▼ 相合い傘の魔法

降り出しそうだな。

昇降口の屋根の向こうに広がる、どんよりとした鈍色の雲を見る。
ゆったりゆったり、その体を重そうに引きずりながらあっという間にここら一体を暗くしていった。のんびりしていなければ、今頃電車の中だったろうな。ただどうしてもまっすぐ家に帰る気になれず教室でぼんやりしていた。
もうすぐ夏休みだ。毎年のことだけど、これといって予定はない。
家でダラダラして、友達とプール行って、宿題に追われて、家族と花火を見に行って。
きっとそんな風に過ごすのだろうな、と想像できる。
もったいないなと思わないわけじゃないけれど。
気づいたらもう高校三年で、周りの子たちは進学希望先のオープンキャンパスに参加したりしている。
ちょっと気づくのが遅かったかなあ、というだけだ。

ぽつ、ぽつ、最初はそんな風だったのにしばらくするとバケツをひっくり返したような水量が乾いていたアスファルトを隙間なく濡らす。1分と経たず土砂降り雨に見舞われてしまった。

ああ、降り出してしまった。
大して焦りもせずに、なんとなくその場でぼんやりと空を眺めていた。
降るかもしれないとニュースで見ていたので鞄の中に折りたたみ傘は用意していた。
傘をいつ取り出そうか、そのタイミングだけ逃しながら誰もいない昇降口で端から見れば途方に暮れていた。
***

「苗字」
もわっとした湿気がそろそろ嫌になってきて、さて帰ろうかなと鞄に手を差し込んだときにふと後ろから名前を呼ばれた。
振り返り見れば下駄箱に片肘をついて靴の踵に人差し指を差し込んだ状態の岩泉がいる。

「傘ねぇの?」
とんとん、とつま先で地面を突きながら岩泉は言った。
ゆっくり歩いてくると隣に立って、すげえ雨だなと独り言のように呟く。
「ううん、」
「あら、苗字ちゃん傘ないの?」
折りたたみならあるんだけど、と答えようとしたとき、隣の下駄箱からひょっこり及川も顔を出した。

「岩ちゃん入れてあげなよー 岩ちゃんの傘おっきいんだから」
同じく及川も隣に並ぶと、うわーすごい雨だねと空に向かって呟く。岩泉と全く同じ行動にちょっと笑いそうになりながら、部活は?と聞くと、どうやら月曜日は休みなんだとか。本当は練習したいんだけどねーテスト近いから、と及川が苦笑いを返す。

2人が手に持っていた傘をバン、と開くと先に及川が昇降口から出てこちらを振り返った。そのあとを追いかけるように岩泉が出て行って、これまたこっちを振り返る。そして持っていた、確かに大きめの黒い傘を傾けてくる。何も言わずに無言で、だけどそのまっすぐな瞳がしっかりとこちらに訴えかけてくる。

これは、入れってことなのだろうか。

「や、大丈夫だよ。ありがとね」
「この雨すぐにはやまねーぞ」
「そうそう、岩ちゃんが女の子と相合傘なんてめったにできないんだから入ってあげなよ苗字ちゃ」

ゲシ!と及川の膝裏辺りが岩泉によって思い切り蹴られる。いだい!と涙目になりながらしゃがみこんだ及川がゴリラゴリラと騒いでいるが振り返りもせず、岩泉は変わらず傘を傾けたままだ。ん、と突き出された唇が不愛想にも優しかった。
***

「ありがとね、傘 入れてくれて」
ファンの子とかに目撃されて変な噂が立ったりして、それによって2人に迷惑がかからないだろうかと心配だったけれど。
なんとなく嬉しくてそのまま駅まで送ってもらうことになった。
「おう」
駅に着くまでに岩泉と交わした会話はそれだけだった。
あとは岩泉と及川の部活動の話を流すように聞いていた。花巻がどうとか、松川がどうとか。あとは知らない名前も出たけれど、聞いていていいものなのかどうかわからなかったので、あんまり聞こえていない振りを通した。

たまに肩がぶつかって、そのたびにお互い譲り合うような距離ができて。わたしたちの肩はそこそこに濡れていた。
ただ、2人の頭上を包み込む傘だけが、湿気とは違う温かな、そして気恥ずかしい空間を作り出していて。
わたしは久しぶりに胸を高鳴らせていたのだと思う。これじゃまるで恋する乙女だ。
岩泉の声や言葉だけが、何度も何度も反射して耳にぶつかるのがわかった。それがとてもとても心地よかった。

しばらくして最寄り駅について、及川が飲み物がほしいとコンビニに入って行った。
岩泉は水滴をたくさんつけた傘を外の花壇へブルブルと振るっていた。
「ありがとね、岩泉」
「おう。電車降りてからは大丈夫か?」
「うん、あのね、本当は折りたたみ傘持ってるんだ」
なのに入れてもらってしまってごめんね、というつもりで少し目線を下げる。その先で岩泉の靴がびしょびしょに濡れているのが見えた。
「知ってる」
土砂降りの雨は変わらずに鈍色のまま世界を濡らし続けていて、傘を忘れたサラリーマンや水たまりを避けて歩く小学生が脇をすり抜けていく。
「傘持ってきたって話してんの、見てた」
昼休み、もしかしたら放課後から雨かもしれないねと友達と話した。傘持ってきた?一応、折りたたみ持ってきたよ。そんな他愛無い会話を、確かにした。
あれを、岩泉は見てたのか。わたしはそのとき岩泉がどこにいるのか知らなかったけれど。

横から見た岩泉の頬は心なしか上気していて、ああ今こっちにその瞳を向けられたら自分がどうにかなってしまうだろうな、漠然とそんな気がした。鼓動が早まっているのがわかる。ごくり、と岩泉の喉が上下するのが見えた。

「あのさ 苗字」
だめ、こっち見ないで。まだこっちを向かないで。心の準備ができてない。岩泉のことを好きになってしまう心構えが、まだできてない。
「誰でも入れるわけじゃねーかんな」

相合い傘の魔法
そんなまっすぐな瞳で見ないで。
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