密葬 朝起きたらゾンビが蔓延していた。 「なんだこれ」 窓の外は死屍累々。電柱は倒れ、壊れた車がいくつも転がり、其処彼処で小さな火から煙が立ち込めている。道路に倒れ伏した死体に群がるゾンビたちが、ぐちぐちと肉を噛み千切る音が聞こえてくるようだ。 「まるでB級ホラー映画だな」 案外安閑とした声が部屋に響いた。慣れってこわいなぁ、と自身の図太さに苦笑が浮かぶ。 計ったようなタイミングで自室から出てきた佐助は「おはよ」と呑気な声を出す。寝起きなのだろう、髪が少しはねていた。 「見てみろよこれ、すげーことになってるから」 ちょい、と顎でベランダから見える風景をさす。俺の視線を追って同じく外の風景を見た佐助の眉が微かにつり上がった。 「どうりで生臭いわけだ」 佐助の言葉に従って鼻をすんすんと鳴らしてみる。 『生臭い』とはきっとゾンビたちの臭いだろう。腐った梨のような色をした姿は、見るからに生臭そうだ。 「これじゃあ何処にも行けそうにないな…」 自分でも分かるほど落胆の滲む声が出た。 今日は幸村さまに会いに行こうと以前から佐助と言っていたのだ。 時代は変わっても俺たちにとって彼はいつまでも従うべき主であり、大切な存在だ。俺と佐助は同じマンションに二人暮らしだが、必ず週に一度は幸村さまに会いに行くと決めている。 流石にあの方も子どもではないのだから、と佐助に言ったところであいつからの返事は変わらない。「旦那は寂しがりやだから、沢山会いに行ってあげなきゃいけないんだよ」と。 寂しいのは自分だろうが、と思わないでもないが、楽しそうに口元を緩ませる佐助を見るとなにも言えなくなってしまうんだから、案外俺も佐助に甘い。 「絶対だめ」 「はぁ?」 いやにきっぱりとした声でそう言い切る佐助に、流石に素っ頓狂な声が出た。真意を図ろうと奴の顔をジッと見つめてみるが、当の本人は至って真面目らしい。 「旦那の所に行かなきゃ」 「…ハァ」 呆れを通り越してむしろ納得してしまった。佐助はきっとこう言うだろうとなんとなく分かってしまう自分に複雑なものを感じる。 遠い遠い昔からの付き合いだから分かるのだが、こいつはこと幸村さまに関しては常識ってモンを失う。この時代になってからは尚更だ。昔みたいに戦がないのだから安心しろ、昔と違い今は平和だ、と何度言い聞かせても聞きやしない。俺から言わせてもらえれば、こいつは列記とした『幸村さま依存症患者』だ。 「…早く行かないと」 「あっ、おい!」 始終不安げな表情をしていた佐助は、これ以上は耐えられないとばかりに荒々しくベランダの窓を開け柵に足をかけると、ひらりと地面に飛び降りた。 「おいおい…」 ここ五階だぞ、なんて言葉は元真田十勇士の長であった猿飛佐助には似つかわしくないのだろう。 なぜか現代に転生しても劣らなかった運動神経に今ほど感謝したこともない。さもないと今頃、死屍累々ゾンビ溢れる道を走り抜ける佐助はとっくにあの世逝きだ。 「たくっ…」 がしがしと乱暴に頭を掻き、俺も佐助を追ってベランダから飛び降りた。奴が向かう場所は簡単に予想できる。 幸村さまのところ、だ。 昨日まではアスファルトで舗装されていた小奇麗な道も、今や見る影もない有り様だ。 漂う生臭さと血の臭いが酷く懐かしい。こうして風を切り走っていると、昔に返ったようだ。幸村さまと佐助と親方さまと、共に天下を目指していた時代に。 「あー、くそ…っ」 早いっつーんだよあいつはァ…! 纏わりついてくるゾンビたちを避け、時には攻撃を加えながら、姿が見えなくなった佐助を追って足を進める。 こうして外に出てなお分かる、冗談にならない悲惨な状況が。俺と同じようにゾンビの手から逃げ惑う人々は、努力空しく捕まっていた。あたりには絶叫にも似た悲鳴が響き渡る。俺は思わず足を止め、ゾンビに捕まり泣き叫ぶ女性をただただ見つめていた。 「あー、これも懐かしい…」 目の前で沢山の命が散る瞬間を何度も見てきた。迫る死に怯え涙する人たちに情け容赦なく苦無を振り下ろしてきたのは正真正銘この俺だ。 「まさか今更こんな気持ちになるとはね」 ゾンビに捕まった女性の息はもうない。はじめに食らい付かれたのが喉仏でよかったね、とぼんやり思った。迫る死に怯え泣き叫んでいた彼女は、死によって痛みや苦しみから解放されたのだ。 幸村さまも、きっと。 「そうだそうだ、幸村さまのところに行かないと」 この摩訶不思議な状況のせいで今日は色々なことを思い出してしまう。俺が家から飛び出してきたのは佐助を追うためだっていうことをすっかり忘れていた。 立ち止まっていたからか、先ほどより俺の周りにゾンビが群がってきている。小さく舌打ちし、ゾンビたちの間を縫うようにして走り出した。佐助の心配はあまりしていないが、万が一ということもある。それに今のあいつは『元真田十勇士の長』ではなく『幸村さま依存症患者』と化しているのだ。周りが見えなくなっている上、こんな状況。いつゾンビに襲われていてもおかしくない。 「いつまで心配かけりゃ気がすむんだよまったく…」 暫く走っているとやっと目的の場所が見えてきた。マンションから案外遠いここまで全速力で走ってきたからか息が荒い。しかし木々が生い茂るそこは未だゾンビの手に犯されてはいないようで、俺はやっと安堵の息を吐き出した。これなら幸村さまもご無事だろう。 「佐助」 さすけ、もう一度呼んでみるが、奴が此方に気づいた様子はない。 「よかった旦那、無事だったんだね」と表情を緩ませる佐助は、優しく墓石を撫でた。 「佐助、」 「あぁ、来てたの。旦那は無事だよ、怪我もしてないみたいだし」 「、そうだな」 「でもよかった、旦那ってば案外怖がりな節があるから。泣いてるんじゃないかって心配しちゃったよ」 ね、旦那、と語りかける佐助に、「あぁ、そうだな」と返事をした。 幸村さまは遠い遠い昔に戦で命を落とした姿を最後に、俺たちの前に姿をあらわしていない。この時代に生を受けていないのかもしれないし、なんの記憶を持たずに幸せに暮らしているのかもしれない。それならどれだけよいかと思う。過去の記憶など、この世では邪魔なだけだから。 「ねぇ旦那、次はアネモネの花を持ってこようか、きっと気に入ると思うんだ」 微笑んでいる佐助は酷く楽しそうだ。その瞳が濁って見えるのは、きっと俺が奴の中に自分を見るからだろう。 「佐助、帰ろう。今度は花を買って来ればいいさ」 名残惜しそうな表情で墓石を見つめる佐助の腕を引く。時期ここにもゾンビが来るかもしれないのだ、ゆっくりしてはいられない。 「また来るからね、旦那」 アネモネの花言葉が、幸村さまに届かなければいいと思った。 |