短め | ナノ

先日、隣村に住む女の子と輿入れをした。俺よりも3歳年下のその子は素朴な顔つきに慎ましやかな笑顔を浮かべる大人しい子で、田舎の村の一人娘をそのまま体現したように純粋で清らかな性格をしていた。控えめに俺の名前を呼ぶ声があまりにもか弱くて、これからは俺がこの子を守ってあげないといけないのだと、緊張からか強ばった笑みを浮かべた彼女を前に漠然と、けれど確かにそう思ったのだ。

「わたし、団蔵が輿入れしたなんて知らなかった。どうして言ってくれなかったの、きり丸が教えてくれなきゃわたし一生知らなかったかもなんだからね?」

春の穏やかな日差しが降り注ぐ村はずれの団子屋で、学園を卒業して以来の再会に心躍らせる暇もなく告げられた言葉に息が詰まった。どう返せばいいのか分からず言葉を濁せば、隣に座るなまえが団子を頬張りながら面白くなさ気に目を細める。その反応に苦笑いしか返せなくてまだまだあついお茶をすすって誤魔化した。第一声がそれだなんて俺もほとほと報われない。今日は長い間会えなかった分のつのる話をするものだとばかり思っていたし、なまえには縁組みのことさえも故意に教えないつもりでいたからいきなりの地雷は余計に困ってしまう。教えなかった理由は至極自分勝手なもののため、ここできり丸を責めるのは筋違いだろう。けれど、どういう流れで俺のこの話題になったのだろう、本当は、出来ることなら言わないでいてほしかった。

「それにしても団蔵がねぇ、土井先生でさえまだなのに」
「まぁ、」
「そっかぁ…、そろそろわたしも考えないといけないかなぁ」
「…噂には聞いてる、なまえ、すげぇ活躍してんだろ?」
「ふふ、これでも城の稼ぎ頭だからねぇ」

そんな話なんて聞きたくなくて無理矢理に話を逸らしたら、きっと俺の考えすらも簡単に見透かしているのだろうなまえがまたしても苦く笑ってみせた。あぁ、今日はまだ苦笑いしか見れていないなぁ。こんなに近くに座っているのに、どうしてこうも遠く感じるのだろう。いつだってにこにこと笑っているなまえが好きだった。くだらないことで腹を抱えるくらい笑って、じんわりと涙を溜めるから、それを笑いすぎだと親指で拭ってやって、距離が近づいたのをいいことに抱きしめる。空にまで伸びる笑い声に、敏感な兵太夫がうるさいと言ってそれを理由に俺は毎度からくりの餌食になってしまっていたけれど、それでもなまえの笑った顔が好きだった。笑顔の絶えないなまえが好きだ。なまえが笑うだけで幸せな気持ちになれる、なまえが笑っているならそれだけでいい。だってなまえの幸せが俺の幸せだからと、胸を張って言うことが出来るのに。

いつだったか、町で見つけた綺麗な簪を柄にもなく贈ったことがあった。なにかの記念日でもなく、誕生日でもなく、進級祝いでもなく、本当にただ、町で簪を見かけて、引き寄せられるままに買ったそれを、なまえはひどく喜んでくれた。俺からのものは理由もなく嬉しいのだと言って笑う顔が脳裏をよぎる。橙色のそれを髪の毛につけて破顔してみせた昔の記憶に、言い切れない罪悪感と後悔とが押し寄せてはそのたびに俺を責め立てるのだ。だって俺はまだ、なまえのことが、

「なぁ、俺さ、やっぱり 」
「  …それは、言わない約束でしょう」

詰まる所俺はまだこいつに未練たらたらなわけであって、出来ることなら、…出来ることなら、今すぐ輿入れなんてものを取りやめにして婚約云々取り消して、なまえと、ただただ幸せな人生を歩んでいきたいんだ。この小さな手を握って村とは反対方向に走って逃げれば、ずっとふたりきりでいられる気がするんだ。裕福じゃなくたっていい、お金がなくたっていい。毎日笑って、飽きるくらい笑って、どんな時も隣にいて手を繋いで、目を見合わせて笑って、子どもに恵まれて、家族が増える喜びを知って、笑い声の尽きない空間でなまえとずっと一緒に過ごすんだ。じいさんになってもばあさんになっても、馬鹿みたいに笑って暮らす。そうして最期は、やっぱりお前の隣で息絶えたい。

けれど将来、なまえが他の男の間に幸せを見付けてしまったら?いつしか俺と過ごした時間の思い出は薄れて行って、目の前の男との思い出のほうが色濃く色褪せないものになってしまったら?果たして俺は、素直になまえの幸せを祝福することが出来るだろうか。なまえを俺の手で幸せにしてやりたい、俺がいるからこそ幸せなんだと思ってもらいたい。なまえの幸せを願う反面、同時に言い知れないどす黒い気持ちに支配されてしまうくらいには、結局俺はどうしようもない奴だった。

俺になまえを幸せにする権利はなくなってしまった、いつかこんな日が来ることは覚悟していた。俺だって大人になったんだ、いつまでもあの日のままでいられるわけがないと分かっている。なまえとの時間は大切な青春として、大切な人として、思い出に変えなければならないんだ。俺はまだおまえの幸せを素直に喜べない。俺以外の奴の隣で笑うなまえを見ると気が狂いそうになる、なまえの隣に生涯いることを許された奴をきっと恨んでしまう。そして俺はこれからなまえと共に過ごした時間よりもずうっと長い時間を俺の嫁さんと歩んでいって、いつかはこの笑顔だって懐かしく思うようになる。

「団蔵、笑って」

こんなことがあったのだとは組のみんなが知ればどんな反応が返ってくるだろう。情けないと呆れるだろうか、ふざけるなと憤慨するだろうか、それとも、相手がなまえなら仕方ないと、笑ってくれるだろうか。この先も元気にやってほしい、変わらずに笑ってほしい、けれど、俺のことは、忘れないでほしい。なまえの艶やかな髪の毛に一生大事にすると言ったいつかの簪はついていなかった。しかし、これでいいのだと思った。こんな御時世だ、俺ひとりの我が儘は許されない。それはどうしようもなく抗えないことだから。記憶の中の幸せに満ちたあいつの笑顔を真似しながら、出来る限りの笑みを貼り付けて家路についた。なまえと出会えただけで、幸せだったんだ。なまえを好きになって、共に笑い合えてよかった。一緒に来てほしいと差し出せなかった手を思って、今日も笑うよ。

0318 はるがおわるよ / 企画:解毒剤様に提出



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