短め | ナノ


  

「賢ちゃん」

朝練終わり、部室から校舎まで向かう途中、すっかり耳に聞き馴染んだ声が穏やかに届いた。俺の隣を歩いていた“賢ちゃん”がぴたりと歩みを止める。今日も五色相手にいらいらを募らせ、校舎に向かう足取りもどこか不機嫌だったはずのそいつは、その声を耳にした途端にぱっと苛立ちを鎮める。声の主に完全に振り返る時には、一転、部活中では滅多に拝めないような柔らかい表情を心の底から広げていた。

「なまえ」
「朝練おつかれさま」
「うん」
「はい、おべんと」

紺色のランチバッグが賢ちゃん…白布の手に渡る。ふたりの間には朝の肌寒さなんてお構いなしな春のようにあたたかい空気が漂っていた。見かけによらず量を食べる白布の弁当は毎日とても豪勢である。メニューが豊富、彩りも綺麗、デザートと間食もばっちり詰め込まれている弁当(この時季はスープジャーの味噌汁つき)からは溢れんばかりの愛情を見ることができる。さらに一週間に一度の頻度で可愛いキャラ弁がお披露目されるのだが、意外にも白布は恥ずかしがることなく、むしろ誇らしげにそのキャラ弁を広げる。なぜか。理由は単純である。世の男たちが見たら歯ぎしりものであろうその弁当が、件の声の主のお手製だからである。

なまえと呼ばれた目の前のクラスメイトと部活仲間の白布は、隠すまでもなく双子である。

「今日は賢ちゃんの好きな肉豆腐入ってるよ」
「ん、ありがと。楽しみ」
「ふへへ」

声と同じように優しさに満ち満ちた目が満足気に細められ、ようやくこちらを向く。目が合った。緩んだ口元から白い息とともにこぼれたおはようという挨拶に同じようにおはよ、と返すと、隣からおぞましいまでの殺気が突き刺さる。誰だと考える必要もないくらい、犯人は白布である。白布妹(名前で呼ぶと白布にしばかれる)がマフラーに顔をうずめてくすくすと笑った。

「…あ、それ、俺のマフラーじゃん」
「うん。ごめんね、借りちゃった。今日は賢ちゃんの気分だったから」

白布妹が巻いている紺色チェックのマフラー、それには見覚えがあった。確か去年白布がつけていたマフラーだ。白布が紺、白布妹がアイボリーで色違いだなんだと自慢気に言っていて、アイボリーってなんだよ白となにが違うんだよって思ったことをよく覚えている。秋と言っても今日は昨日よりずっと冷え込んでいたから、クローゼットから引っ張り出してきたんだろう。ていうか紺の気分じゃなくて賢ちゃんの気分だったのね。ハイハイ。白布は昂る気持ちを堪えるように口を真一文字に引き締めている。頬はすっかり紅潮していた。

「今日の夜は冷え込むらしいから、風邪引かないでね」

そう言ってかばんから取り出したのは本来自分のものである白いマフラー。それを白布にふわりと巻き付け、朝練後の乱れたままの髪の毛を整えながら丁寧に結び始める。白布はなにも言わない。ただ黙ってなされるがまま、じいっと穴が空くくらい妹を見つめている。その目のとろけようといったら。完成したのはなんとも可愛らしいりぼん結びで、いくらバレー部内では線が細めといえど強豪校のレギュラー相応の筋肉がついている白布には不釣り合いというか、まぁ、正直似合ってはいない。そもそもりぼん結びなんて男にするもんじゃないだろ…。女子かよ、とこぼれ落ちてしまった言葉に笑ったのは白布妹だけで、白布はいたって無反応である。どうやら白布の中で本格的に俺という存在がシャットアウトされたらしい。「賢ちゃんかわいい」、にこにことおおらかな笑顔が放たれる。

「…もう教室着くんだけど」

咎めるような口調は言葉に反してずいぶんと優しく、愛しいという感情がどうしようもなく漏れ出てしまっていた。

…声を大にして言いたい。おまえは今朝も五色にブチ切れたあの白布賢二郎ですか、と。

  

そういえば高校に進学した時は外部生に男女の双子がいると大きな話題になったものだ。双子でさえ珍しいのに、さらにそれが男女だったもので当時は学年中の話題をさらった。ふたりとも顔が良かったというのもあり、また学校でも構わず今朝のような仲良しっぷりを晒すので“白布双子”は今じゃすっかり有名人である。

二卵性だからか男女だからか、双子といえど性格は似ていない。白布こそ黙っていればイケメンだともてはやされるだろうに決して愛想がいいとは言い難いし、特に部活で顕著だが割と短気な性格をしている(妹の前じゃ仏のような顔をしているが)。ところが白布妹はふわふわとした笑顔を絶やさず、どちらかというと悠長で他人を巻き込むタイプのマイペースな性格をしている。つまり正反対なのである。雰囲気は似てるっちゃ似てるけど、まぁ男と女だし、内面が外面に滲み出てるのもあり激似ってわけじゃない。せいぜい「なんか似て…るね?あ、双子?ヘーふーんあーはいはい、確かに似てるかも?」レベルだ。だから唯一双子らしく同じだと断言できるミルクティー色の髪の毛を白布はたいそう気に入っているらしい。

持ちものにお揃いが多いのは、双子だということを誇示したいため。お互いのかばんに揺れる某ランドの淡い色のぬいぐるみキーホルダー、あれって彼氏彼女でつけるみたいなとこあるけど、なんで双子がつけているんだろう。なんてのは愚問だ。白布はああいうふわふわに可愛いキーホルダーなんて絶対嫌がるだろうに、妹がつけるからってつけているに決まっている。ただ単に旅の思い出としてか、独占欲の塊か、周りへの牽制か、双子だからか。ふたりがなにを思ってつけているのかは窺い知れない。…こうやっていちいち“お揃い”に意味を疑ってしまうほどには、この双子の仲はちょっとばかしアヤシイのだ。

「(まぁ仲がいいのはいいことだ)」

けれどふとした瞬間の顔がそっくりであることを俺はちゃんと知っている。長年隣で育ったからこその癖や、同じ感情を共有してきたからこその表情が間違いなくふたりが双子であることを物語るのだ。ふたりが並んでいると、ふたりは隣同士でいるのが当然なのだとすとんと理解できる。互いの隣に違和感なくすっぽりとおさまっているのを見るとなぜか少し羨ましく思う。口には決して出しはしないが。(俺がこんなにもあの双子を気にしてしまうのは間違いなく私情が俺の中で横行しているからなのだが、白布にシメられないためにもまだまだこの私情は各方面へ秘密にしておかねば)

…長々と語ったけれど、つまるところ双子は正反対なのである。なのであるけれど、本当はひとつだけ、性格面においてもこりゃ双子だなと深く頷けるところがあったりする。

例えば、

「あれ、川西くん」
「おー」
「賢ちゃんは?」
「お呼び出し」
「………だれに」

お互いのことになるといささか過剰になるところ、とか。

「あー、いやー…、誰かは分かんねっす」
「………」
「………」

確実に下がる室温。不穏な気配を察知。時は昼休み、部活のことで用があって4組で昼を食べた後のことだった。肉豆腐を幸せそうに食べる白布の顔がチョコを頬張る白布妹の表情(可愛い)とそっくりだったことを思い出しながら、おそらく告白だろう呼び出しをくらった白布の帰りをぼーっと待っていた俺に、ふいに降りかかった試練だ。白布抜きで白布妹と話せる機会だというのに、この状況は間が悪い。

どんどん険しくなる白布妹の眉間の皺。あなたいつものあのほんかわした雰囲気どこにやってしまったの、と訴えたくなるくらいのそれに機嫌が急降下しているのが分かった。まぁ座れよ、ととりあえず着席を促す。あらかた今手に持っているお菓子をお裾分けに来たのだろうが、目的の人物はわざわざここから離れた校舎の非常階段まで出張している。なんてタイミングだ。心底だるそうに教室を出て行った背中を思い出せば告白の返事なんて分かり切ってはいるが、それを俺の口から伝えるのも違う気がするし、うーん。

「…たぶんもうすぐ帰って来ると思うけど」
「……ほんと、どこの誰なの」
「………や、うん、ごめん知らないです」

こえぇ。白布、おまえも妹のことになると大概だけど、おまえの妹もこえーよ。早く帰って来いよ。帰って来てください。どこの誰なの、なんて吐きだされた言葉は、たぶんひとりごと。俺の言葉も耳に入ってなかったみたいだけどなんか一応謝っておく。どこの馬の骨だとか言いながら白布に聞くまでもなく告白した女子をこのくそでかいマンモス校から探し当てそうなのが怖いところである。もちろん立場が逆でも然り。あーどうしようもうすでにこの空気に耐えられない。急いで話題を変えなければ。頭を回せ、回すんだ川西太一!

「あ、あー…、えーと。…バレー部の先輩がさ、妹のこと、可愛いって言ってた」
「ふーん」
「瀬見さんな。あー、あと1年の五色も」
「ふーん」

美人の無表情って怖い(白布妹は可愛い系だけど)。もっとこう、むっすー、ぷんぷんって感じで可愛らしく怒ってくれたら俺もまぁまぁなんて言いながら宥めることができただろうに、全ての感情をそぎ落とした能面のような顔をされるとちょっと…。いや、怒りという感情だけはひしひしと伝わってくるが。触らぬ神に崇りなしっつって。普段仏頂面の牛島さんすら可愛く見えてくるこの無表情っぷり。しかし俺はこの不機嫌を和らげるであろう魔法の言葉を知っているのである。だてにこの双子と仲がいいわけではないのだ。「それ聞いてた白布がふたりのことすげー睨んでさ」、「…ふーん」、あ、ほら嬉しそう。

「…あんま怒んなって。これやるから」
「べつに、怒ってないよ」
「はいはい。ほら、好きだろ、チョコ」
「……すき」

…やばい今のはぎゅんときた。

どうやらこの双子は、異性との関わりをあまりよく思わないらしい。それこそ彼氏彼女みたいな強い束縛ではないけれど、異性との関わりなんて最低限でいいじゃん、とかお互いに思っている。っぽい。異性と話してるのを見るとあからさまにおもしろくないという顔をするのだが、その顔は天童さんが飛び上がって双子じゃん!って喜ぶくらいにはそっくりだと思う。俺は2年連続で白布妹とクラスが一緒だし、白布とも仲がいいのでなんとか白布の許容範囲内にはいるらしい。白布からは一抹の警戒を感じるけれど、白布妹からは全面的な信頼を寄せられている。おにいさんの許容範囲であることは嬉しいが、だからまぁ、逆にやりにくいっちゃやりにくい。なにがやりにくいって、そりゃ、まぁいろいろ。

「ん、これうまいな」
「でしょ?朝コンビニで見つけたの。期間限定だって」
「へー。期間限定に弱い人?」
「よわい…」
「(かわいい)」

お互いに差し出したお菓子を食べる。白布妹がチョコを迷いなく小っちゃな自分の口に運べば、醸し出す雰囲気がほわりとやわらかくなり眉間の皺も和らいだ。すると俺の視線に気付いたらしくまたちょっと皺を寄せながら拗ねたように頬を染める。チョコは美味しいけど白布がいないことがやっぱり悔しくて、でもチョコは美味しくて、あとチョコで機嫌が取れると思われてることも悔しいって思っている顔だ。

「おい」
「お、」
「なにしてんの」

なんとか白布妹の機嫌も直り、もう白布帰って来なくていいよとか思っていたがそうは問屋が卸さない。やけに低い声が鼓膜を揺らし、顔を上げればこれまたずいぶん機嫌の悪そうなおにいさんが俺たちを見下ろしていた。ああーめんどくさい。相当ご立腹だ。俺が妹とふたりでいたことに対して怒ってんなこれは。いやそもそも俺がひとりでいたとこにおまえの妹が来たんだよ、前提として俺は悪くねーよ。

「賢ちゃん」
「うん」
「…断ったの?」
「当たり前だろ。俺にはなまえがいるし」
「……ふへへ」

白布妹が今日一番の笑顔を見せる。頬を染めて、嬉しくて堪らないといった様子で白布に寄りかかった。それを受け止めた白布も似たような表情で頭をゆっくり撫でてやっている。平和な光景デスネ。…とか思っていたら、ふと、白布がこちらを向いた。けれど目が合ったのは一瞬で、頭を撫でるのを止めた白布が妹の手を引いて椅子から立ち上がらせ自分が椅子に座った後、今度は妹の腰を抱き締めるように自分に寄せて、自身の膝の上に座らせた。妹は特に驚くこともなくそれを受け入れる。…はい、それ家でもやってんのね。もー驚かねーぞ俺は。

「…で、なまえは太一となにしてたの?」
「んー、菓子パ? 賢ちゃんもどうぞ」
「あーん。……ん、あ、季節限定。好きだなぁほんと」
「ふへへ」

ふたりで買い物にでかけることをデートといい、手を繋いで歩くような双子だ。たまに校内でも繋いでるのを見るし、お揃い色違いなんて当たり前だし、たぶんキスくらいなら余裕でやってのける。おまえら顔がいいから許されてる感あるけど、それはなかなかカップルでもやらないバカップルぶりだぞ。顔がいいから咎められないだけだからな、よく覚えとけ。ほんとに仲良しだよねーと学年全体が当然のように受け入れているところからまず頭が痛いわけである。ふたりの距離感につっこむ人間が俺くらいなものであるのが心細いったらない。いや、いるにはいるのかもしれないが俺以外のやつはたぶん俺の知り得ぬところで兄によって駆逐されている可能性が高いのだ、だって俺の妹に触れたらただじゃおかねーぞってオーラを出してんだもんよこのおにいさんは。

…ほら、現に今だって。器用に妹にだけ笑顔を向けながら、なにを考えてるかいまいち分からない目で睨みつけてくる。うわーその顔、さっきの妹の能面にそっくり。ちょっとしゃべって餌付けしてただけじゃん。片肘をついて呆れてしまう俺の目に白布がゆらりと動いたのが見えた。俯いた時に垂れてしまう白布妹の横髪をごく自然に耳にかけてやって、そこから覗いた耳に、なんてこともないように、ひとつ口付け。思わずぽかんとしてしまった俺を嘲笑うかのように、目には露骨にむき出しの敵意が燃えていた。…俺に対しての牽制ってわけね。はいはい。

「ちょっと、くすぐったいよぉ」
「ごめんごめん。なんかしたくなっちゃったから」
「…仲がよろしいことで」
「うん。ね、賢ちゃん」
「ん」

まぁそんなんで大人しく引くわけもないんですけどね。

  

1118 さらってしまえたらいいのに



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