短め | ナノ

「お願いが、あるんスけど」
「…?どうしたの?」

兄妹仲は、いいと思う。家の中じゃいつも隣にいるし、買い物にだって一緒に行く、服を借りることだってあるし、じゃれ合いだってする。手も繋ぐし、甘えたい時は抱き付いたり、逆に抱きしめてもらったり、これが普通の兄妹がすることなのかはよく知らないけれど、少なくともわたしたちの間ではこれが当然だった。

だってわたしと涼ちゃんはお母さんがお腹を痛めてまで生んでくれた子どもで、両親の限りない愛を受けて育った兄妹で、だからわたしは涼ちゃんが好きだ、大好きだ。おんなじように涼ちゃんだってわたしのことを好きでいてくれる。涼ちゃんの優先順位の一番が常にわたしであることがそれを裏付けるなによりの証拠であるように。

だからわたしは少しでも人気モデルとして芸能界の端くれを生きている涼ちゃんの役に立ちたい。一般人からは想像も出来ない過酷な世界だと聞くそこに身を置いて生活の糧にすることを選んだ大切な兄を、妹が応援出来ないでどうするのか。落ち込んでいるなら励ましてあげたい、なにか嬉しいことがあったなら一緒に喜びたい。わたしを頼りにしてくれるなら、わたしはそれに全力で応えたい、支えたい。だってそれが、わたしという人間が涼ちゃんに出来る唯一のこと。

「今度の、ドラマ」
「うん」
「  っ、その…」

今度のドラマ、とは、何ヶ月か先に放送される一夜だけのスペシャルドラマのことである。何年か前にゴールデンの枠で放送していた人気ドラマのスピンオフをこの度放送することになり、涼ちゃんはそのドラマで準主役とも言える役を見事に射止めてみせたのだ。人気作だったこともあり女優俳優陣も見ごたえのある人たちばかりで、涼ちゃんがその中に混じって演技をするなんて本当に夢のよう。しかもそれが監督さんから直々に依頼を受けたのだから、涼ちゃんが世の中への浸透していっているのがうかがえる。涼ちゃんの日々の努力が実ったんだと、わたしはそれが嬉しくて嬉しくて、ドラマ出演が決まった日の夜に駅前のお高めのケーキ屋さんで一番高くて一番美味しそうなケーキをワンホール買って帰ったのだ。

しかも涼ちゃんのお相手役が同じく若手のモデルとして人気急上昇中のあいこちゃんときた。きりっとした大人の雰囲気を持ったあいこちゃんは、けれど笑った時に出来るえくぼが可愛くて、意外とおっちょこちょいで抜けているところがあって、歌もうまくて、センスもスタイルもよくて、…とにかくわたしと同世代だとは思えないくらいにすごい女の子なのだ。もちろん写真集も買ったし、今読んでいるこの雑誌もあいこちゃんが専属モデルをしているから買い始めた。涼ちゃんとの共演が決まった時はあいこちゃんの魅力を(ほぼ一方的に)説き続けたのだって記憶に新しい。

これは涼ちゃんにだってがんばってもらわなければいけない。おっぱい星人もとい大ちゃんはあの女は胸がないから対象外だとかなんとか言っていたけれど、胸がなくたって、それを補って有り余るくらい美しい顔立ちをしているから問題ない。それにモデル出身なんだもの、胸がなくたってあのスレンダーな体型だけで十分生きていけるし、大ちゃんが好むボインならグラビア界に求めればいい。つまり彼女はわたしの中で完璧な女の子の称号を手にしている。

今日は朝からドラマの打ち合わせがあり、涼ちゃんはたった今帰って来たようなのだけど、なんだか様子がおかしい。夕飯を終えお風呂も入り夜のリラックスタイムを楽しんでいたわたしの部屋に転がり込むように飛び込んで来て、正座をしてなぜか俯いたままどもるように言葉を吐いた後、結局黙りこくってしまった。

「涼ちゃん?」
「  っ、」

下に垂れる頭を撫でてやる。わたしとは違うきらきらの金髪の下からわずかに黒髪がのぞいていて、そろそろ染め時かもとぼんやり思う。金髪と黒髪の涼ちゃん、どちらがかっこいいかと聞かれれば、黒髪の涼ちゃんは言うまでもなく金髪の黄瀬涼太も捨てがたい。けれどやはり、わたしは黒髪の涼ちゃんのほうが好きだと思う。もちろん金髪だってかっこいいけど、年相応なあどけなさを引き立てる黒髪は素朴な感じで可愛らしい。世間の人たちは涼ちゃんの黒髪がこんなに素敵なことをひとつも知らないのだ、黒髪の涼ちゃんを知る人物なんて限られているので、その優越感がなんとも堪らなかったりする、のは、誰にも教えないわたしだけの秘密。右頬を撫ぜるとそれに縋るように、いっぱいいっぱいとでも言うようにすり寄って来る。こういうところが兄ながらに可愛いなぁ、なんて。

「 キスの、練習を」
「 」
「させて、ほしいんス…」

キスの練習をさせてほしいんス。キスの、練習を。 どうやら涼ちゃん曰く、先日もらった台本にキスシーンが新たに追加されたようで、その練習に、わたしに、付き合ってほしいらしい。…別にそれは構わないのだ。だって涼ちゃんだし、わたしは涼ちゃんを心の底から応援しているんだし、涼ちゃんに頼られていることが嬉しいから。ただ唯一心配なのは相手役がわたしなんかでいいのかということ。だってこういう時こそあいこちゃんや他の共演者の方たちに頼んで距離を縮めるべきじゃないの?いや、そりゃあいきなりキスの練習させてくださいとは言えないだろうけど、涼ちゃんのそんな甘いお誘いを断る人なんていないだろうし…。

「…いいけど、涼ちゃん、わたし以外にいなかったの?」
「  …そ、れは、  どういう…」
「あ、違うの、わたしなんかでいいのかなって!」
「っなまえじゃないとダメ!!」

「 、そ、そう?」
「………」

初めてのキスは言わずもがな大ちゃんだった。あの万年発情期は少しでもむらっときたらすぐにキスを迫って来るのだ、それ以上はさすがに場を弁えているのが救いだろうが、それでも恥ずかしいものは恥ずかしい。初めてのキスだってたいそうあっけないものだった。簡単に奪っておいてさも悪気なく振舞うものだから、いや、付き合ってる以上もちろん悪いことなんてないのだけど、わたしも女の子な分雰囲気とかシチュエーションを気にするわけで。まぁそんなことを大ちゃんに求めること自体不毛すぎると気付いてからはそんなところも好きだなぁ、とかなんとか。あぁ見えてけっこうロマンチックなところもあるのが可愛いかったりして。好き。

「あの、ほんと、ほんとごめん、っほんと 」
「…どうして謝るの?」
「だって俺と き、キス、なんて」
「……わたし、涼ちゃんからのキスだったらいくらでも受け入れるよ?」
「〜〜〜っなまえ…!」

涼ちゃんはいろいろと勘違いをしているんじゃなかろうか。わたしの涼ちゃんに対する絶対的な信頼を、理解しきれていないんじゃないのか。普段からキス魔な大ちゃんを相手にしているからかキスに対して大した抵抗はないし、それに相手が涼ちゃんならなおさら。耳まで真っ赤に染め大きな瞳にうっすらと涙を浮かべる目の前の大切な大切な兄に、追い詰められた時に泣き出してしまうところは変わっていないなと妙な安心感を得る。勢いのまま急に掴まれた肩は若干痛いけれど、どんな脚本なのかひとつも知らないわたしは 優しくしてねなんて口に出せずにただされるがままになる。

「  なまえ」
「うん?」
「 目、閉じて、っス」

今にも泣き出してしまいそうなその顔に、なぜかふとこれが涼ちゃんのファーストキスだったりしないよね、と疑問が浮かぶ。いや、こんなにもかっこいいんだもの、浮ついた話はあまり聞かないけれどキスのひとつくらい経験はあるだろう、うん、だって涼ちゃんは本当に素敵な人だから。とりあえず唇が離れたら、撮影の後に涼ちゃんの唇であいこちゃんと間接キスさせてね、なんて冗談を飛ばすことを考えながら目を閉じた。肩を掴む手はわずかに震えていて、ゆっくりと触れた唇は柔らかくてあつかった。

0303 嫌いにならないで


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