもそういう不純な感情が芽生えることなど万が一にもあり得ないから、こうした男女の空間も思うことなく共有できている。着替え終え一回転すれば膝より上のスカートがくるりと綺麗に揺れて、それを見た由孝からの拍手が嬉しくて笑いながら化粧に取りかかった。

「わたし今ね、泣く泣く笠松先輩断ちしてるの」
「なんで?」
「調子乗って3日に1回血をもらってたら、こないだ笠松先輩倒れちゃって」
「あぁこないだの貧血…ってやっぱりなまえのせいだったのか!」
「せいって言わないでよ、そりゃわたしが悪いんだけどさぁ」

わたしは由孝よりも吸血鬼の血が濃いから、本当は毎日だって人の生き血が飲みたくてうずうずしている。それでも3日に1回と自制していたのは、他でもない笠松先輩がこの時季に風邪なんて引いたら大変だし、わたしのせいで体調を壊すのは申し訳ないと思ったから。だからこそ笠松先輩が貧血で倒れたと聞いてわたしは地球が滅亡したかのような衝撃を受け、もうこれ以上頻繁に笠松先輩の血をもらってはだめだと固く決心したのだ。笠松先輩はわたしに血を与えてくれるけれど、わたしが笠松先輩になにかあげられているかと言えば、悲しいけれど答えはなにもない。ただでさえ貴重な血をもらっているのだから、それ以上に迷惑をかけたくない。ならば、他の人間の血で我慢をするしかないだろう。

「最優先は笠松先輩だからね、わたしだって我慢くらいできるよ」
「…我慢できないから他人のを飲むんだろ?」
「だって飲まなきゃ死んじゃうもん!」

今回わたしはこのハロウィン行列にうまいこと紛れ込んで、数日分の血をストックしてやろうという魂胆のもとやって来た。いまやコスプレをしてイベント感覚でハロウィンを楽しむ人で溢れ返っているのだ、木を隠すなら森の中、取り分け人口の多い東京、その中に入り込むのはいとも容易い。夜を縄張りとするおばけたちにとってこれほど好都合なイベントもそうそうない。例年は浴びるほど血を飲むために参加していたけれど、今年は笠松先輩という存在がいるため血は飲めどもちろんその後の快楽には決して手を出さないと決めている。あんなに優しい人を裏切るなんてできるはずもないから。

準備は万全、お腹はほどよくすいている。

「変なやつにはついていくなよ」
「由孝もね」

3時間後に再びこのホテルに集合する。その時に由孝が帰って来なかったら、まぁ、つまりはそういうこと。ただ、由孝はナンパが絶望的にへたくそだから、手ぶらですごすごと帰って来る可能性の方が圧倒的に高い。仮装の準備のためだけに値段だけで決めた安いラブホテルを出る。幸いにも天気に恵まれた今日は夜風も吹き荒れず、雲ひとつない夜空には大きな大きな月がわたしたちを見下ろして笑っていた。

「おなかすいたなぁ…」

わたしたちが生来人の生き血を食料とする本物の吸血鬼だとはいざ知らず、快楽と引き換えにその血を差し出す可愛い人間は、さて、何人いるだろうか。

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