短め | ナノ

「好きな人ができたかもしれない」。興味のない話には聞き流す程度にしか耳を傾けないけどそれでも笑ってくれるいい奴で、さばさばしてるけど他の女子たちみたいに媚びてきたりしないし、アホだけど変なとこで真面目だし、寝顔とか驚いた顔とか不細工だけど、でも、それでもやっぱり、それさえも可愛い。馬鹿みたいに大口を開けて笑う顔が、細く黒目がちになる目が、両頬に出来るえくぼが、笑った時に見える八重歯が、堪らなく可愛い。

「え…、で、笹山はどうしたいの?」
「どうすればいいと思う?」
「いや知らないよ」

こういう話にはとことん鈍い名字が僕の言葉になに言ってんだとめんどくさそうに顔を歪めた。その表情がむかついて不細工と言えば、なにも聞こえないとでもいう風にふいっと前を向かれてしまった。生意気な態度にむかついたけど、こいつ意外とまつ毛長いんだよなとその横顔を改めて見つめればそんないらいらも割とどうでもよくなる。するとその視線に気が付いたらしい名字が左手で横顔を隠すように机に肘をつき、そしてあからさまなため息を吐き出した。それは前の席の虎若が名字お疲れなの?と振り返るくらいには大きく、なんでもないのごめんねと笑い返された虎若が そう?と不思議そうな顔をして首をかしげるくらいには、名字は虎若に対して綺麗に笑っていた。次の授業の問題だの宿題だの小テストなど、ふたりはなぜかそのまま雑談を始めてしまい、近くにいるのに蚊帳の外にされたのがつまらなくて僕の長い足で椅子を蹴ってみても、名字は頑なに無視を構してくるからいらいらが再発する。むかつく、名字の分際で僕を無視すんな。じとりと睨みつけていればなにかを察したらしい虎若が空気を読んで団蔵たちのもとへ行くため席を立ち、少し経ってから2回目のため息を吐いた名字がようやくこっちを向いた。

「もー、なんなの笹山、うっとうしい」
「おまえが僕の話を聞かないからだろ」
「聞かないもなにもさぁ、笹山彼女いるじゃん。他の子好きになったとか最低だよ」

そう、なぜ僕が好きな人が出来たにも関わらずなんのアクションも起こせずにいるかというと、僕には一応彼女という人物が存在するからだ。1組に所属するその彼女はザ・女の子というピンクと白が似合うようなふわふわとした可愛い子で、間違っても名字とは似ても似つかない女の子らしい女の子だ。もうすぐ付き合って3カ月になる。この間プレゼントしたイヤリングもすごく喜んでくれた。花の形をしたそれは彼女の雰囲気にもよくあっており、少々値が張ったのは痛かったけどそれでも喜んでくれて嬉しかった。わざわざ名字を引き連れて雑貨屋を巡り歩いた甲斐があったと思う。お礼としておごってやった450円のバナナショコラブラウニーのクレープを馬鹿みたいに喜んで食べていたのを見て、なんて安上がりな女なんだと呆れつつ財布の口を閉じたのも記憶に新しい。今後弱みに使ってやろうとクレープを食べているところを盗撮した写真は今もメモリの中で独特の存在感を放っている。以外にも映りがよかったそれは(僕の撮影技術がよかっただけ)、三ちゃんにスタバの新作おごるから頂戴と言われたほどで、けれど僕以外に弱みとして使われるのは癪なので断った。

「だからおまえに相談してるんだろ」
「なんでわたしをめんどくさい話に巻き込みたがるのー…」

だるい、名字はそう言いたげに机に片肘をつきもう何度目かも分からないため息を吐いた。一丁前に僕のことを女の敵だとでも考えているのだろうか。人と話する時くらいこっち見ろよ、と殴ってやろうかと思ったけれど、相談にのってもらう手前そう文句は言ってられない。条件としてまた今度なにかおごってやるからと提案すると、今までの態度はどこへやらすぐに起き上がって話を聞き始めた。呆れてものも言えない、なんて現金な女だろう。

「スタバの新作ね」
「はいはい」

現在僕が好きになったかもしれない人を仮にAとしよう。そいつは取り上げて可愛いわけでもないし、僕に対して愛想がいいわけでもない。むしろ態度はでかいし生意気だしで、いいところよりもむかつくところのほうが先に挙がるくらいには印象が悪い。けれど、回って来たぐちゃぐちゃな配布物を一度自身の机で整えてから後ろに回したり、クラスのやつに分け隔てなく挨拶したり、落ちているゴミをさりげなく拾って捨てたり、体調の悪そうなやつに声をかけてやったり、気遣いとか思いやりとか、そういう人間らしいことが当たり前のように出来るすごいやつだ。おまけに僕のカラクリ趣味にも興味を持ってくれるし、乏しい知識ながらすごいと褒めてくれるし、なにげに聞き上手で話しやすいし、以前話したことも覚えていてくれるし、積極的に干渉して来ないから一緒にいてすごく落ち着くことが出来る。苦手な物理分野の授業でここぞとばかりに頼ってくることも、実は嬉しい。あと、食べる前と食べた後にきちんといただきますとごちそうさまでしたを手を合わせてするようなところ。以前それを指摘すると、小さいころからやってきたから癖になって今さらやめられないのだと少し恥ずかしそうに教えてくれた。…あぁそうだ、その時、僕はこいつが好きかもしれないと思ったのだ。

僕の話を聞き終えた名字が、至極どうでもよさそうな顔で次の授業の準備を始め出した。僕のことをどう思っただろうか、そんなことを気にしながら、いらつきながら名字の言葉を待つ。その言葉で僕の運命が決まるわけでもないのに、まるで合格発表を待つ受験者のように心臓はどきどきを繰り返していた。そして名字は、至極どうでもよさそうに、口を開いた。

「長く付き合う秘訣は、お互いがお互いを人間的に尊敬してることなんだって」
「………へぇ」
「たぶん笹山は、彼女よりもAちゃんのほうが好きなんだよ」
「……なんで?」
「だって彼女のことをちゃんと好きなら、そもそもAちゃんを好きになったりしなくない?」

目から鱗とは、まさにこのこと。「笹山が今の彼女のどこに惚れたのか知らないけど、笹山にはAちゃんのがあってるんだと思うよ」、その言葉に今まで積み重なってきていた何から何までが全部すとんと落ちていったらしく、全身が、精神が、すごくすっきりしたように感じる。顔からもそういう一切が抜け落ちたのだろう、変な顔、名字に笑われた。「はっきりしなよ、男でしょ」。僕と苗字の間の空気が穏やかになったことに安心したのか、帰って来た虎若が再び名字と談笑を始める。そのふたりをぼんやりと見ながら、ひどく穏やかに、僕の頭の中ではあるひとつの答えが浮かび上がっていた。

そうか、僕は、Aのことが好きなのだ。

それもあの学年1を争う可愛さを持つ彼女よりも、ずっとずっと。そいつはいつの間にか僕の中で絶対的な存在になっていた。学校に来てAの顔を見るとなぜかほっとするのも、用もなく話しかけたくなるのも、僕をほって虎若と話すのがむかつくのも、おごってやるからと口実をつけてまで雑貨屋めぐりに付き合わせたのも、弱みに使ってやろうとこっそり撮った写真を暇さえあれば眺めているのも、そうでもなかったらむしろ気持ち悪い。そうか、そういうことだったのか。寝顔も驚いた顔も大笑いする顔も目もえくぼも八重歯もなにもかもを堪らなく可愛いと思ってしまうのは、僕が、Aのことを好きだったからなのだ。「名字」、小さな声で呼ぶと、虎若と名字がこちらを向いた。兵太夫なんかあったの?と名字に尋ねる虎若に、おもしろそうに名字が答える。「笹山、これから男になるんだって」。そうだよ、おまえのために、男になるんだ。たかだかクレープ如きに手を合わせる女に、これから先出会えるなんて到底思えないから。

「僕さ、名字のことが好きみたい」

虎若が目を見開く。こちらに来ようとしていた団蔵も、驚いた顔でぴたりと動きを止める。当の名字が教科書を持ったままわけが分からないと言葉を失っているのを見て、まぬけだと思わず吹き出してしまった。言われてみれば確かにそうだ、あの彼女が本当に好きなのなら、こんな名字を好きになるはずなんてないのだ。すっきりした心のうちにはもはやあの可愛い彼女のことなどひとつもなく、もうすべて名字が占めていて困る。いつからこんなに好きになっていたのだろうと考えても意味がないと分かっているから、そんなことはもうどうだっていいのだ。ふと見せる優しさが、さりげない思いやりが、笑った顔が、すべてを好きになってしまった。ひどい男だと思われても構わない。だってほら、そのあんぐりとした不細工な顔さえ、可愛くって愛しくって好きだなって堪らない。

0902 なんかもう、ぜんぶきみがいいや!


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