短め | ナノ
大学に合格した。その一報を牛島本人の口から聞いて、全身の力が抜けて、膝から崩れ落ちて、あとついでに泣きそうになった。それは春高予選で烏野に敗れ失意に暮れる中での朗報だったから。身体を巡る血が沸騰する感覚にその熱を放出しようと吐きだしたため息は長く嬉々とした色をしていた。珍しく焦ったように覗き込んできた牛島よりもわたしのほうがずっと喜んでいるのがおもしろい。おめでとう、滾る感情を集約したたった一言に、その固い表情筋がようやく緩んだ。
一足も二足も早く桜が咲いた、うっすら肌寒さを覚える秋口のこと。
卓越したバレーセンスを持つ牛島はやっぱり特別な存在だった。どうにか我が大学にとアプローチをしたり、わざわざ宮城まで来て地方予選から観戦したりするバレー関係者はたくさんいた。(当然だ、白鳥沢が誇る牛島若利なのだから)。牛島も牛島で自分の将来をきちんと考えるために各大学の練習に参加するなど白鳥沢の練習と並行して忙しい夏休みを過ごしていた。その中から志望校を決め、受験し、合格した。
けれどスポーツ推薦と言っても簡単な試験や面接、小論文などを当然クリアしなければならなくて、わたしはとにかく不安だった。バレーにすべてを捧げる牛島は、控えめに言っても勉強ができない。名門の白鳥沢は部活の練習量が多いのに加え、牛島は代表に招集される分、勉強に割く時間がただでさえ他の人より少なかった。さらに本人が大人しく机に座っているよりもバレーをしたいと集中力を欠き、とにかく手を焼いた。牛島の勉強を見てやるようにとの監督命令で大平とともに以前から勉強会を開催してはいたけれど、今回のは“受験勉強”だ、牛島の将来がかかっている分、赤点じゃなければ御の字程度のテスト勉強とはわけが違う。だからわたしも牛島が大学に合格できるように尽力した。それが報われたのだ、この吉報ほど喜ばしいものはない。これで自分の受験勉強にもさらに身が入るってもんだ。
「ほんとによかった。一安心だね」 「あぁ。名字と大平のおかげだ」 「えへへ。でも最後は牛島の実力だよ」
先日はその大平もスポ推での合格を決めていた。山形は結果待ちだが白鳥沢からのスポ推で落ちることはまずないだろうし、天童と瀬見は指定校推薦でさっさと桜を咲かせた。とりあえずレギュラー陣の大学生活は保障されたわけだ。それは本人たちが一番分かっているのか、引退しても部活に参加して存分にバレーを楽しんでいると聞く。あっさり受験戦争から離脱したことを羨ましくないと言えば嘘になるけれど、彼らが6年間どれだけ真摯に取り組んできたのかを近くで見て来て知っているのだから、その6年間が報われたことのほうがずっと嬉しい。それに目が回るほど忙しいマネージャーを続けたのは間違いなく自分の意志なのだ、彼らに負けないようわたしだってがんばろうと思える。予定よりも早く引退になってしまってできた時間で今まで以上に勉強に力を入れなくては。…とは言いつつ、わたしは現在進行形で困っていた。
「そっかそっか…。いいなぁ、わたしなんかまだ志望校も決まってないよ〜」
いまいち志望校が決まらないのだ。自分の偏差値やら志望校判定やらである程度の大学は絞ったものの、ネット上の情報だけではどこの大学もそんなに変わらないように思うし、オーキャンにも満足に行けていない。それでも引退後に塾に通い始めたおかげか成績もじわじわと上がって来ていて、先生はもっと上を目指せるんじゃないかとここに来てさらに選択肢を広げることを言ってくる。彼らのように“バレー”を通して大学を見ない分、立地とか就職率とかで判断しようにも、そんなことは高校生のわたしには野暮な問題な気がした。ぼんやり上京したいという思いはあれど、東京には把握できないほどの大学がある。その中からたった1つの志望校を選べだなんて、そんな。わたしはちゃんと大学生になれるのだろうか。牛島はわけが分からないといった表情をしているけれど、でもとりあえずなにも言わないで同じ部員のよしみで聞いてほしいわけである。
「もう秋だし焦らなきゃってのは分かってるんだよ」 「………」 「でもここがいい!ってピンとくる大学がなくてさぁ」 「………」 「受かればどこでもいいって考えがあるからかなぁ。もういっそ思い切って関西行ってみようかな〜とかって…」 「……待て」 「なに?」 「聞いていて思ったんだが」 「うん」 「名字は俺と同じ大学に来るんだろう?」 「……………うん?」
うん?
「違うのか」 「おなじだいがく…?」 「あぁ」 「……。 え、えっ?同じ大学?ん?いや、え、ちょっと待って、どういうこと?お、同じ大学?そんな話したっけ、同じ大学行くとか、 え?同じ大学???」 「…俺はてっきりそうだと思っていたが」 「なぜ…?」
牛島は一体なにを言っているのか。
そもそも牛島の進学する大学はただでさえ難関校なのである。わたしが志望校にと列挙した大学たちとは1ランクほど違うくて、端から受験することすら考えたことがなかった。先生は死ぬ気でがんばればあるいはなんて無責任なことを言うけれど、わたしは実力に見合ったところを堅実に決めたいし、死ぬ気を出すための集中力がいつ底を尽きるかだって分からない。記念受験にだってお金はかかるのである。わたしの第一志望校を滑り止めとして受けるような人たちが志望するような大学なのだ、今から死ぬほど勉強したところで底辺に滑り込めるかどうかも怪しい。いや、どう考えても無理だわ。そこまで必死に勉強しないといけないあと数ヵ月を考えただけでぞっとする。それなのに牛島は力強い目でこちらを見てくる。うっ、眼力…!
「いや、ちょっとわたしの頭では無理かな〜と」 「名字なら行ける可能性が高いと担任が言っていた」 「確認済み…!でもそんなにがんばれないんだよ、実際は」 「俺は名字が努力家なのを知っている」 「買いかぶりすぎだよ…。ていうかなんで急にそんなこと言うの?」 「…俺が同じ大学だと嬉しいからだ」 「そりゃわたしも嬉しいけど…」 「………」 「………」
えぇ、なにこの展開、どうした牛島、どうするわたし。とは言いつつ、この真剣な、そう、まるで強敵を相手にバレーをしている時のような牛島の眼にわたしが勝てるわけがないのだった…。
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