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泥を食う


朝起きたらゾンビが蔓延していた。

何が起こってこうなった。付けっ放しにしていたらしいテレビからは阿鼻叫喚の地獄絵図が流れていたが、それもやがて砂嵐に変わってしまった。別の局にチャンネルを合わせれば、なんとヘリから中継しているらしい。

頑張るなぁ、と誰ともなしに呟いたところで、一緒に眠っていたはずの恋人が見当たらないことに気付いた。
昨日首輪もつけて眠ったから、勝手に抜け出すなんて出来ないはずなのに。無残に引きちぎられた首輪と、彼の服がなくなっていることを確認して溜息を吐いた。仕方ない。
愛用のフライパンを手に、とりあえず自室を見回る。この今ほどこの部屋がマンションの最上階で良かったと思ったことはない。

ガチャリ、とドアノブが回る音に玄関の方を見た。窓の方は幸いにも大丈夫だったが、玄関はまだ見ていなかった。じっとそちらに集中すれば、よく分からない呻き声と、そして何かが潰れるぐちゃりという音が聞こえた。それからドアがギギギと音をたてながら開いて、視界に飛び込んできたのは。

「ナマエっち!」
「きせ?」

お前、何やってんの。
顔にも足にも赤黒い血を引っ付けて、足元にはさっき踏み潰したらしい肉の塊を置いて。何よりもその肌は青白いをとっくに通り越し、実に気味の悪い色に変わり果てていた。
黄瀬は律儀に玄関の扉を閉めると、鍵と、ご丁寧にチェーンまでかけてから、こちらを向く。

「ナマエっち、」と俺の名を嬉しそうに呼びながら、よたよたと歩み寄ってくる黄瀬は、そう。どこからどう見てもゾンビだった。
思わずベッド脇に転がしていた金属バットをその脇腹にフルスイングする。嫌な音がして、黄瀬は倒れた。それでも、その濁り切ったしろい眼球は俺を見つめている。気色が悪くてその眼球にテーブルの上に置きっ放しだったフォークを突き刺したら、黄瀬は変な声をあげて仰け反った。が、しかし死んではいないようだった。当たり前か、ゾンビなんだから。さっき殴った脇腹が修復されているのを横目にして、いっそ焼いてやろうかと画策する俺を、黄瀬はまた甘ったるい怖気のはしる声で「ナマエっちぃ」と呼んだ。

「これでオレ、しなないっスよ」

潰れた目でなおも俺を見据えながら、笑んだ唇で黄瀬はそう告げる。

「だから、どんだけナマエっちがオレのこと殴ったって、蹴ったって、首しめちゃってももう大丈夫っス」

だから、と黄瀬はそこで口を閉じて、美しい笑みを浮かべた。と、いうことは、なんだ。つまり。

「お前はわざわざゾンビになるために、首輪ちぎってまで外に出たのか?」

俺にどれだけ暴力を受けても耐えられるように?死なずに側にいられるように?
俺の問いに、黄瀬は心底嬉しそうに頷く。そうか、と俺は一言だけ答えて、それから金属バットをもう一度振りかぶった。ぐしゃりと何かが壊れる音がして、黄瀬だった生物の頭蓋が割れる。何度も何度も、それこそ原型が分からなくなるまでバットを振り下ろした。
ぽとり、と水滴が床に落ちる。嗚呼。

「俺は綺麗な黄瀬が好きだったんだ」

だから俺の手で傷つけてやりたいとさえ思えたのに。足元に転がった血塗れの肉塊を見つめても、もう加虐心の欠片さえわいてこない。
はあ、と最期にもう一つ溜息を吐きだした。

「馬鹿じゃねえの、お前」

カーテンを開け放ち、ベランダへ出る。手すりを乗り越え、そして暗転。





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