▼ はやくその毒をください

「はじめ」
小さい頃から一緒にいたから、彼の性格は把握してるつもりだった。
機嫌が悪いときは唇を尖らせて、わたしの呼びかけに応じようとしない。
だけど諦めてその場から立ち去ろうとすると機嫌はもっともっと斜めに傾いてしまって。
それ以前に、そんな風に手首を掴まれてちゃどこにも行けないんだけど。

「はじめ」
はじめの大きな歩幅と対照的に、わたしの足元はおぼつかないものだった。半ば引きずられるように手首だけ掴まれて、ずんずん学校の中、暗い方へ連れて行かれる。

なにを怒ってるの、と聞こうとして口を噤む。
心当たりはあった。むしろそれしかないほどに。
だからはじめの気が済む場所に連れて行かれるより他にできることがなかった。
手首が火傷しそうだ。触れている個所だけ熱くて熱くて堪らない。
ぎりぎりと締め上げるように掴まれている感覚に、ふと幼い頃の2人を思い出す。あの頃は背も手の大きさもそんなに変わらなくて、でもその頃からずっと痛かったり優しかったり、手加減が苦手なところは今と同じだ。
体だけ大きくなってしまって、真面目で、純粋で、嘘のつけない人。

「はじめ、痛い」
屋上に続く階段に辿り着いた頃、そろそろいいんじゃないかなと思ってその背中に声をかけてみる。
はじめの足がぴたりと止まって、俯きがちだった顔が急にこっちを振り返った。少し、驚いたような瞳をしている。
数回瞬きをしてから、あーと唸ると視線を逸らされてしまった。

「…わりぃ」
「ぶつかっただけだよ」
「わかってる…」

昼休み、友達の席でお弁当を食べていて自分の席に置きっぱなしだった水筒を取りに戻ろうとした。
そのときにクラスメイトの男子生徒とぶつかった。それだけだ。たったそれだけ。
謝られて、大丈夫だと返して鞄の中手探りで水筒を探して、ふ、と顔を上げたらドアの辺り、少し見開かれたような強い瞳とかち合って、ああ行かなくちゃいけない、ただ漠然とそう感じて。
取り出した水筒をこつんと机の上に置いて、わたしは教室を出たのだ。

階段の五段目辺りにはじめが腰かけたので、わたしもその隣に腰を下ろした。
はじめは膝の上に腕を置いて、その中に顔を埋めてしまう。彼の耳元を見つめながら、自分の手首を摩った。痣になっているかもしれなかったけれど、今はそんなことはどうでもよかった。熱を持っていた個所が冷めていく感覚だけがわかって少し寂しくなる。

「わりぃ、抱き合ってるように見えて」
「うん」
「頭に血ィ上って」
「うん」
「…ごめん」

恥ずかしそうに、少し苦しそうにはじめはかっこわるい、と言った。
わたしは背をひんやりする壁に預け、そっと目を閉じた。喧騒から離れたこの空間は、とても静かで涼しくて気持ちよかった。

俺は謝らない、と涙目で訴える少年を思い出す。
あの頃は自分が悪いとわかっていても謝ることができない子だったな。
わたしがその場から去ろうとすることも許してくれなくて、むすっとしたままだんまりのはじめと、どうしていいかわからず涙が止まらないわたしと。それはどちらかの親かとおるが来るまで続いて。

懐かしいことを思い出したな、と口角が上がりそうになったとき、再び手首がじんわりと熱を持った。
視線を向けてみれば、はじめの大きな手のひらがわたしの手首を包んでいた。親指の腹がつつつ、と血管を優しく撫でているのが見える。

「赤くなってる」
「くすぐったいよ」
「まじでごめん」
「責任取る?」
「取るよ」

なんの躊躇いもなく言われて驚いたのだと思う。だから抵抗できなかったと言い訳したい。手首を引かれて、軽い衝撃のあとよく知った匂いが鼻腔をくすぐる。その温かさにじわりと睡魔が沸き上がったのがわかった。ああこれが安心するということなんだろうな、となんとなく考えてからバレないようにそっとその背に指を這わせた。
「わたし達 付き合ってないよ」
「付き合ってる」
「言われたことないもん 好きだって」
「言わなくてもわかるだろーが」
「わかんないよ。知らなかったなぁ」
「嘘つけ」
はじめの首筋に頬を寄せると熱が伝わってくる。気持ちよさに目を閉じると少し泣きそうになった。
生涯、この熱ははじめ以外からはもらいたくないなあ。はじめにだけもらいたいなあと思った。
制服を着て学校に行きだした頃、わたしもいつか素敵な人に恋をしてその人と結ばれるために努力をするのだろうなと夢見たことがある。はじめととおるがバレーに真剣になりだした頃、わたしもいつか熱中できるものを見つけてそれに向かって全力で生きていくのだろうなと胸躍らせたことがある。

「はじめ、離してくれないんだもん」
「誰が離すか」
「これじゃはじめしかない人間になっちゃう」
「それのどこが悪いんだよ」

本当に横暴だよね。
いつだってわたしの手首を、心臓を、掴んで離してはくれない。
その強い瞳に、逆らう気さえ殺されて。
もうだめだ、この腕に抱かれると何もかもが溶けてゆく気がする。温かくて、優しくて、柔らかくて、全部全部どろどろに溶かされてしまう。それが欲しくて、そうして欲しくて…感覚が麻痺しちゃったのかな。
もうどこにも行けやしないことを、自ら望んでいるなんて。
はやくその毒をください
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