短め | ナノ





三郎とわたしは、それこそ竹馬の友とも呼べるくらいに付き合いが長い。
初めて会った時からどのくらいの時間が経ったのだろうか、それは思い出すのも億劫になるほどの遠い昔むかし。今のようにのんきに笑っていられなかった時代を、手を取り合って励まし合って、それでも楽しんで一生懸命に生き抜いた。日常だった戦はいつの間にか終わり、誰もが平凡な暮らしを手に入れた平和な時代になった。そしてひとつひとつを丁寧に思い出すことが出来る大切な記憶を持ったまま、わたしたちは何百年後のこの時代で再会した。この世に再び生を受けることになろうとは一体誰が想像できただろうか、苦い思い出もあたたかい思い出もなにもかもそのままで。今でも思い出せる、今だからこそ分かる、あの頃の素朴な幸せ。たとえあの時代とは名前が変わろうとも、まわりが変わろうとも、わたしたちはなにも変わらない。まるでわたしたちの精神だけタイムスリップしたみたいだね、笑えない冗談。あの時代からの竹馬だなんて皮肉にも程がある。

「ふたりって付き合ってるのかと思った」
「…そうかなぁ」
「だってすごく仲良しだから」

“××くん”にそんなことを言われた。
三郎とお互いに目を見合わせる。実は幼なじみなんだ、と再会した時に決めておいた口裏を合わせると、その人…不破雷蔵は納得したように頷いた。はぁ、隣からため息が聞こえてそちらを向くと、めんどくさそうな、けれど申し訳なさそうな三郎と目が合う。「…もう、記憶がある人間にとっては罰ゲームだよな」「まぁね、でもわたしは、三郎にまた会えて嬉しいよ」。笑う。俺も。そう言って片眉を下げて、しょうがないなと言いたげに頭をわしゃわしゃと撫でられた。未練がましく自分のことをあくまであだ名として今でも“三郎”と呼ばせているくせに、人前でこんなことをするなんて三郎も随分と丸くなったなぁと思う。「でも俺は、なまえの隣は、雷蔵しかいないと思ってるよ」。笑っているのに泣きそうな三郎の言葉が突き刺さる。雷蔵というもう何百年も使われていないその名前を聞くだけで胸が苦しくなって、大好きな名前なのに嫌になる。そんな悲しそうな目をしないでほしい。絞るように吐いたありがとうは、きっと、震えていた。





おまえに再会できたのはあのお店のおかげだと、三郎は言っていた。
黄昏時、込み入った細い道を何本も通り抜け、ようやくたどり着いたその雑貨屋さんは、静まり返った暗さに溶け込むようにそこにひっそりと佇んでいた。ドアに取り付けられた小さなランプがぼんやりとあたりを灯して、遠くの空はまだじんわりと明るいのに、ここだけ染められたように薄暗くて怖くなる。店の名前は、確かに教えられたものと同じだった。見上げるとどうやらモダンアパートになっているらしく、そこからはわずかに生活感が見受けられ、やっぱりこの雑貨屋さんだけが浮いていてとても不思議な感じがする。引き返すなら今しかなかった。けれど足はどうしてか後ろに動いてくれなくて、吸い込まれるままにドアの取っ手に手がのびる。…わたしが欲しくて欲しくて仕方がないものは、地球上のどこでも決して買えないものだ、けれど、どうしてだろう、このお店でならきっと手に入ると、どうしてか強い確信が持てた。まるで別の世界に紛れ込んだみたいな恐怖と不安と、それでも膨れ上がる好奇心と縋る気持ちに押され、わたしはついにドアを開けた。

「 いらっしゃいませ 」

ベルが歓迎するかのように小さく鳴った。
そのお店は、異国情緒の漂うなんとも不思議な内装をしていた。群青とも青緑とも言えない濃い壁は海よりも深い色をしていて、ところどころの気泡にも見える白い模様が可愛い。ゆるやかな音楽と店長さんだと思われる人が時計を直す音がゆっくりと空間に溶け、店中に広がるアロマの甘い香りが鼻に張り付き少しだけくらくらする。レトロな小物から流行りの髪飾り、懐かしいおもちゃから果ては手作りのお菓子まで、ほんとうにいろいろなものが小さな店内に所狭しと置いてあり、女の子特有であろう高揚感に胸が躍った。近くにあった瓶をひとつを手に取り明かりに掲げてみる。その液体は、ラメも入っていないのにきらきらと輝いていた。これはなんだろう。店内をよく見ると、普通の雑貨に紛れて見たこともない置物やよく分からない瓶が棚の上や足元にまで多くあって、外国のものなのだろうか、その種類の豊富さに感嘆の息が漏れる。すごいの一言に尽きる。ここなら見つかるかもしれない、そんな期待に店長さんのほうを見ると、薄く綺麗に微笑まれた。「どんなものをお探しですか?」。なんとなく恥ずかしくなって、下を向く。

「…友人に聞いたんです、ここなら、ほしいものがなんでも買えるって」

…喉から手が出るほど欲しいものがある。
手に入れた代償がなんであろうと先の未来を思えば構わないとさえ思えるほど、恋しくて愛おしくて堪らない唯一のもの、たったひとつのもの。けれどここは魔法の国ではないから、それは存在しないと、不可能だとはっきり断言できてしまう、だからこそ尋ねるのにも躊躇する。信じてもらえるだろうか、夢を見すぎだと、頭のおかしい客だと、追い払われはしないだろうか。「本当ですか?」。店長さんがにっこりと笑う。「もちろん」。もう頼れるところは他にはなかった。ここなら、このお店なら、確かにそれが買えるような気がしたのだ、わたしはそうと信じたい。もう一度店長さんを見ると、やっぱり笑顔を向けてきて、その優しさとお店の雰囲気にのまれてしまったのだろうか、欲するままに、口を開いた。

「彼の、前世の記憶が、欲しいんです」





「ありますよ、個人の記憶ではないけれど、記憶を思い出すための商品なら」

どんな遠い昔の記憶でも。
店長さんは、修理していた仕掛け時計を置いて、さっきまでわたしが見ていたきらきら光る液体の入った不思議な瓶を指差した。それを再び手に取って見つめると、さっきよりもずっと輝きを増した液体がわたしの期待に応えるようにゆっくりと色を変えていく。「それを適量飲ませれば、あなたの望む彼の前世の記憶を取り戻すことが出来ます」。ほんとうに?雷蔵の笑顔が浮かぶ。すると急にその瓶が愛おしく思えてきて、なみなみと揺れる小さな魔法の瓶を思わず抱き締めた。買おう、迷いなく決めて鞄から財布を取り出す。これがあれば、これさえあれば、雷蔵は前世を思い出して、またわたしたちはふたりで歩んで行くことが出来る。以前のように手を繋いで、愛おしい記憶たちとともに新しい時代を生きることが出来る。雷蔵の隣にいられる。どきどきする。怖いものなんてない。三郎もそれを望んでる。これで幸せになれる、この小さな瓶ひとつで、幸せに!「けれど」。店長さんが初めて笑みを沈めた。

「前世の記憶を思い出すことが彼にとって幸せなことなのか、あなたにそれを決める資格はありません」

ぴたり、時間が止まったように感じた。
興奮していた頭が一気に冷えまばたきを忘れた両目が乾いていく。じわりと言葉が浸透していく感覚に目眩を起こしそうで、倒れないよう両足に力をいれた。そうだ、わたしは雷蔵の前世の記憶が戻ることを願っているけれど、それが雷蔵にとって本当に望むべきことなのか、それはわたしが決めていいことじゃない。幸せな記憶も多いけれどその分抗えないほど残酷で冷たい記憶も確かに存在していて、それらは確実にこの時代の温室で育った精神を傷つけてしまうだろう。そんな記憶を思い出したいか、聞かれたら、わたしならきっと否定する。それはきっと、雷蔵も同じこと。血生臭い戦場も冷えた人間の重さも悲鳴も断末魔も、この時代では知る必要すらないものだから。あぁ、今までの決心や未来図がこんなにも簡単に打ち崩されるなんて。けれど雷蔵の前世の記憶を手に入れる反面、どうしようもないくらいに雷蔵を傷つけてしまうかもしれなかったのだ。なんというジレンマ、でも気が付けてよかった、傷ついて悲しみに暮れる雷蔵は見たくない。

瓶を元の場所に置いた。
それは未だ買ってくれというようにきらきらと光っていたが、初めて見た時よりも魅力的だとは思えなかった。店長さんはまた微笑みを浮かべてどこか嬉しそうに頷いてくれて、安心したのか心が途端に軽くなる。ひとつ息を吐き出して財布を仕舞う。家に帰ろう。目的はなくなってしまったけれど、それでも後悔はなかった。雷蔵とはこれから仲良くなっていければいい。足取りも軽い、三郎もきっと褒めてくれる。満足感に満たされたまま店を出ようとすると、店長さんに手招きをされた。「お迎えが来ているようだから」。これは、特別に。手渡されたそれは可愛くラッピングされたクッキーだった。おいしそう、紅茶のクッキーだろうか、手作り独特のあたたかみのある形と色に嬉しくなって思わず声をあげる。ありがとうございました、お礼を言うと同時にふわりと甘い香りがして、瞬きをしたその瞬間、わたしはすでに外の風に吹かれていた。





「…お迎え?」

店の外はずっと明るかった。
そこからは駅前の大通りを少し外れたところにあるおしゃれなパン屋さんが見え、この雑貨屋さんは意外にも通いやすい立地にあったのだと初めて気が付く。来る時は細い道を何度も何度も曲がってようやくたどり着いたというのに、こんなにも拓けた場所にあったとは拍子抜けする。西の空の夕焼けが奥の道路まで明るく染め上げ、お店に入る前は暗くて視界も悪かったはずなのにおかしなものだ。さっきまでの店長さんとのやり取りもまるで夢心地で、ほんの数十分間、わたしは夢を見ていたのかもしれない、そのくらい不思議で穏やかな時間だった。数歩行ったところに小さな公園がある。その入口のポールに猫背気味に座っている人影が見えて、よく目を凝らして見ると、…それはどうやら雷蔵らしかった。お迎えとは雷蔵のことなのだろうか。わたしに気が付いたのか目が合うと慌てて立ち上がった雷蔵が苦笑いを向けてくる。わたしの心は不思議と落ち着いていて、足の向くまま近くまで歩み寄って声をかけた。あの時とは違う身長差に胸が鳴る。

「××くん、」
「あ、あー、…えーと、学校ぶり、だね」
「…うん。××くんも今帰り?」
「う、うん、そう!うん」

雷蔵、もとい××くんはふらふらと目を泳がせた。
なにか話をしたい、そう思いながら見上げると雷蔵の口がごもるように動いていたから、ふわふわなボブの髪の毛を触りたいななんて場違いなこと考えつつ言葉を持つ。中学生だろうか、学校帰りの生徒や買い物袋を提げた主婦がちらほらと通り過ぎ、顔を隠すように俯いた。遠くから鳥の鳴き声が聞こえる。季節はもうほとんど秋になる。

「さ、三郎がさ、名字さんが朝から元気ないって言ってて、僕も元気なさ気だなって思ってて、なにかあったのかなって し、心配で…、だから、えーと、だから…」

迷い癖が発動する時の、頬をかく仕草。
…それはつまり、わたしを気にかけてくれたということ?見つめすぎてしまったのか雷蔵が恥ずかしそうに視線を逸らして赤く染まった顔を背けた。しどろもどろに紡がれる言葉が心に染み込んでいくのが心地いい。優しい雷蔵のことだ、きっと自分なんかがわたしの役に立てるわけがないという葛藤と、わたしを気にかけてくれる優しさの間でどんな言葉をかけるか悩んでいるに違いない。わたしなんかをわざわざ待ってくれていたのだろうか、こんな時間まで、こんな場所で。きっと三郎が裏で手引きしたに違いない、けれど気遣ってくれたと分かっただけで嬉しいのは、やっぱりそれが雷蔵だから。どうしてこんなにも優しいのだろう、昔から、そう、ほんとうに、もうずうっと昔から。「わたしのために?」「 、うん」。鼻の奥がつんとする。涙が目に膜を張る。油断したらそれがこぼれてしまいそうで、そうはさせまいと目頭に力をいれた。滲んだ視界の先にいる色素の薄い柔らかげな髪の毛が風に揺れ、記憶の中の雷蔵と不意に重なる。困ったように眉を下げて大きな手で頭を撫でてくれる、柔らかい言葉をくれる、わたしに笑いかけてくれるいつもの優しい雷蔵は、そうだ、今も変わらずこんなに近くにいたのだ。

「あ、た、たこ焼きでも食べない?!僕がおごるから!」

胸の左奥がじんわりとあたたかくなる。
どんなに時間が流れようとも、たとえ時代が変わろうとも、名前が変わろうとも、雷蔵は雷蔵だ。前世を覚えていない雷蔵は雷蔵じゃないと頑なに拒否し続けていた。記憶がないだけで別人と決め付けて、自分が傷つくことを恐れ関わることさえ躊躇した。思わず笑ってしまう。いつだったか遠い記憶、わたしが実習で失敗して落ち込んでいた時、一番に声をかけてくれたのは他でもない雷蔵だった。元気がなさ気だから心配でと言って、手を引いて団子屋に連れて行ってくれた。たったそれだけのことがどれほど嬉しかったか、どれほど救われたことか。雷蔵は、雷蔵だったのだ。だってわたしは、一緒にいるだけでこんなにも心安らぐ優しさをくれる人物を雷蔵以外に知らない。

「これ、さっきの雑貨屋さんでもらったの。よければ一緒に食べよう?」

わたしが好きなのは不破雷蔵、その人だ。
前世でもなく、今世でもなく、いつの時代でもたったひとりの不破雷蔵が、好き。勇気を出して左手を取ってみた。びくりと小さく肩が反応して、さらに顔を赤く染め上げた雷蔵はそれでもしっかりと握り返してくれる。大きくてごつごつした手には肉刺も傷もかすり傷ひとつさえなくて、それでもあたたかくて優しい、雷蔵の手をしていた。雑貨屋さんの甘いアロマの香りを思い出して心臓がきゅっと締まる。目の端からこぼれ落ちた涙は決して悲しいものではなく、改めて雷蔵と再会出来たことによる嬉しさのなによりの証拠だ。今も昔も変わらないただひとりのひと。あなたさえいてくれるならもう、構わないよ。

0911 もうどうしようもない感情に振り回されたってかまわない、君がいるなら / 企画星墜様に提出


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